第二次世界大戦後、混迷の時代を生きた多くの人々に支持されたのが実存主義でした。近・現代社会を考える上で実存主義の考え方は避けては通れないものです。今回はそんな実存主義を学ぶ入門編にオススメの書籍をご紹介します!
「実存主義」や「実存」というフレーズは哲学・思想について書かれた書籍の中で度々目にすることがあるかと思います。では、この「実存」とは一体どのようなものを指すのでしょうか?
哲学用語としての「実存」という言葉の誕生は、古代ギシリャの哲学者・アリストテレスを中心として発展したスコラ哲学まで遡ります。スコラ哲学において「実存」という言葉は「本質」という用語と対になる概念として用いられました。
スコラ哲学で言うところの本質(本質存在)とはある事物が一体何であるのかを定義する原理であるのに対し、実存(現実存在)はそれらの事物が現実に存在していることそのものを指します。つまり、鉛筆というのは何かを「書く」存在であるというのが「本質」、そのような本質が明らかにされる以前に、まず現実にただそこに鉛筆が転がっているというのが「実存」というわけです。
その後、中世西欧世界ではこの本質(本質存在)こそが神であり、人間は本質存在である神に作られたものであり、神に隷属するしかない存在だという意味合いで実存(現実存在)であると位置付けられるようになります。
このような神=本質存在を絶対的に優位なものと見做すキリスト教的価値観は中世西欧社会の仕組みに長きにわたって多大な影響を及ぼしました。一部の王侯貴族のために農民や一般庶民が奴隷のように働かされる身分制度もこのような考え方によって正当化されたのです。
中世における支配的な考え方では神が人の上に君臨し、人はその神を真似て作られた被造物・コピーであると考えられていただけではなく、人間はあらかじめ神様に役割を決められて生まれてくると考えられていました。神に人の世を統治することを役割として命じられた王侯貴族は神の代理人として、王侯貴族に支配されることが定められた他の人々を奴隷として支配して良いのだ、という考えが身分制を産んだのです。
しかし17世紀に入ると科学技術の分野が発展し、科学的・合理的思考が広く人々に浸透していった結果、人々は神の存在を疑いだすようになります。これまでの身分制度を正当化してきた根拠は他ならぬ完全な本質存在である神という存在でした。その根拠が揺らぎだすのに合わせて、この時期これまでの身分制度はガラガラと崩れだすのです。
そうしたことを皮切りに17世紀から19世紀にかけてヨーロッパは革命の季節に突入し、民主主義が誕生してきます。民主主義の訪れとは、すなわち神や王侯貴族に支配されない自由な人間たちが中心となる世界の到来でもありました。
自由な人間たち=実存が神や王侯貴族の支配を打ち破って世の中の中心となる時代、つまり実存優位の時代が訪れたのです。このような世界では人は皆自分の意思で住むところや仕事、結婚相手を選択し行動することができます。もう神や王侯貴族によって自分の役割を定められることはありません。
それは裏を返せば、もはや自分がどう生きれば良いのか指図してくれる人はおらず、あらゆる選択・行動の結果を自分自身の責任として引き受けなければならないということでもありました。この自由に伴う重い責任に当時の人々は困惑し、いかに生きれば良いのかを問うようになります。
このような不安の下に登場してきたのが、人間存在=実存を中心として物事を考えていく実存主義的な思想の数々でした。それらはその当時から「実存主義」という名前で体系化されていた訳ではなく、この時期から第二次大戦後に至るまでの間に生まれた、実存としての私がいかに生きるべきか?あるいは実存とはなんであるか?を実存というものを中心に据えて思考する思想を後の人々がまとめて「実存主義」と呼んだのです。
ここからは実存主義と呼ばれる代表的な哲学者・思想家を時代ごとにその著作とともに紹介することで、実存主義の歴史を概観してみたいと思います。
