高橋是清についてのおすすめの本5冊。「ダルマ蔵相」の波乱万丈な生涯とは

更新:2021.12.19

高橋是清は日本銀行総裁、内閣総理大臣、大蔵大臣などを歴任し、日本の経済を引っ張っていった人物です。そんな是清の経済政策や思想、人間性、波乱にあふれた人生に触れることができる本を集めました。ぜひ読んでみてください。

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大蔵大臣を6度務めた高橋是清とは

高橋是清(たかはしこれきよ)は1854年に東京都で生まれました。絵師の息子でしたが、生後まもなく仙台藩の足軽であった高橋覚治の養子になっています。

横浜のヘボン塾で学んだ後、1867年から藩命に従いアメリカへ留学しました。しかし横浜に滞在中のアメリカ人貿易商に、学費や渡航費を着服されます。さらにホームステイ先の両親に売られ、奴隷同然の生活を強いられることとなりました。是清は家を転々とし苦労をする中、英会話と英語の読み書きを習得しています。

1868年に帰国。サンフランシスコで知り合っていた森有礼の薦めで文部省へ入省します。英語の教師をしながら、現在の開成中学校・高等学校の初代校長を務めました。正岡子規や海軍中将の秋山真之は是清の教え子です。文部省や農商務省でも活躍し、1884年には特許局の初代局長として日本の特許制度を確立させました。

1889年、ペルーで銀山開発をしたものの失敗し、無一文で日本に戻ります。その後1892年に日本銀行に入行。日露戦争時は日銀副総裁でしたので、戦費を調達するためにイギリスへ向かい外債の公募を行いました。そして交渉を続けた結果、公債募集は成功。1911年には日銀総裁になりました。

1913年からは大蔵大臣、20代内閣総理大臣、農商務大臣、再びの大蔵大臣と政界で活躍します。是清は立憲政友会に入党しており、その派閥争いに苦労しつつも6度も大蔵大臣を務めあげ、多くの成果を残しました。1931年世界恐慌からのデフレの際は、金輸出再禁止や公共事業による景気対策、日銀引き受けによる軍事予算の増額などで日本経済を世界最速で復活させました。

このリフレーション政策により、高率のインフレが発生すると考えた是清は、軍事予算を縮小しようとします。そのことに軍部は反発し、1936年の二・二六事件の際、是清は赤坂の自宅で暗殺されてしまいました。享年82歳です。ふくよかな見た目から「ダルマ蔵相」と呼ばれ、総理大臣よりも大蔵大臣としての評価が高い人物。大胆で積極的な財政政策をとり、国債発行を日本で初めて行ったのも是清です。日本銀行券に肖像画が使われています。

高橋是清についてあなたが知らない9の事実

1:後の内閣総理大臣だが、18歳にしてやさぐれる

明治に入り日本に帰国した高橋は教師として働き始めますが、時同じくして「大酒のみ」「芸者遊び」に走ります。 最終的に教師も続けられなくなって辞めてしまい、無一文になったところで芸者の荷物持ちを始めました。 18歳にして人生を「再」スタートさせることになります。

2:お金で失敗を重ねた破産王

友人の紹介で畜産事業に手を出しますが、友人に金を持ち逃げされます。 その後、別の友人が「銀」の投資話を持ち掛けるが、ここでも運用に失敗して大損をします。 ペルーの銀山開発でも失敗し、その度に無一文になっているのです。

3:死後の叙勲

二・二六事件によって死亡した後、「大勲位菊花大綬章」を叙勲されました。日本最高位の勲章である「大勲位菊花章頸飾」に次ぐ勲章で、戦前の昭和期20年間においては12名しか叙勲されていません。

4:平成の政治家も模範としている昭和の政治家

内閣総理大臣やその他政府要職を歴任した麻生太郎も、NHKインタビューに「一番直近は高橋是清大蔵大臣だと思う。我々はいろいろ工夫しながら対応を模倣している」と述べるほど、模範としていた政治家でした。 安倍晋三も海外公演で、高橋の名前をあげて財政関連のスピーチを行っていました。

