ノラや
内田百閒さんによって書かれた『ノラや』は1950年代に書き始められた随筆である。夏目漱石を師に持ち、独特のユーモアや文体を持つ作家だ。飼い猫であるノラを溺愛し、その生活を描いた、読めば猫が愛しくて仕方なくなる本である。
その名前の通りノラはもともと野良猫だった。“野良猫を野良猫として飼つてゐるつもりであるが、次第に家の中に這入つて来て、居直つた形である。”とあるように、最初はただ餌をあげていただけの存在が、気がつけばなくてはならない存在になっていたのである。前半の何でもない猫との生活の描写は、猫の自由な生活が活き活きと描かれていて、いかに作者が猫を愛して観察していたのかを感じ取ることができる。
1年半ほど共に暮らし、ある日ノラは失踪してしまう。中盤からはノラを失った作者の悲しみの日々がこれでもかという程描かれていて、ノラを家族のように大切にしていた気持ちが痛ましいほどに伝わってくる。ノラの兄弟ではないかと思われるクルツという猫も登場するが、それでも胸にあいた穴は埋まらず、ノラを想う日々は続く。
ノラへの愛情を中心に、様々な角度から猫との生活を読むことができる。この時代の猫との暮らしをこの時代の文体と共に味わうことができる一冊だ。
アンドロイドは電気羊の夢を見るか?
動物というくくりに入れるには一風変わった本を紹介する。フィリップ・K・ディックによって描かれたSF小説。第三次世界大戦後の世界が舞台になっており、地球は放射性降下物、死の灰により多くの生物が絶滅していた。この世界では生きている動物を所有することが地位の象徴となっており、主人公のディックも喉から手が出るほど動物を欲しがった。“これでおれも動物の飼い主になれたんだーそう自分にいいきかせた。それも電気じゃない、生きた動物”。こうした主人公の言葉から、いかにこの世界では動物を飼うということが誇らしいことであるかがわかる。
またこの時代はアンドロイド、いわゆるロボットが見た目や会話では人間と区別できない程精巧に作られていて、人とロボットを区別する為のテストが存在する。中には過去の記憶を埋め込まれ、自分がアンドロイドであることを自覚していない者もいる。
これは哲学的な他我の問題も内包している小説である。物語の中でも「感情移入」というキーワードが出てくるが、主人公は生き物ではないはずのアンドロイドに感情移入をしてしまうようになり、それによる葛藤も描かれている。感情移入してしまうことがアンドロイドに心があることの証明にはならないが、精巧に作られたロボットの「心」に読者も共感してしまうだろう。
他にも様々な要素が組み込まれた小説で、前半は訳本特有の読みにくさもあるかもしれないが、読み進めていくと気がつけばこのSFの世界にのめり込んでいるだろう。
三匹のおっさん
果たしてこれを動物のまとめに入れて良いのだろうか。これは動物とはまったく関係のない小説だが、「三匹」と書いてあるということで許してもらおう。以前にも紹介した作家、有川浩さんによる三匹のおっさんシリーズの第1冊目である。
子どもも大人もヒーローが好きである。空を飛ぶヒーロー、怪力のヒーロー、魔法を使うヒーロー、ヒーローには数あれど、こんなにも味のあるヒーローが今までにいただろうか。なんでもない、普通のおっさん達がとにかくかっこいい小説だ。そして世界を救うのではなく、身の回りにいる人たちを救うのである。
清一、重雄、則夫の三人は子どもの頃から「三匹の悪ガキ」と呼ばれていた。三人は還暦の年を迎え、自警団を結成する。それぞれ剣道、柔道、機械の達人で、身の回りの人を悪の手から守るのである。
勧善懲悪の気持ちをスッキリさせくれる小説で、日常の家族に対する不満や上手くいかないことも身近に感じられ、将来こんなおっさんになりたい、という気持ちにさせてくれる。とにかく読みやすいので、元気になりたい人におすすめ。動物は関係ないが、まだ読んだことがなければ是非読んでほしい。