銀座線は、渋谷と浅草を30分でつなぐ、日本で一番古い地下鉄だ。営業開始は昭和2年。都会の象徴・銀座や、新興の高級ショッピング街・青山などを経由する。そのレモン色の車輛ともあいまって、個人的には、なんとなく華やかな、お出かけのための路線である。
華やかだったり無邪気だったり、楽しかったり、そういう人間関係を、そのまんまに完遂することはとても難しい。『マリアージュ・マリアージュ』は、恋愛あるいは結婚のただ中にある男女の、不安定さを描く連作短篇集だ(タイトルで、マリアージュ=結婚という言葉を言い募るのもいかにも危うい)。
最初の1篇「試着室」は、買い物で精神を落ち着かせることが癖になっている、ブランド品中毒の主人公が、青山や銀座あたりの高級店に、年下の彼氏を連れ回す場面から始まる。2つ目の短篇のタイトルはまさに「青山」で、写真家として成功する彼女と、(恐らく青山の)アパレルでバイトする主人公が、穏やかにすれ違っていく。
”いい。すごい。いいブレ加減。夕日が綺麗。と呟きながら嬉しそうに撮っている彼女を後ろに乗せて、僕は久しぶりに楽しいなと思った。(中略)彼女が構えたホライズンのカメラが、ゆっくりとしたシャッタースピードでハンドルを握る僕の手を撮っていた。現像されたその写真を見た時、僕は彼女の見ている世界の美しさを初めて知った。”(p.61)
”不安を感じる時、何か新しいことを始める時、そういう時に、一緒にいて安心出来る人と会いたいと思う。でも今この瞬間の自分にとってその人が彼女だという事実に、蟻地獄というか、何か救いようのない閉塞感を感じた。”(p.40)
金原ひとみの小説は、その「救いようのない閉塞感」を、時に暴力的に、時にやわらかく、純度の高い言葉で突きつけてくる。決して「大団円」には収まらない、人間関係や感情の切れっ端。彼女はそれを、特に青山や銀座や渋谷に見つけるのが、上手いような気がする。
- 著者
- 金原 ひとみ
- 出版日
地下鉄は、当然地下を走っているわけで、いま私が焦りながら「何号車の扉から降りれば上野駅で最短で乗り換えができるか」検索している最中も、その頭の上を走る道路には、変わらない信号にイライラしながら同じく上野を目指している車がいるかもしれないし、その横のビルではどこかの小説の主人公がブランド品を買い漁っているかもしれない。そして反対に、私の足の下にも、もちろん地面は続いている。地下鉄の下にも地下はあるのだ。
その世界を、魅力的なストーリーの力で思い出させてくれるのが、『世界の終りとハードボイルド・ワンダーランド』である。
あまりに有名な作家の、もしかすると一番人気の作品だから(昔髪を切ってくれた美容師さんがそう言っていた)、読んだことのある方も多いかも。
私が一番わくわくしたのは、物語の終盤、主人公が得体の知れない地下世界をなんとか泳ぎ切って、やっと「現実世界」に顔を出す場面だ。そこはちょうど銀座線の軌道が走っていて、主人公は線路に沿って青山一丁目の駅からしれっと地上に戻る。
東京で、乗り換え案内を駆使して直線的に生きていると、実は私が立っているこの世界は何層もの生活が重なってできあがっているのだということを、忘れてしまう。だからたまにそれに気づかされると、愉快な気持ちになるのだ。私は今でも青山一丁目駅を通過するときは、自分の足の下を思って少し緊張する。
まぁ、この小説の主人公は、地上に辿り着いたあとも、決して愉快な展開には報われないけれど……。
- 著者
- 村上 春樹
- 出版日
- 2010-04-08
銀座線は、このところリニューアルが進んでいて、イメージカラーがより明るくなった。今や車輛の塗装もさわやかなレモン色だ。そんな車内で読むならば、ということでこちら、『レモン畑の吸血鬼』。装丁が、鮮やかなレモンだ(そういえば、冒頭で紹介した『マリアージュ・マリアージュ』のカバーも黄色い果実でした)。
もっとも、爽やかなのはカバーだけ。8つの短編からなる本書には、奇妙な世界観の中でなま暖かく息苦しくうごめく「生」が閉じ込められている。例えば表題作は、レモンの名産地・南イタリアのソレントで、血の代わりにレモンに噛みついて汁をすすることでひとときの安寧を得る吸血鬼の夫妻・クライドとマグリブの物語だ。
吸血鬼は、死ねない。終わりを期待できない夫婦の関係は、どこに昇華すれば良いのだろう。
”マグリブが現れたことで、永遠はわたしを脅かすものではなくなった。突如としてどの瞬間もきちんとした順番で前に続くようになった。互いの存在で満たされた数々の瞬間で。”(p.11)
”死が二人を分かつまで! 楽勝だ。人間の夫婦たちは五十年、六十年の間だけ、お互いを見張っていればいい。”(p.21)
全篇にほとばしる作者の想像力(普通、吸血鬼にレモンを食べさせようとは思いつかない)と、直喩と隠喩で丁寧に塗り飾られた言葉の世界には圧倒されるばかりだが、末尾の解説で訳者が書いているように、すべての物語は、「確かに奇妙ではあるけれど、切実なほど、しっかりと血が通っている」。
一読では酸っぱすぎて、飲み込むだけで精一杯。繰り返し読んで喉が慣れて、初めて味が分かるような小説ばかりが詰まった一冊。
せっかく買い物をしに銀座線に乗ったとしても、この本を開いてしまったが最後、一篇読む度にすぐさま再読せずにはいられなくて、買い物どころではなく、レモン色の車輛の中、レモン色の本の世界に閉じ込められることになってしまったら、ごめんなさい。
- 著者
- カレン・ラッセル
- 出版日
- 2016-01-26
レモン本ならば、やはり梶井基次郎の『檸檬』を無視するわけにはいかないが、あれは銀座線より断然、京都が似合う。東京にあうのは、やはり東京の街を謳歌していた作家たちの作品だろうか。
ちょうど銀座には、太宰治や坂口安吾が通った「ルパン」というバーがあって、その店のスツールに足を乗せて撮った太宰の写真は有名だが、もしそんなイケメンポーズの真似をしにこのお店を訪れるなら、行きの銀座線の中で開くのは、どの作品が良いだろう。