「彼らはきっと、畏れるがゆえに忌み嫌うことだろう。善良な羊飼いを磔刑にした連中のように」
愛こそが人間の究極の目標であるのなら、そのためには何を犠牲にしても構わない……自らの手で殺めた女性との行為を、美しく切ない究極の愛の儀式だと気づいた男。次第にエスカレートし、陵辱と惨殺を繰り返す。
永遠の愛を求めて彷徨う彼が辿り着く衝撃のラストシーンは、息子に不穏な影を感じ、猜疑心に苛まれる母親の切実さや、家庭における父親の希薄さ、家族の崩壊という主題と重なり、恐怖を超越して深い感動を覚える名作。
「俺は誰だ。俺の核にあるものは、何なのだ」
同じ殺人事件の、一方は加害者、もう一方は被害者の独白。 そこそこ豊かな家庭で育ち、末っ子で甘やかされた穏やかな男と、貧しい家に生まれ育ち、会社でも家庭でも居場所のない男。兄弟以上の絆で結ばれていた2人の間に、軋轢など生じるはずがなかったのだが……。
加害者は殺意が芽生えて以来、3年がかりでゆっくりと育てていった。なぜ人は人を殺し、他人の生を否定するのか。そんな問いに延々と向き合っていく。
「鬼哭」は被害者が刺されてから息を引き取るまでの、遠退く意識の中での走馬灯だ。幾度も反芻される加害者とのやり取りに、孤独に怯え、同時に陶酔していた男の哀愁を見る。結局、俺は幸福だったのだろうかと自問自答する哀れな末路に、人の業と因縁について改めて考えさせられた。
「我が家の鬼畜は、母でした」
保険金目当てで家族に手をかけてゆく母親。巧妙な殺人計画、殺人教唆、資産収奪ののち、末娘だけが生き残った。徐々に見えてくる事件の真相は、読者を鮮やかに裏切っていく。
著者は元弁護士。法律関連の生々しく精密な描写は流石だ。一家の呪縛と狂気は壮絶だが、取材形式のエピソードによる見事な叙述トリックに感服した。テンポ良く一気に読ませてくれる作品。