歴史上の人物に教わる日本の音楽史
ところで、いきなり自分のこと。僕はよく難解な本や専門書に挑戦しては毎度挫折してばかりいます。
もし出来ることなら「××思想全集」やら「〇〇理論」といった本を小脇に抱えて颯爽と歩きたい……そして願わくば周囲から「遠藤さん、そんな本を読んでいるなんて素敵」とか言われてニヤニヤしていたい……なんて考えたりしています。しかしいやはや、現実は厳しいもの。先月読んだ「世界一分かりやすい△△の本」ですら全然理解できなかった始末です。
そんな僕の紹介する本なので、今回取り上げた三冊は読みやすい本たちばかり。敷居が高いと思われがちな日本伝統文化に親しみを持てる本たちです。10 年ほど前の事。音大の大学院試験の為に猛勉強した日本音楽史。しかし残念ながら、丸暗記した知識は殆ど記憶に残っていません。ああ、何のための勉強だったのか……。
ところで今月。現在プロデュースしている図書館コンサートの企画で音楽史を学びなおす必要が出てきました。その仕事では日本のみならず西洋の音楽史も学ぶ必要があったので、書店と図書館で目についた本をとにかく読み漁ってみました。読んだ本は大体 10 冊くらい。その中で最も面白かったのがこちらの「おもしろ日本音楽史」でした。この本の特長は日本音楽をまるで体験するように味わわせてくれるところです。
- 著者
- 釣谷 真弓
- 出版日
- 2004-08-19
まえがきにこんな言葉があります。
「この本のなかでは、遠い存在だった雅楽師や能楽師、検校さんたちが大活躍、とんだりはねたり、悩んだりします。私はタイムマシンに乗って、あるときは世阿弥を、あるときは八橋検校を訪ねます。」
著者は歴史上の偉人に実際に会ったように、そして過去の出来事を一緒に体験するように音楽史を伝えてくれます。本書の中で登場する歴史上の人物たち、たとえば雅楽師・狛近真(1177~1242)は息子たちが雅楽の道に進まずダラダラしている事に頭を抱えていますし、後白河法皇(1127~1192)は「君主の器ではない」と批判されながらも十五夜連続で「今様合わせ」(今でいうカラオケ大会のようなもの)を開いたりしています。
歴史上の人物がぐっと身近に、そして偉人達も同じ人間だったんだなぁと改めて気づかせてくれる名著です。
人形浄瑠璃で語られる人生の一大テーマ
さてさて、日本の伝統音楽を少し身近に感じたら、人形浄瑠璃の世界を体感できる本を一冊。この『曾根崎心中』は直木賞作家・角田光代が近松門左衛門の原作を翻案し、物語として再構築した作品。ベストセラー作家だけに物語に引き込む力がハンパじゃありません。そして、ちゃんと原作の味わいを損なわずに描かれています。
ところで皆さん「曾根崎心中って知ってる?」と聞かれたら何と答えますか?たぶん多くの人は「いやぁ~タイトルは知っているけど……内容までは……ねぇ(苦笑)」という方が殆どではないでしょうか。かくいう私もこの本を読むまでそうでした。
内容を簡単に紹介しましょう。醬油屋の徳兵衛が友人の九平次に騙されて、それを苦にして愛する女郎のお初と心中する、というお話。まぁだいぶ端折りましたが、この話が面白いのは徳兵衛→善人、九平次→悪役という構図を取りながらも実際は違うかもしれないという匂いを漂わせつつ、最終的には「どっちが悪で、どっちが善かなんてどうでもよい」ということに繋がっていくところ。結局「自分は何を信じるのか?」という人生の一大テーマを描いているところなんです。そのことを端的に表している部分を引用しましょう。心中する直前の場面、場所は曽根崎の森、時は夜明け前。お初はこんな事を考えています。
「そうだったとしたら……、でも、なんだというのだろう?
徳兵衛が嘘をついていたとしたら、徳兵衛が九平次をだまそうとしていたら、偽判よりもさらに重い罪をおかすような男だったとしたら。(中略)それだとしたって、わたしはこの人とともに旅立つことを選ぶだろう。」
- 著者
- ["角田 光代", "近松 門左衛門"]
- 出版日
- 2011-12-22
愛する人がたとえ悪人でも好きな気持ちは変わらない。これって何だか現代でも普通に通用する感覚じゃないですか?
「長い目で、今を生きろ」
最後の本は日本伝統文化「茶道」についての本です。
これは僕の大大大好きな一冊。いつも枕元において寝る前に一言一言を噛みしめて読んでいます。
大学生の時に茶道を習い始めた著者、それから気づけば 25 年。お茶の稽古の中で学んだ事、考えた事を瑞々しい文章で綴った本です。著者はいつもいつも茶道の事で悩んでいます。何年たっても作法や手順は覚えられず間違ってばかりだし、とっさの機転を求められるお茶会では周囲に迷惑をかけてばかりいます。
「なぜこんなことをするんだろう」
「お茶なんて、向いてなかったのかもしれない……」
そんな悩みを抱きながらも著者は茶道の稽古に通い続けます。その間に著者の中には自分自身でも気づかないうちに知識や経験が静かに蓄積されていきます。そしてある日、コップにたまった水が表面張力であふれだすように、著者に沢山の気づきをもたらします。コップからあふれた滴は心を洗い流し、茶道が自分をいつも支えてくれていたことに気付くのです。
「お茶を習い始めた時、どんなに頑張っても、自分が何をやっているのか何一つ見当もつかなかった。けれど、二十五年の間に段階的に見えてきて、今はなぜ、そうするのかがおぼろげにわかる。
生きにくい時代を生きるとき、真っ暗闇の中で自信を失った時、お茶は教えてくれる。『長い目で、今を生きろ』と。」
茶道にせよ日本音楽にせよ、伝統芸能を受け継いで守っていくのは、いつの時代もそれに情熱を傾け、常に精進を重ねた人々だと思います。「音楽とは? 人間とは? そして人生とは?」そんな答えの無い問いを懸命に探究してきた人たちです。僕も尺八奏者として、そうありたいし、心の入った舞台と演奏をこれからもしなければいけないと思っています。
日日是好日―「お茶」が教えてくれた15のしあわせ (新潮文庫)
2008年10月28日
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森下 典子
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新潮社
そうしていれば今年 3 つしか貰えなかったバレンタインチョコも数年のうちに 100 個ぐらいにはなっている……かもしれません。