お陰様で、「怪談 そして死とエロス~リリース記念ワンマンツアー」がひとまず終わりました。まだ追加公演が控えてはいますが、会場に足を運んでくださった皆さん、本当にありがとうございました。さて、怪談と銘打ったせいか、レコーディング時から不思議な現象が頻々と続いた。取材でもけっこう喋ったけれど、まだ語っていないところでは──。
キャンペーンで、いわくつきの地にあるホテルに泊まった際。明け方、勝手にテレビのスイッチが入って大音量で鳴る。ツアー中のこと。ホテルに帰ってくると、無人のエレベーターが口を開いて僕を待っている。最初そんな偶然もあるかと思ったが、昼夜を問わず何度も続く。よそのホテルに行っても同じで、僕が(一人で)エレベーターに近づくと、まるでお帰りなさいといわんばかりにサーっと扉が開く。しまいには慣れっこになってしまって、たまに開かない時があると、なんだ今日はお迎えなしかと思うように。などなど。
怖いモノに不用心に首を突っ込むのは剣呑だが──ミイラ取りがミイラになる。心霊スポット巡りなど、本当にやめた方がいいです──エンターテインメントとして楽しむ分には、客観的に眺めている分には、カタルシスが得られ、生の実感に立ち返ることが出来て、なかなか有り難いものではないだろうか。
今回は怪談本をいくつか紹介してみようと思うものである。
怪談 牡丹燈籠
カランコロンとやって来た嬢さまの幽霊、やがて男は取り殺される……誰もが知っている牡丹燈籠。出典は、中国の「剪燈新話(せんとうしんわ)」から。だが円朝が作り上げた本編は実はもっと長く、縦横無尽に筋があっちに飛びこっちに飛び、複雑な因縁話の様相を呈している。嬢さまの件はまるで導入といった扱い。円朝がこれを作ったのが二十三、四歳の頃というから、その天才ぶりがうかがいしれよう。
とまれやはり若い二人の恋慕は印象に残る。馴れ初めの部分、お嬢が新三郎を見てモジモジするあたり、こちらも読んでいてドキドキとしてくる。それなのにお嬢は幽霊になっちまって、新三郎、お前がハッキリしないからだよと、いつの間にかすっかり感情移入していたりする。
三遊亭円朝のお墓は谷中の全生庵にある。毎年夏になるとそこで円朝の集めた幽霊画が一般公開され、僕も涼みに出掛けたことがある。物好きだけが来るかと思っていたら大勢の入りで、そうかみんな幽霊が好きなんだと妙に納得したものである。
影を踏まれた女
岡本綺堂の怪談は、時代が変わっても再版され続ける。つまりそれだけ色褪せないということだろう。まず何といっても文章が上手い。感情的にならずいたずらに扇情的にもならず、語彙も的確で品があり、怪談の文体かくあるべしといった筆致である。タイトルがまたいい。「猿の眼」「窯変」「一本足の女」、別な本だが「停車場の少女」。いったいどんな話なんだろうと、想像力をかき立てられる。
ところで実際の怪奇体験は、出て来た理由が判然としないことの方が多い。きちんと因縁話に落ちてくれない。先様の言いたいことなどさっぱり分からず、ただ後味の悪さと不気味さだけが残る。綺堂の怪談はもちろん創作だが、いかにも作り話めいた辻褄合わせに終始せず、実体験の持つあの不気味な生々しさに満ちていて、素晴らしい。