『天才柳沢教授の生活』『不思議な少年』などで多大な人気を誇る山下和美。深い洞察力で「生きるとは?」「人間って?」など根源的な問いかけをし、大胆なストーリー展開と繊細な情景描写で読者を惹きつけるおすすめの作品5選をご紹介します。
山下和美は1959年8月15日生まれ。4姉妹のうち、姉ふたりも少女漫画家で、父はのちの『天才柳沢教授の生活』の教授のモデルになった大学教授です。
19歳のとき(1980年)、処女作が『週刊マーガレット』に掲載され、デビュー。少女誌を経て、青年誌『モーニング』に掲載された『天才柳沢教授の生活』や『不思議な少年』でブレイクしました。『ランド』では、山下和美の得意な1話完結のスタイルから一転し、時代もののファンタジーに挑戦し、新たな魅力を見せました。
いずれも、「人生とは?」「人間とは?」「生きるって?」「幸せって?」「信じるとは?」というような、生きていく上での根源的な問いかけをさせる作品になっていて、読者はおのずと考えこんでしまうでしょう。
繊細でやわらかな印象を与える描線が特徴的で、読者を唸らせるストーリー展開やテーマ性を伴い、根強い固定ファンを獲得しています。
また、自宅を数寄屋づくりで建築するコミックエッセイ『数寄です!』も、実録もののような味わいがあり人気を博しています。NHKのテレビ番組「浦沢直樹の漫勉」で山下和美が取り上げられた回では、実際に仕事場兼自宅の数寄屋づくりでつくられた建物が登場し、インタビュアーの浦沢直樹が感嘆する場面もありました。
山下作品のテーマには、場所や時代が変わっても、不変の問いかけや普遍性のようなものが感じられます。まるで、描かなければいけないことを描いているように。その点でも、山下和美は、テーマ性の強い作家であると言えます。
端正な美貌をもつ、金髪碧眼の謎の少年。時代を行きつ戻りつしながら、舞台は宇宙の遥か彼方、開拓地帯までおよぶ壮大なストーリーです。1話完結で、各回ごとに少年以外の登場人物は入れ替わります。
- 著者
- 山下 和美
- 出版日
- 2001-10-23
少年は永遠の命を持ち、「人間って、なんだろう?」と観察します。ときに侮蔑し、ときに愛し、寄り添い、説き伏せ、試し、賭けをすることさえも。人間の生き方と命を見つめていきます。
残酷なまでの極限状態にある様子も描いていて、物語であることを忘れてしまいそうになるほどの描写力で、読者を作品に入り込ませてしまう力があります。
2巻で主人公の少年は、死刑を宣告されたソクラテスと出会うことに。「死んでみるまでは死を分からない 分からないことを恐れてもしょうがないのさ」と言うソクラテス。究極の謎を問いかけられることによって、少年ははじめて自分の限界を自覚します。
そして、「これからもたくさん人に会うといい」「君にとって 人間は取るに足らんものかもしれないが得るものはきっとある」「通り過ぎずに話しかけてやってくれ」と、ソクラテスから遺言を残され、人間に対しての見方が少し変わったのかもしれません。
集団心理やヒステリック、欲にとり憑かれる恐ろしさや自分勝手さなど、目をそむけたくなるような人間の醜悪な部分を露骨に描写する一方で、純粋さや素朴さ、愛すべき素質も描かれています。読者は一歩立ち止まり、「自分はどうだろう?」と省みることになるのです。
もちろん、作品を「とある物語」として、おもしろく楽しく読むこともできますが、作中の言葉のかけらや切れ端から作品の深淵を覗いてしまった時に、読者が思わず唸ってしまうようなテーマに気づきます。
好奇心旺盛な主人公・杏(あん)は、いつでも何にでも興味を持って、だれかれ構わず「あれは何?」「どうして?」と聞いてまわり、「山の向こうには何があるんだろう?」と好奇心を持て余しています。杏の父は、村のある役目を担っていて、両目をえぐられていますが……。
- 著者
- 山下 和美
- 出版日
- 2015-04-23
『ランド』を読んでいると、「当たり前」「当然」と想定していたことは、人の心のなかにある固定観念にすぎないと突きつけられてしまいます。
1巻の冒頭に、次のナレーションがあります。
「果たして この世が本当に 在るのか ということさえも 証明されてはいない
私がいて あなたがいる それしか実感として 感じられない
まあその実感すらも 本物かどうかは分からないのだが」(『ランド』より引用)
これが『ランド』のテーマに深く結びついていると言えるでしょう。「不吉の予兆」「凶相」という、村の「常識」さえも証明されていない、本物かどうか分からないものだと、読者は気づかされていきます。そしてふと思うのです。「私たちのいる現実はどうだろう?ランドと変わらないのではないか?」と。
