三大奇書の1つ『虚無への供物』を代表作とし、様々な耽美的かつ幻想的な作品を生み出した中井英夫。テーマに基づいた美しい作品集は必読です。今回はその世界を惜しみなく感じることのできる5冊をご紹介します。
1922年生まれの作家、中井英夫。“日本三大奇書”と呼ばれる幻想的かつ怪奇な三冊の本のうちの一冊、『虚無への供物』を書いたことでも有名です。
中井英夫という名儀は本名ですが、そのほか塔晶夫(とう・あきお)や碧川潭(みどりかわ・ふかし)という名前でも活動していました。代表作である『虚無への供物』も刊行当初は塔晶夫名義で発表されていたもので、彼を一躍有名にするまでは長い時間を必要としました。
小説家としての顔以外に角川書店の編集者としても活躍しており、歌人の寺山修司や春日井健の才能を見出したのも彼です。また、幻想耽美小説を代表する作家である澁澤龍彦とも交流が深かったそうで、独自の世界観を持つ作家たちの中枢となる存在だったことがわかります。
自身の持つ性癖やコンプレックスなどが糸を引いていたようで、美少年でありながら自身の顔を激しく否定する発言などが記録に残っています。
薔薇、人形、同性愛、偏愛などのテーマを扱いながら冷静な文体を持つ中井英夫の小説。その魅力は、彼の独自の美意識と、類まれなる文才から生まれ出たものなのでしょう。
宝石商で成り上がり大富豪として成功した氷沼家では、家族の不可解な死が続いていました。それは病死や事故死に始まるのですが、明らかに氷沼家の血筋に関わる者ばかり連続で死んでいるのです。
そんな折、駆け出しのシャンソン歌手として活動しつつラジオライターとして働く奈々村久生(ななむら・ひさお)は、氷沼一族の一人である大学受験生、氷沼藍司(あいじ)と共通の友人を通じて知り合います。自称推理力のある奈々村は、氷沼家の悲運を藍司から聞き、“これから起こる殺人事件”の推理をはじめます。
- 著者
- 中井 英夫
- 出版日
この小説が何故アンチミステリーと呼ばれているかというと、それは、小説に出てくる全ての登場人物が、読者という存在を知っているからです。
本の中の物語は本の中だけでとどまらず、読者の存在まで包括し、ラストでは読者に対して推理小説そのものの定義を覆すような答えを見せてきます。そもそもミステリー小説とはどういうものを指すのか?どうしてそれがミステリーになりえるのか?こんな俯瞰した疑問を、中井英夫は小説という形で読者に掲示したのです。
謎解きのプロセスは、民俗学や色彩学、植物学などのマニアックな知識を集め、シャンソンの音も取り入れながら幻想的な雰囲気を醸し出して進みます。知識が浅いとわからない言葉に出会うかもしれませんが、”雰囲気”という形で中井英夫の文体を楽しんでもらえるのではないかと思います。
面白いのは、家族が死んでいることに対する登場人物たちの無感情なところ。これがラストへの伏線にもなっていますので、ご注目ください。
精神科の教授が建てた医院“流薔園”は、精神病患者の見る夢をコレクションし、幻想博物館として展示することを目的につくられた場所。広大な薔薇の園に囲まれた“流薔園”で、”私”は院長からコレクションされている妄想、夢、幻想を聞かされていきます。
例えばそれは、夢想の中で妻を殺す男の話。あるいは、寝台を愛してやまない家具職人の殺人とその理由について。ところで、それを聞いている”私”はどうしてここに……?