現在の実存主義における先駆的存在が、19世紀デンマークの哲学者セーレン・キルケゴールです。著作『死に至る病』はキルケゴールの代表作とされています。
- 著者
- セーレン・キェルケゴール
- 出版日
- 2017-04-11
キルケゴールはそれまでの哲学のように抽象的な概念としての人間一般についてではなく、自分も含めた一人一人個別の具体的な存在としての人間を対象にその哲学を展開しました。キルケゴールが実存主義の創始者と呼ばれるのもそれゆえのことです。
キルケゴールの思想で有名なのが「実存の三段階」です。これは初期キルケゴールにおける重要な概念であり、キルケゴールは人間という実存には「美的実存」「倫理的実存」「宗教的実存」の3つの段階があると主張しました。人はこれらの段階を弁証法的に乗り越えながら発展していくとされます。
第一の美的実存とは、富や名声、刹那的な快楽を己の欲望のままに追い求めようとする段階のことですが、キルケゴール曰くこのような享楽的な実存の行き着く先には絶望しかありません。(富はやがて枯渇しますし、盛者必衰は世の常、美貌や健康も老いや死によって失われるものだからです)
このような美的実存の享楽的な生活に人はやがて不安を感じるようになるといいます。そのような不安に駆られた実存が自己の利己的な欲望を満たそうとするのをやめて、次に到達する段階が「倫理的実存」です。
倫理的実存の段階では、人は良い人間、倫理的に正しい人間であろうと努めます。この段階は一見すると人間の目指すべき形に見えますが、キルケゴールはこの段階をも否定するのです。
なぜなら、一人の人間に成せる事には現実的には限界があり(これを哲学では人間の有限性と呼びます)いかに倫理的に正しい人間たろうと努力しても、その努力は必ず挫折するからです。例えば、他者の命を奪うことは倫理的に正しくないとされることが多いですが、人(動物)は生きるためには毎日何がしかの命を犠牲にして食さなければなりません。
私たちは何かを食べなければ生きていけませんから、その意味で私たちはただ生きている限りにおいて、倫理的に正しくあることは不可能であると言えます。このように一人の人間として倫理的な実存たろうとする目論見に挫折した実存はその最終段階に至るとキルケゴールは言います。キルケゴールが実存の最終段階としたのが「宗教的実存」です。
宗教的実存の段階において、実存者は罪ある存在として主体的に神に関わるようになります。この段階は一見中世ヨーロッパ社会の神と人間の関係と変わらないように見えますが、ここで重要なのは実存者である人間が、ただ最初から盲目的に神を信仰するのではなく、自分一人の力では倫理的実存たり得ない事に「絶望」してから神を信仰し、絶望の克服に至るという点です。
キルケゴールはこの「絶望」を重要視し、実存の三段階を提唱したのちに代表作である『死に至る病』を執筆しました。
彼は本作の冒頭で人間存在のことを「関係自身に関係する一つの関係」であると規定し、この「関係」の不均衡が「絶望」をもたらすと考えました。人間は肉体や精神や有限性といった観念に至るまでを「綜合」しているという意味で人間自身が一つの「関係」であると言えますし、さらにそのような関係自身である私たちは、家族や学校、ひいては社会や国家といった、関係同士が関係することで共同体を作ります。
つまり実存とは「関係」が錯綜した状態であり、先に見た美的実存や倫理的実存の段階はこの「関係」に不均衡が生じているため「絶望」が生まれるのです。(例えば倫理的な人間であろうとする意志と人は生き物を殺さねば生きられないという事実は両立せず、大抵前者の方が負けてしまうので、この時実存と倫理の関係は不均衡であると言えます)
この関係の不均衡から生じる「絶望」こそがキルケゴールのいう「死に至る病」であり、この絶望を克服するには(自ら選び取った)信仰を持って神と関係する必要があるとキルケゴールは考えます。