5:教え子の部下として働いていた

無一文になっていたころ、日本銀行総裁の川田小一郎より「日本銀行建築所主任」の窓際ポストを紹介され、働いていました。 しかし、この建築事務所の所長である辰野金吾は、高橋の英語学校教師時代の教え子であり、教え子の下で働くことになる高橋を川田は案じていましたが、高橋は「喜んで働かせていただきます」と、欲を出さず勤勉に働いたといわれています。

6:役職に就いてもらう際の周囲の口説き文句「国のため」

「国のためだから」この言葉には、高橋は首を横に振れなかったと言われています。 今までに7回もの大臣就任の要請があっても全て固辞してきたといわれています。 しかし「国家のために尽くして欲しい」と説得され結局引き受けています。

7:総理大臣歴より目立つ大蔵大臣歴

多くの政治家は、総理大臣を歴任すればそちらの活躍が目立つことが多いです。

しかし、高橋は若年時代の様々なお金の失敗を乗り越え日銀総裁に就任したり、現在一般化している一般歳入の補填を目的とした国債発行を日本で初めて実行したりといった「財政家」としての一面が強く出ています。

また、二・二六事件直前まで軍事費削減を巡って陸軍と衝突を繰り返していたことを考えると、「総理大臣」としての経歴以上に「大蔵大臣」その他財政担当の職歴が際立つ珍しい政治家です。

8:大酒飲みだった

国会中に居眠りをする議員はもはや珍しく無いが、国会中に酒を飲む政治家は高橋以外にはいないでしょう。 しかも飲んでいるのにも関わらず、怒られなかったそうです。

9:日露戦争の戦費調達

日露戦争が近くにつれ、戦費を国債発行で賄おうとするとき、日本はイギリスに相談を持ちかけました。

しかし、当時の日本は後進国と見られており、欧州世論はロシア勝利予想に大きく傾いていました。

その中で高橋は「日本が戦争に挙国一致して臨むこと」「日本は過去に外国債も内国債も支払いが遅延したことは無い」ことを全力でアピールし、欧州の銀行家から戦費を引き出すことに成功しました。

日露戦争の経済的勝因には、高橋の外交努力も1枚噛んでいました。

事実は小説よりも奇なり、高橋是清の人生

高橋是清の半生が書かれた本書。幼少のころから、日露戦争の時にイギリスへ資金集めに行き成功させるまでの話となります。こんな人生を送った人がいたのかというような波瀾万丈の人生に驚いてしまいます。しかし是清の人徳のなせるわざなのか、多くの問題があっても政界で活躍する機会にも恵まれました。そしてそれに答え是清も数々の功績を残しています。日本経済を発展させた是清の痛快な人生に心躍ることでしょう。

著者
高橋 是清
出版日
1976-07-10

渡米のときには鼠を食べていたことや、奴隷として売られたなどというエピソードが次から次に書かれ、是清の世界に引き込まれてしまいます。財政を見通す目、そして決断力にとても優れた人物でもありました。特許制度の整備に力を注いだことや日露戦争の資金調達の話を読むと、是清がいなければ今の日本はなかったのだと感じることでしょう。

魅力あふれるけれども破天荒で手に負えない雰囲気もある是清。彼を政界に導き、さらには大臣として受け入れるというのは今の日本では考えられないかもしれません。明治、大正時代だからこそあり得た人事が、日本を助けることになったのです。現代にも是清のように考え、決断する人物がいれば、日本の在り方もまた変化するのかもしれないと思わせてくれます。

波瀾万丈、高橋是清の生涯に感動

『天祐なり』は高橋是清の生涯を描いており、読了後はその素晴らしい人生、生き方、人柄に感動することでしょう。人生の前半は、波瀾万丈としか言いようのないものでしたが、それをバネにしながら是清は多くを学んでいきます。そして日銀から政界へと足を踏み入れてからは、日本のために力を尽くしていくのです。

著者
幸田 真音
出版日
2015-07-25

是清は失敗も数多くありましたが、そこから学んだものはそれ以上にありました。そういう是清の生き方が、人々を惹きつけていったのでしょう。運も自分で掴み取る力強さが是清にあったのだと感じ取れます。私利私欲を捨てて国家のために働き、日本経済を何度も救った是清。こんな偉大な人物がいたのだと胸が熱くなります。

