障害がある子どももない子どもも、共に学ぶ教育である「インクルーシブ教育」。定義や取り入れられた背景、課題、日本やアメリカの具体例をまとめました。
インクルーシブ教育とは、障害の有無に関係なく、同じ場所で共に学んでいくことができる教育のこと。なおインクルーシブとは、英語で「包括的な」「包み込む」という意味を持っています。
とはいえインクルーシブ教育は、同じ場所で教育を行う「だけ」の教育でもなければ、特別支援学校や特別支援学級をなくす教育でもないのです。ベネッセ教育情報サイト(2012)によれば、「障害などの特性に応じたきめ細かな教育により、障害児の能力を可能な限り伸ばすこと」が求められているといいます。
- 著者
- ["青山 新吾", "赤坂 真二", "上條 晴夫", "川合 紀宗", "佐藤 晋治", "西川 純", "野口 晃菜", "涌井 恵"]
- 出版日
- 2016-04-06
インクルーシブ教育の定義を調べてみても、その本質はなかなか掴みづらいかもしれません。そんなときにおすすめしたい1冊が『インクルーシブ教育ってどんな教育?』です。8名の研究者から、インクルーシブ教育について考えるヒントが得られます。
たとえば、障害者へ広く支援を行う株式会社LITALICOの執行役員・野口晃菜は、「インクルーシブ」という言葉から、こんなことを述べています。
「インクルーシブ(包含する)対象は誰か? というと、すべての子どもたちです。『障害のない人が障害のある人をインクルードする』ということではなく、『誰もがお互いをインクルードする』ことこそがインクルーシブ教育なのです」(p. 16より引用)
どうやらインクルーシブ教育では「すべての子どもたち」がキーワードになっているようです。また広島大学の川合紀宗は、インクルーシブ教育について以下のようにまとめます。
「障害のある子どもだけが対象ではなく、あらゆるマイノリティにある人たちが『当事者』であるべきですし、マイノリティ、マジョリティにかかわらず、相互の違いを認め合える世の中をどうつくっていくかが問われる教育なのです」(p. 118より引用)
インクルーシブ教育というと、「障害のある子ども」が対象と思いがちかもしれませんが、そうではないのですね。
さらに編集代表の青山新吾(ノートルダム清心女子大学)は、インクルーシブ発想について、従来の特別支援教育と比較しながら以下のように説明します。
「特別支援教育の弱点は、周囲と『つながろうとすること』の弱さであり、子どもや大人が『つながる力』を育てる視点が弱すぎたことにあると思うのです。インクルーシブ発想は、その範囲を大きく拡大していると同時に、特別支援教育の弱点部分に大きなウエイトを置いていると言えます。しかし、同時に『合理的配慮』の提供がインクルーシブ発想のもう一つの大きな柱のはずです」(p. 124より引用)
とはいえ、このようにして本書の一部分を抜き出してみても、インクルーシブ教育の本質は伝わらないかもしれません。しかしだからこそ、本書からまとまった情報を手に入れて、その本質を掴んで欲しいと思います。
インクルーシブ教育について関心がある方は、ぜひ一度手に取ってみてください。
インクルーシブ教育が導入された背景には、どのような歴史があったのでしょうか。LITALICO発達ナビ(2016)などを参考にしてまとめてみます。
①日本では昭和の時代が終わる頃、養護学校が義務化された
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これによって、
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②重い障害のある子どもにも、教育の機会が等しく保障されるようになった
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しかし、
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③障害のある子どもは、障害のない子どもから分離され、地域の人たちと関わる機会も奪われていた
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そのようななかで、
↓
④1981年の国際障害者年で「障害のあるすべての子どもを通常学校へ」というメッセージが掲げられ、新しい教育(=インテグレーション教育)の方針が示された
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これによって、
↓
⑤障害の有無に関係なく、同じ場所で学ぶことが推進されたが、サポートが必要な子どもに対する支援体制は十分ではなかった
↓
そして遂に、
↓
⑥1994年、障害の有無に関係なく、すべての子どもが望めば、適切な配慮を受けながら、地域の特別学級で学べる教育(=インクルーシブ教育)の理念をユネスコが提唱した
このように変遷を経て、日本でも2010年にインクルーシブ教育推進に向けての取り組みが開始したのです。
LITALICO発達ナビを参考に、インクルーシブ教育の課題を2点整理してみましょう。
①インクルーシブ教育という理念を取り入れた具体的な授業実践や環境整備
②子どもの能力や困っていることに応じた支援