キルケゴールはこのように実存としての人間の在るべき姿や、神の絶対性が失われつつあった時代における人間が主体的に生きるための「信仰」の在り方を模索しました。このキルケゴールの考え方が実存主義の祖と呼ばれる所以は、彼がこれらの考察をする際に観念的な人間一般を指して「人間」や「実存」という言葉を用いたのではなく、キルケゴール自身がそうだったように自分自身の生に苦悩しながら生きる一人の人間を想定して「人間」や「実存」について哲学したからでしょう。
前述のキルケゴールからさらに実存主義的思想を深化させたのがドイツの哲学者フリードリヒ・ニーチェです。ニーチェは多くの著作や論考を残していますが、今回はその中でも『権力への意志』を挙げておきます。
- 著者
- フリードリッヒ ニーチェ
- 出版日
- 1993-12-01
ニーチェは、実存主義的な考え方において重要な概念をいくつも創出しました。「神の死」や「ルサンチマン」「力への意志」といった言葉を何処かで聞いたことのある人も多いのではないでしょうか。
彼は自身の著作『ツァラトゥストラかく語りき』で「神の死」を宣言します。ニーチェが神の死を宣言した19世紀末のヨーロッパはまさに科学技術や科学的思考が台頭し、キリスト教の神への信仰が薄れつつあった時でした。
ニーチェは、旧来のキリスト教の教えを弱者が強者を妬むルサンチマン助長するものであると批判しながら、超越的なものに対する信仰が失われた社会状況を「神は死んだ」という言葉で表し、世界や生は基本的に「無意味」であるとするニヒリズムを唱えました。
これまで世界の価値や私たちの生きる意味を担保してきた神が死んだ世界で、人はいかに生きるべきか?それがニーチェの哲学的な課題であったのです。そこで登場したのが「権力(力)への意志」でした。
日本語ではよく「権力の意志」と訳されますが、この時の「権力」とはいわゆる権力者が他者に向かって行使する類のものではなく、生きる意志、生きるための力という意味合いが強いです。これまでの社会規範を支えてきた神を失い、世界や生が無意味で無価値なものとなった時、人は自分の生きる意味や目的を見失いニヒリズムの状態に陥ります。
ニーチェはこのニヒリズムの状態を脱し、強いものに対するルサンチマンを燻らせる弱者の位置に留まるのではなく無意味な世界を生き抜く力を持った超人になることを目指すのです。このニヒリズムの克服こそが「力への意志」だと言えるでしょう。
世界や自分の生に対して絶望し、挫折するがそこから脱する必要があるというのはキルケゴールの思想と近しいものがありますが、ニーチェとキルケゴールが決定的に違うのはニーチェは絶望(ルサンチマン)から脱するのに神を必要としなかったことです。(ニーチェにとって神はもうすでに死んでしまっていますから当然なのですが…)
キルケゴールは最終的に選び取った信仰を持って自ら主体的に神と関係することで実存を規定しようとしましたが、ニーチェはルサンチマンを自らの意思で乗り越え超克していくことを求めます。その意味でニーチェの方がいささかマッチョな考え方をしていると言えるかもしれません。
神の死を宣言して実存主義が求められる時代を正確に描写しただけでなく、神や信仰に拠らない、先行するキルケゴールの思想とは別の実存の一つの理想形をニーチェが提示したことは実存主義の歴史においても重要な功績であり、その思想は後の哲学者たちに脈々と受け継がれていくのです。
実存主義思想の礎を築いたキルケゴールやニーチェの後を継ぐように登場したのが、ドイツの哲学者であり精神科医でもあるカール・ヤスパースです。
ヤスパースは特にキルケゴールの影響を強く受け、自身の思想に発展させていきました。ヤスパース実存哲学の基礎たる主張である「限界状況の中において超越者との遭遇(の可能性)が隠されているが、自己の存在と超越者への遭遇の試みは挫折する。しかし、この挫折を一種の暗号として解読することで超越者との遭遇を証言することになる」という考え方にもキルケゴールの影響が見て取れます。
そんなヤスパースの著作から実存主義を理解するための一冊として『哲学入門』が挙げられます。
