僕の家には猫がいます。今月で2歳になる三毛猫(♀)です。
元は捨て猫だったのですが、彼女を拾ってから生活が一変しました。
一人暮らしは自由気儘で楽しいですが、時に言いようのない寂寞に襲われるもの。特に仕事を終え疲労困憊で深夜に帰宅し「ここからコンビニで飯買って食うの?」みたいな瞬間が一番キツイ。
そんな時に猫です。晩飯は用意してはくれないものの、玄関まで出迎えてくれ「おかえり」と一鳴き、「撫でろ」とばかりに横たわります。仕事量は明らかに増えていますが不思議と癒されます。
寝る時は枕の横で寝てくれます。同じ布団では決して寝ません。それがまた良い。その素っ気なさが。
友達のようで、恋人のようでもある、戯れてる時は敵になり、我が子のように飯をねだる。
そんな凡ゆる関係のメタファーとして「家族」になってくれる「猫」。
今日はそんな「猫」の魅力たっぷりの本を持ってきました。
これを読んで是非猫派になって頂戴。
「吾輩は猫である」
- 著者
- 夏目 漱石
- 出版日
- 2016-06-24
“吾輩は猫である。名前はまだ無い。どこで生れたか頓と見当がつかぬ。”
中学校の英語教師に飼われている猫である「吾輩」の視点から、飼い主一家やそこを訪れる彼の友人、門下の書生たちの人間模様をユーモラスに描いた夏目漱石の長編小説。
猫といえばコレ。言わずと知れた日本文学の金字塔。飼い主である中学教師のモデルは漱石自身であり、「吾輩」も実際に夏目家に迷い込み住み着いた野良猫がモデルだそう。漱石の実体験を基にしているためか、猫の描写が素晴らしくリアル。
“実はこの猫は人間の言葉を解しているのではなかろうか? それでいて憮然とした態度で「猫を被っている」のではなかろうか?”という、余りに堂々とした風格の野良猫などを前にした時に人間が抱く疑惑をそのまま文字に起したような小説で、人間の慣習などを奇異な目で観察する「吾輩」の微妙な表情が浮かんでくるようです。
この「本来名前が無い、文字では表現不可能な表情や感情」をエピソードの描写により読者にリアルに想起させる、それこそが「文学」の真髄であり、この小説にはそのすべてが詰められています。
ところでこの『吾輩は猫である』ですが、夏目漱石の処女作だそうです。
猫のその素っ気ない、時に深い憂いすら感じさせるその瞳や佇まいは、いつの世も芸術家の想像力を刺激するものなのかも知れません。
「ヤコとポコ」
- 著者
- 水沢悦子
- 出版日
- 2014-05-08
“ヤコ 本当にボク てきとうモードにしてよかった?”
“うん”
“ヤコもてきとうモードだから?”
“うーん……”
過度に発達した機械の暴走で多数の死者を出し、インターネットは廃止、通信機器が大幅に規制されることになった“通信革命”から50年。適度に文明水準を調節された近未来の漫画家・ヤコとアシスタント・猫型ロボットのポコ。少し不便だけど、ゆっくりと優しく流れる“革命後”の時間を描くSFコメディ。
『花のズボラ飯』の水沢悦子氏の最新作。秋田書店の季刊誌「もっと!」にて現在連載中。
ロボットが経済を回す近未来にも関わらず、件の“革命”でコンピューターも無く、文明としては現代かそれ以下というチグハグさが絶妙。
SF的ギミックも独創的で、ロボットは「かんぺき・てきとう・ダメ」の3段階の「モード」を購入時に設定でき、変更は不可能……などグッとくるものばかり。
また“現在連載中の漫画”には格別の良さがあります。
一気読みが爽快な“完結した漫画”とは違い、リアルタイムでその作品の続きを楽しみに日々を過ごせるのもまた“連載中”ならでは。刊行ペースは決して早くはない故に、目紛しい毎日の中、いつも心のどこかで新刊を待ち侘びるゆったりとした波長があり、発売日のことを思うだけで少し幸せになれる。
リアルタイムで付き合えた作品はきっと生涯心の支えとなり得ます。
特に『ヤコとポコ』はそういう作品だと思います。