絡み合う「禁断の愛」
著者
桜庭 一樹
出版日
2010-04-09
“私の男は、ぬすんだ傘をゆっくりと広げながら、こちらに歩いてきた。”
明日結婚する娘と、その養父が雨の中で待ち合わせする一行から始まる小説、桜庭一樹さん『私の男』です。
養父を見つめる娘「花」の視線には、親子の待ち合わせとは思えないものが感じられます。
そもそも「私の男」ってどういうこと……?
書き出しからしてただならぬ湿気と色気。
前回が『夜は短し歩けよ乙女』だったので、
乙女から男へ! めくるめく大人世界に憧れる女子大生から訳ありの養父へ! すっかり飛んだね。
“店先のウィンドゥにくっついて雨宿りしていたわたしに、ぬすんだ傘を差し出した。その流れるような動きは、傘盗人なのに、落ちぶれ貴族のようにどこか優雅だった。これは、いっそうつくしい、と言い切ってもよい姿のようにわたしは思った。”
花のためにためらいなく盗まれた傘は、四十歳の養父・淳吾が差してくるには不似合いな赤い花柄です。
優雅で惨めな淳吾の不安定さと、傘を盗んできた養父をうつくしいと言う花のほの暗い情愛が作品全体を湿度で包み、不穏な魅力を匂わせています。
オホーツク海のそばで二人きり暮らす淳吾と、花。
花が結婚する24歳から幼少期までをさかのぼり
お互いを見つめながら堕ちていく日々は、読者の心を奥深くまで突き刺しえぐるようです。
暗闇でどうしようもなく抱き合って生きる二人の鮮やかさに、わたしの持っていた禁断の愛についての認識は揺さぶられてしまいました。
禁断の愛って何なんでしょう。
いやそもそも、恋も愛もよくわかんねえよ……。
だけどこの胸がこんなに苦しいのは、どうしてですか…桜庭さん……!
と雨の中を駆け出したくなったら、さあ、電線を探しましょう。
冒頭の一行はこのように続きます。
“日暮れよりすこしはやく夜が降りてきた、午後六時過ぎの銀座、並木通り。彼のふるびた革靴が、アスファルトを輝かせる水たまりを踏み荒らし、ためらいなく濡れながら近づいてくる。”
銀座の並木通りには名前の通り青々とした街路樹が並んでいるのですが、電柱はとんと見かけません。
それもそのはず、銀座は早くから無電柱化が進んでいるエリアなのです。
大通りはもちろん、一本入った小路でも電柱はほとんどありません。
雨に濡れる銀座の街で、一人の女のためにゆっくりと開かれる傘は電線の無い街できっと美しいのでしょう。
だけど電線が無い路地なんて、さみしくない?
と思って先日、意地になって銀座のいい電線を探してきました。
ほーら! あったよ、あったよ電線!
銀座にもまだ電線はあったんだ! うわーい!!
『私の男』は禁断の愛が絡み合う作品ですが、
電柱の新設ができなくなった東京では私の強い電線愛だって、もはや禁断の領域へと足を踏み入れているのかもしれません。
作品の中では一枚の写真が二人の運命を大きく変えてしまいます。
私の撮影した電線の写真も、もしかするといつか誰かの運命を変えてしまうかもしれない……と雨降る街を物思いにながめるのです。
そういえば前回書いた例の「乙女ワンピース」がついに届きました!
白い丸襟がついた鮮やかな朱色のワンピース、鏡で当てて見たものの本当にこれで外へ出てよいものだろうかと迷います。
しかし凍えるオホーツク海の流氷のように、一度動き出してしまったものはやすやすと止めることはできません。覆水盆に返らず。馬子にも衣装。
人前で、着ちゃうもんね……。
石山蓮華