時代もののファンタジーを通して、人間の本質に迫るストーリー。「常識を疑え」とは、「自分を信じすぎるな」ということなのかもしれません。凝り固まった「暗黙の了解」を覆してくれる『ランド』の世界に浸ってみてください。
『天才柳沢教授の生活』は、山下和美が青年誌にはじめて描いた、規則正しい生活を送ることをモットーとする大学教授・柳沢良則(やなぎさわ・よしのり)の日々の生活を描いたコメディタッチの作品です。
- 著者
- 山下 和美
- 出版日
- 1989-09-20
妻と娘、学生など教授をとりまく人々は、なぜか教授の手のひらでくるくると踊らされてしまいます。一方教授は自分のペースを乱されないかぎり、フラットな状態を保ち続ける、常人ならざるマイペースぶり。そこには、何か生きるうえでの真理に近いもの、たとえば「なぜ死ぬのか?」というような問いかけがなされ、そして、教授はその答えを探しているのかもしれません。
主人公・柳沢教授のモデルとなったのは、作者・山下和美の父親。変人とも受け取られかねない柳沢教授を「愛すべき探究者」として、また、「自分を貫く追求者」として描くことができたのは、山下和美の父親への愛あるまなざしがあるからでしょう。
再会した幼なじみから「世間となあなあでやっていけねーだろー」と言われても、教授は「なあなあではありませんが私は私の意思の通りに生活しています」と、世間ずれしていない自覚が教授にはあります。意図的な行動なんですね。
一方で、教授はこうも言っています。
「私も変わりません。ですから私なのです」(『天才柳沢教授の生活』より引用)
その人がその人らしくあること、あり続けることが、その人であること。教授の浮世離れした言動は、教授の中では一貫していて、「ふつう」の行動、あるいは「こうしていたい」行動といえるのかもしれません。
教授は、相手がどんな格好をしていても、浮浪者だろうと、髪を逆立てたパンク青年だろうと、差別しません。邪険にも扱わず、邪魔にならない教室の端で寝るように促し、文法を注意するのです。そんなところが柳沢教授のチャームポイントなのかもしれません。
『数寄です!』は、数寄屋づくりの自宅を建てることになるコミックエッセイです。主役はもちろん、「私」こと、作者の山下和美。そして、この作品で重要な役割を担い、『数寄です!』の監修も担当している蔵田さん。このふたりを中心に描かれています。
- 著者
- 山下 和美
- 出版日
- 2011-04-20
コンクリートでつくられたマンションやアパートで暮らすことが多い首都圏では、自宅でも賃貸でもご近所とのトラブルはつきものです。たとえば、騒音。漫画家業の山下和美は、締め切り前の徹夜も当たり前なわけで、物音ひとつが気になるというのも仕方のないこと。
また、水回りのトラブルや、事前の工事など……気苦労が絶えません。ほとほと困って、自分が描いている世界のようなところで生活したいと感じ始めるのです。
山下和美のケースでは、それが「和」だったんですね。そして、数寄に傾倒して大学院まで出ている蔵田と共鳴し、多難を乗り越えて数寄屋の家屋を建ててしまいます。
土地探しやお金の交渉、詳細な打ち合わせなど、具体的な「数寄屋の家を建てるまで」の手順書としても実用的に読むことができる内容になっているので、「わが家も数寄屋にしたい!」という方にも読みやすい指南書となっています。
『寿町美女御殿』は、山下和美が女性コミック誌に描いた嫁姑テーマの作品です。大学入学と同時に上京してきたばかりの菅平彰造(すがだいらしょうぞう)が、男性限定・家賃1万円という破格の物件を見つけて引っ越してきた家は、なんと4世代の嫁姑とその娘が暮らす女性一家。「殺される」と叫ぶ姑、入居する部屋にいる女子高生、廊下を歩くエリザベス女王(の幻影?)。ここはいったい……?
- 著者
- 山下 和美
- 出版日
- 2004-11-19
嫁姑問題というよりも、女だけのファミリーコメディといった趣です。加えて、大おばあ様の難題「素敵な恋愛をした者が遺産相続人になる」という恋愛バトル要素もあります。
山下和美の作品にはブラックな要素も含めたコメディタッチで描かれる場面も多いのですが、『寿町美女御殿』は、作品全体にコメディのムードがたちこめています。
玲(れい)の修学旅行の流れは、山下和美特有の語り口でどんでん返しがあり、スカッとするので読み応え抜群。冒頭で「?」と思われ方も、1巻後半の修学旅行までは読んでみてください。