本書はとても読みやすく、明治から昭和にかけての経済小説としても学べることが多くあります。経済を見通す力を持つことがどれだけ大切かもよく分かることでしょう。今日の日本経済に対して是清が政策を打ち立てるならば、どのような行動で日本を救うのでしょうか。そんな想像をしてしまうほど、是清の素晴らしさが伝わってくる作品です。

昭和初期の経済政策はどれが正しかったのか

高橋是清と井上準之助は共に昭和初期に大蔵大臣として活躍した人物です。井上は、緊縮財政によるデフレ対策を行い、金輸出の解禁で円相場を安定させようとしました。しかし不況に陥ってしまい、世界恐慌の波に飲み込まれてしまいます。井上の次に蔵相となった是清は、逆に金輸出の再禁止を訴え、積極財政でインフレ経済を目指したのです。この時代の経済について分かりやすく書かれており、とても勉強になることでしょう。

著者
鈴木 隆
出版日
2012-03-16

全くタイプの違う人物が同時期に登場し、続けて大蔵大臣となったことは面白いことです。天才型だった是清と、秀才型の井上は、異なる経済政策で日本を立て直そうとしました。どちらが正しかったのかを考えることは難しいことですが、二人とも命を懸けて日本に尽くしたことには変わりありません。

二人が生きた時代の問題は、現代の問題ともリンクしています。緊縮政策なのか、積極政策なのか。今の政治家の中に是清や井上のような人物が現れてくるかどうかに、日本の命運は託されているのです。経済を学ぶ入門書としてぴったりの1冊といえるでしょう。

高橋是清が徒然思っていたこと

是清が考えていたこと、思ったことをまとめた回顧録である『随想録』。晩年になって書かれたものですので、初めにご紹介した『高橋是清自伝』と合わせて読むと、是清の人生がくっきりと浮かび上がってくることでしょう。本書は『高橋是清自伝』より後の、世界恐慌対策といった金融政策についての話が多く書かれています。

著者
高橋 是清
出版日

一番の読みどころは、昭和初期の世界恐慌に関して、是清の考えが語られているところでしょう。是清の功績としても最も大きい場面ですし、是清が経済政策に関してどのように考えていたのかが分かるはずです。そしてその考えを実行に移すことができる決断力など、見習いたいものも多く発見できます。

また経済政策など政治の話以外に、普段の生活における教訓のような話も数多く綴られています。

「悲境に陥っては、楽境にある時の気持ちをもって、日々を愉快に、楽しく暮らし、楽境にあっては、かつて悲境にあったときのことを忘れず、欲を制し奢りを戒めていくことが、人々の心の修養の要諦であろう。」(『随想録』より引用)

波瀾万丈の人生を送ったことで得たものが表れているのではないでしょうか。失敗してもそれを無駄にせず、成功しても奢らず、という是清の精神に感心してしまいます。是清の人間性が読み取れる本です。

英文資料も検証。国際人、高橋是清を知る

本書は、アメリカ人が書いた高橋是清の評伝で、英文資料についても検証していることが特徴です。是清は英語能力に長けていたことが、他の同時代の人物とは異なるところだったと著者は言います。そんな是清の人生を追いながら、その思想を育んだ背景、経済情勢についてまとめてある本で、是清をさらに多面的に知ることができるでしょう。

著者
リチャード J スメサースト
出版日
2010-09-28

是清はその積極的な経済政策から日本のケインズと呼ばれました。しかし、是清は全くと言っていいほど正規の教育を受けていないのです。外国での生活や数々の失敗などから学び取って、その思想を形成していったことには驚くばかりです。また外国人との交流を通して、英米の経済についても学んでいきました。

国民の生活が豊かになることが経済政策の基本だと実体験で理解していた是清。だからこそ、日本を世界恐慌から抜け出させることもできたのでしょう。政治や経済の話も詳しいので、この時代の経済史を学ぶためにも参考になる本です。

様々な本を読んでいくと、高橋是清は他に類を見ない人物だったことが分かります。パワフルでユーモラスな是清に学ぶべきことはたくさんありそうです。経済の勉強にもぴったりですよ。

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