インクルーシブ教育の理念が共有されたあとは、それを実際に生かした取り組みが求められているといえるでしょう。
具体的には、どのような教育実践が行われているのでしょうか。
独立行政法人国立特別支援教育総合研究所の「インクルーシブ教育システム構築支援データベース(インクルDB)」では、文部科学省の「インクルーシブ教育システム構築モデル事業」で取り組まれた300件を超える実践例(2017年3月31日時点)が確認できます。
たとえば、特別支援学校に在籍する小学生の児童が、段階を経て、居住地にある学校との交流を充実させていった事例などを知ることができるのです。教育関係者やインクルーシブ教育の実践に興味がある方は、ぜひ確認してみてください。
- 著者
- 赤木 和重
- 出版日
- 2017-01-16
諸外国の教育システムを見ていくことで、自国の教育システムの到達点や課題などがより鮮明になることがあると思います。今回は『アメリカの教室に入ってみた: 貧困地区の公立学校から超インクルーシブ教育まで』で、アメリカのインクルーシブ教育をのぞいてみましょう。
発達心理学・特別支援教育学を専門とする著者は、アメリカで20近い幼稚園や小学校へ見学に行きました。そのうえで、アメリカの障害児教育の現状を以下のように表現します。
「こんなに(障害児)教育が進んでいて、こんなに(障害児)教育が遅れている国はない」(p. 198より引用)
どういうことかというと、アメリカでは(社会的な背景も踏まえれば、一方的に批判できないといいますが)貧困地域と裕福な地域にある公教育に大きな差があるということです。とはいえ「基本的なインクルーシブ教育」(p. 199)は、どの地域でも目指されているといいます。
しかし貧困地域では、「とりあえず同じ場にいるだけということ」(p. 199)も見られたそうです。一方、裕福な地域では、TAの付き添いや教育方法への工夫、余裕のある教育予算を背景とした「豊かな教育」(p. 199)がありました。
ひるがえって日本では「『皆と同じ』志向の教育が、少なくない子どもたち、特に、独自の感性や資質を持っている子どもたちを生きづらくさせているのも事実」(p. 203)と指摘。
インクルーシブ教育の実現に向けては、「同年齢学級を前提に、『皆と同じように(sameness)』学ぶ、しかも、「つながり(relationship)」を重視するという価値観の中で教育を進めることは、相当困難」(p. 205)をともなうと主張し、同年齢学級主義の再検討を求めます。
本書の良いところは、日米の教育に優劣をつけない点だと感じました。どちらかの教育が神格化されることはなく、それぞれの課題・到達点を知ることができるのです。さらに研究者であるからこそ、適切な分析がなされている一方で、文章は硬すぎず読みやすい点も、本書をおすすめしたい理由です。
- 著者
- 柘植 雅義
- 出版日
- 2013-05-24
今回の記事はインクルーシブ教育についての記事ですが、そもそも「障害とは何なのだろうか」と考えたり、「特別支援教育は、どのような道筋をたどってきたのだろうか」と思われたりする方もいたかもしれません。そんな方におすすめしたい1冊が『特別支援教育: 多様なニーズへの挑戦』です。
たとえば、第1章2節「障害とは何か」では、WHOが発表した国際障害分類(ICIDH)や国際生活機能分類(ICF)を紹介します。ここでは、障害観の捉え方やその変遷などを学ぶことができます。
また序章でも「障害とは何か」という節が設けられています。そのなかで著者は、障害を以下のように説明します。
「障害とは、その『個人』だけの要因で生じるものではなく、『個人』と『環境』との相互作用で生じるものであり、環境をうまい具合に整えることによっても、困難を軽減することは可能である。場合によっては、困難をなくすこともできるかもしれないのである。このような考え方は、今では国際的な標準となっている。(中略)『本人の努力』とともに『周りの環境の調整』が大切なのである」(pp. 15〜16)
特別支援教育について関心がある人に、ぜひ手に取ってもらいたい1冊です。
1冊目にご紹介した『インクルーシブ教育ってどんな教育?』によれば、「『障害のない人が障害のある人をインクルードする』ということではなく、『誰もがお互いをインクルードする』ことこそがインクルーシブ教育」といいます(同書より引用)。
昭和の時代が終わる頃に養護学校が義務化された日本では、その後の国際的な流れも受けながら、2010年にインクルーシブ教育の推進に向けての取り組みがスタートしました。課題としては、具体的な授業実践や環境整備、子ども一人ひとりに対応した適切なサポートが挙げられます。
また実践例としては、日本のほかに『アメリカの教室に入ってみた: 貧困地区の公立学校から超インクルーシブ教育まで』とともにアメリカの例もご紹介しました。
インクルーシブ教育というと、自分は関係ないと思う方も少なくないかもしれません。しかし「障害のある子どもだけが対象ではなく、あらゆるマイノリティにある人たちが『当事者』であるべきですし、マイノリティ、マジョリティにかかわらず、相互の違いを認め合える世の中をどうつくっていくかが問われる教育」(『インクルーシブ教育ってどんな教育?』より引用)といった言葉からは、誰もが関心を持って考えていく必要のある教育であることが感じられると思います。