- 著者
- ヤスパース
- 出版日
- 1954-12-28
この『哲学入門』は、ヤスパースが1949年に行った全12回のラジオ講義を元に書き起こされたもので、研究者や大学の哲学学徒に対してではなく、一般の人々を対象に放送された哲学講義ですので読み解くのに前提として高度な専門知識を必要としない書き振りとなっているので、ヤスパース入門書としてもオススメです。
『哲学入門』の中でヤスパースは、実存主義の観点から見た「哲学とは何か?」について語っています。特に11講・12講の「初めて哲学を学ぶ人のために」では、なぜ哲学をするのかそしてなぜ哲学を学ぶのかという人を哲学に向かわせるモチベーションについてのヤスパースの鋭い洞察がなされています。
ですので、ヤスパースを初めて読む方や初学者の方はこの11講・12講を読んでから1講に戻るという読み方でもいいかもしれません。
そして3講から9講にかけて哲学全体の話をしつつも、包括者や限界状況などヤスパース自身の実存哲学の説明が中心となっていきます。ここでは『哲学入門』でも触れられているヤスパース実存哲学についてのいくつかの重要概念について軽く触れておきたいと思います。
ヤスパースの実存哲学を理解する上で押さえておきたい重要概念が「限界状況」「包括者」「実存的交わり」の3つです。
まず限界状況についてですが、これは常にヤスパースの実存哲学の起点となります。限界状況とはまさに読んで字のごとく私たち人間の限界の状況、言い換えれば私たち人間を有限な存在(=限界がある存在)とする状況そのもののことです。例えば人間の命は永遠ではなく、誰しも必ずいつかは死なねばなりませんから「死」とは限界状況の一つであると言えます。
しかし、死や苦悩といった限界状況に常に直面し、これらのことを四六時中考えていてはとてもじゃありませんが人は生きてはいけません。ですから多くの人は普段日常やひと時の享楽に耽って限界状況のことを忘れようとするのです。(この享楽に耽る様子はキルケゴールの美的実存の段階に似ていますね)
しかし、それでは実存としての目覚めは得られないとヤスパースは批判します。それは決して楽なことではありませんが私たちは限界状況に直面することによって実存の目覚めを体験したり、超越者との出会いを果たすのです。
ヤスパースが限界状況に直面することで果たされる物事として重要視したものに「超越者・包括者との出会い」と「実存的交わり」があります。ヤスパースによればこの2つの経験こそが私たちを1個の実存として成熟させる重要な契機であると言います。
ヤスパースのいう超越者・包括者とは、言うなれば神のような存在です。ただしキルケゴールのようにキリスト教などの明確な信仰上の神ではなく、観念的な、有限性のある人間を超えた存在として考えられます。ヤスパースによれば私たちは限界状況に直面し、自己の有限性を自覚した時に初めて有限性を超える超越者・包括者と出会うのです。
ただし、この超越者・包括者は常に「暗号」の形をとって私たちの前に現れる、とヤスパースは考えます。超越者そのものが私たちの目の前に現実に現れるのではなく、彼が現れた痕跡が暗号となって私たちの前に現れるのです。実存の役割は。この超越者からもたらされた暗号を限界状況に直面することで生じる数々の挫折を通じて解読していくことだ、とヤスパースは言います。
そして、ヤスパースがもう一つ重要視したのが「実存的交わり」です。実存的交わりとは実存同士の関わり、関係性のことを意味します。
実存する「私」は決して一人で存在しているのではなく、様々な人や物との関わりの中で実存しています。多くの自分と同じように実存している他者や様々な状況と関わり、交わりながら生きることでかけがえのない本来的な自己を確立することができるのだ、とヤスパースは説きます。
ちなみにこのような交わりをヤスパースは「愛の闘争」や「愛しながらの戦い」といった言葉で表現しました。