幻想博物館に集まった夢想を紐解く形で、13のストーリーが展開します。
- 著者
- 中井 英夫
- 出版日
- 2009-12-15
『とらんぷ譚』は、収録されている短編がエースからキングまでのトランプに見立てられています。本書は第1巻としてスペードを表しており、同様の構成の他3冊をそろえて全てのスート(マーク)がそろう仕掛けです。
本書『とらんぷ譚(1) 幻想博物館』は、中井英夫が好むモチーフである”薔薇”や”美貌の少年”、”偏愛者”などが度々登場し、中井ワールドを楽しめる一冊となっております。
全てが夢という設定なので、眠る前に一作ずつ読んでいくのが良いのではないでしょうか。一気に読むと、あなたも何かの夢想に憑かれてしまうかもしれません。
人形遣いの男・鬼頭(きとう)が語る、人形にまつわる物語が集められた短編集です。
母を知らず父に育てられた娘。彼女は本当の愛を求め次々と男に手を出し、放浪癖のある男と恋に落ちてしまいます。母の過去、出生の秘密を探るうちに彼女はある違和感を感じ……。(真夜中の鴉)
過去のある体験が原因で、体が不自由な男性にしか性欲を充たされない女がいました。体の不自由な軍人は、彼女の性欲の餌食になってしまいます。女が軍人に抱く感情は欲なのか、愛なのか、それとも……?(跛行)
- 著者
- 中井 英夫
- 出版日
本作は、春夏秋冬の季節にあわせて各3話ずつの短編となっていますが、人形遣いが語る形式であることと、全てが”人形”というテーマに基づいていることが共通した連作長編とも捉えられます。
”人形”の解釈のしかたも話によってそれぞれです。例えば、身体的に自由を失ったことによる動けない”人形”というもの。あるいは、過去や環境という糸に縛られて操られる”人形”というものも。
描かれる人物はどこかが不自由で、それが故に美しく魅惑的です。季節ごとに読者に与える印象も変えており、春は耽美、夏は恋愛、秋は推理、冬は暗黒……といった形で分けられています。
そして、「かく語る人形遣い自身が実は何者かによって操られているのでは?」という入れ子構造を垣間見せるテクニックにご注目ください。
”薔薇”をテーマにした短編集です。
男女の裸体を薔薇の棘で刺す嗜好を持ったエグジール候の宴に贄として捧げられる予定の少年と、その少年に痛みの訓練を施す牧童頭セレストの奇妙な主従関係。極度な調教を繰り返すうち、セレストは美しい少年に対して興奮を覚え始めます。(薔薇の縛め)
もしも火星の状況下でも生育できる植物があったとしたら?ソ連の実験の結果生まれたらしい魅惑の薔薇を、看護婦の肌に植え付けようと試みる車椅子の男はやがて……。(火星植物園)
- 著者
- 中井 英夫
- 出版日
薔薇にまつわる耽美な作品を集めており、一部は『とらんぷ譚』などの他短編集に含まれる作品となります。中心に薔薇を据えたことで、濃厚に香る中井英夫の文章を色濃く感じることができるでしょう。
本作の魅力は短編そのものはもちろん、末尾に添えられている著者による作品解説です。
中井英夫の作品は理論武装的なトリックではなく幻想的な仕掛けが多く、中には靄に包まれたようなラストを迎えるものもあるため、解説は欲しいところ。人によって解釈も大きく分かれる作品なので、本人の模範解答と自分の解釈を比較する楽しみがあります。
『虚無への供物』の主要人物だった奈々村、光田、藍司。時はあれから20年が経ち、3人は”愛読者を探す登場人物”として何気なくあの頃を振り返ります。(空しい音)
54枚のトランプに見立てられた短編が紡いだ『とらんぷ譚』の”ジョーカー”として描かれた、ある奇術師の物語。この作品自体が、彼の仕掛けた奇術なのかもしれません。(幻戯)
上記の他にも、執筆中の中井英夫の苦しみ、葛藤、倒錯した思いを描く日記。彼の胸の内や、作品を生み出すプロセスを物語る詩。それらが全てひとつの幻のように、連なっていきます。
- 著者
- 中井 英夫
- 出版日
本作は、全ての中井英夫作品を読んでなお、彼の世界にもっと迫りたいという方に読んで頂きたい1冊です。もともとテーマを定めて短編を描いていく構造が美しい中井の作品ですが、そのエピローグやスピンオフにあたる作品を集めた一冊が本作となります。
一見、耽美な世界やミステリー、幻想的なテーマは息をひそめていますが、ファンであれば最も中井英夫らしい一冊と感じるでしょう。
いかがでしたか?中井英夫の作品は、構造の仕掛けやアイテムの幻想的な配置が魅力です。また、同性愛や束縛に対する美しい描写もみどころ。眠れない夜に不思議な夢へ誘う中井の作品で、ぜひあなたも目眩のするような世界に浸ってみましょう。