短劇
坂木司さんによる、読んだ後、気づかないうちに生活に影響されてしまう短編集。上の二つの本のような言葉のトリックや上手さといったものより、アイデアや新しい価値観がそのままの形で飛んでくるような感覚を覚える本である。着飾らない表現であるが故に、その威力は強い。日常のどこかで見たことのある景色と、物語の言葉がリンクするのである。
例えば、「ビル業務」では日常見ている都会の景色に新しい価値観を与えてくれるストーリーだ。主人公がビルのトイレの壁に、人がなんとか通れるほどの隠し扉を見つける。そこを好奇心にまかせ進んでいくと、その先は異世界……などではなく、何とも奇妙な空間にたどり着く。そこで変わったコミュニティと出会うことになるのだ。深く考えてみると、どうしてこんなにたくさんのビルがあるのか、ビルの上層階など不自然なところにあるクリニックは誰が利用してるのか、などといった謎をこの物語が全て解決してくれることになるだろう。
多くの人が見落としてきた、新しい価値観に出会える一冊だ。
悪魔のいる天国
星新一さんによる作品が36編収録された、読み応えのある本。作品一つ一つのプロットや言葉のトリックが素晴らしく、それぞれの作品に、なるほどと頷かされてしまう。一体どこからこんなにたくさんのアイデアがやってくるのだろうか。短い文章の中に人の愚かさや残酷さ、時には美しさまでを描き出している。『悪魔のいる天国』というこのタイトルにも、読んだ後には合点がいくだろう。また、2ページ程で一つの物語が完結するものもあるので、移り気な方にもお勧めである。
幾つか因果応報とも言える、悪いことをした人が懲らしめられる物語がある。「誘拐」では博士のもとに、子供を誘拐したという電話が犯人からかかってくる。犯人は新しいロボットの設計図を要求するが、博士はその取引の前に子供の安否を確認したいと言う。そして、そのただの安否確認にまさかの仕掛けがあったのだ。こちらもページにすると5ページにも満たないのであるが、しっかりと人を驚かせるトリックが含まれている。こうした不必要なものを省いた、磨きぬかれたストーリーとたくさん出会えるのだ。
もっとたくさんの作品を例に挙げて説明しようと思ったが、こうしたストーリーは一つを解説すると、一つの感動を読む前の人から奪い去ることになる。まだ読んだことのない方は、ぜひ手に取って星新一ワールドにのめり込んでほしい。
鍵のない夢を見る
辻村深月さんによる、直木賞を受賞した作品。五つの珠玉の物語が詰め込まれている。数年前に書店で、タイトルに詩的な響きを感じて手に取ったことを覚えている。そして読んだ後に、これは読んで良かったと強く思えた本だ。
どの物語も主人公が女性であるという共通点があり、様々な女性の側面が描かれている。最後に収録されている「君本家の誘拐」では、子育てをしている女性が主人公である。子育ての大変さや、子供を大切に思うが故に追い詰められていた心理が、数奇な誘拐事件へと繋がっていく。けっして長くはない物語の中でも、時間の流れとその時々の心理状態の変化が細かく描写されており、それが物語に奥行きを与えている。
読み終えると、五つのどの物語にも共通して、波のように寄せては返す緊張感が流れているように感じられた。葛藤、気まずさ、後ろめたさなど、言葉にはし難い心情も上手く表現されている。女性が読むと、また自分とは違った感想を持つのかもしれない。共感するシーンや、その逆のことを思うシーンもあるだろう。男性である私にとっても、理解し難いのに共感できるという、なんとも不思議な心境に至った。
紹介した他の短編集とはまた違った、研ぎ澄まされた刃のような、リアルな存在感のある物語達である。一度読めば心に残って、また誰かに勧めたくなる一冊だ。