キルケゴールやニーチェの思想を踏襲しながら、それらを体系化し現代へと繋がる実存哲学へと体系化していったヤスパースの功績は実存主義の中でも今なお存在感を放つものだと言えるでしょう。
ここまで、キルケゴール、ニーチェ、ヤスパースと実存哲学の礎を築いてきた哲学者達を紹介してきましたが、実存主義の名を世に知らしめた哲学者といえばジャン・ポール・サルトルを置いて他にはいないでしょう。
サルトルの名言として知られる「実存は本質に先立つ」という言葉から実存主義について興味を抱いた人も多いのではないでしょうか。
- 著者
- J‐P. サルトル
- 出版日
サルトルは戦後実存主義哲学者の代表的な人物の一人として知られています。サルトルが活躍した第二次世界大戦後の西洋社会は、長かった戦争がようやく終わって平和が取り戻された時期ではありましたが、戦争の爪痕は深く人々は経済の不況と漠然とした不安に苛まれていました。
戦争によってこれまで正義とされていた価値観がことごとく破壊され、これから何を信じて生きてゆけばよいのか途方にくれていた当時の人々にとって、自らの実存を自らの行動によって成熟させていこうと説くサルトルの実存主義的思想は当時の人々に広く受け入れられたのです。
特に太平洋戦争が終戦した直後に行われた「実存主義とは何か」と題した講演には会場の外まで人が溢れるほどの盛況で、当時の新聞などでは「文化的事件」と書かれるほどのセンセーションを巻き起こしました。
ところで、サルトルの「実存は本質に先立つ」という言葉はあまりに有名ですが、サルトルはこの言葉から何を伝えんとしているのでしょうか。サルトルの実存哲学を理解する上でこの名言は一つの定式のようなものですので、この言葉について少し説明したいと思います。
「実存」というのは、とりあえず現実に今この世界に存在していることを指す言葉でした。一方でその対立概念である「本質」は目には見えないそのもの自体が持つ性質を指します。そしてサルトルは、人間とそれ以外の存在とでは実存と本質のあり方が異なることを主張するのです。
例えば人間以外のもの、特にカナヅチのような道具はカナヅチの作り方やカナヅチの使い方を知らずには作り出すことができません。このカナヅチの作り方や使い方がいわばカナヅチの「本質」です。
カナヅチを作る鉄工は、あらかじめこのカナヅチの本質を心得てカナヅチを作り出すわけですから、このとき「本質は実存に先立つ」わけです。しかし人間の場合はそうではないとサルトルは言います。
サルトルにとって人間とはむしろカナヅチなどとは全く逆の「実存が本質に先立つ」存在なのです。なぜでしょうか。サルトルは、人間は何はともあれまずはただ実存し、そこから自分の力によって自分の本質を作り出していくことができると言います。
もしも、あらかじめ私たち一人一人の本質があらかじめ決められているのであれば、私たちのいかなる行動や努力も無意味なものとなってしまいます。(いくら努力しようとあらかじめ決められた本質までしか到達できないのですから)それは中世の身分制度のように、農民の子に生まれた者はいくら優れた能力を持っていても農民にしかなれなかったという不毛さに似ています。
サルトルはそれを否定し、私たちは誕生した時点ではあらゆる本質を持たないただの実存であり、そこから世界へと自らを投げ入れていくことによって本質を獲得していくのだと主張するのです。
このサルトルの実存哲学は、戦後の不安定な時代を生きる人々に熱烈に受け入れられた一方で、人間の思考や行動、身体というものは世界中のあらゆる「構造」(社会制度・言語・記号・権力など)に規定されているとする「構造主義」の台頭によって時代遅れのものとして徐々に批判を浴びるようになりました。
しかしながら、キルケゴールから脈々と受け継がれた、まず実存しそこから自己を何らかの高みへと昇華させていくことを目指したサルトルの実存哲学は当時の人々だけではなく今尚多くの人に生きる勇気と希望を与えていると言えるでしょう。
ここまで、キルケゴールからサルトルに至るまで実存主義の歴史のマイルストーンとなる人物の思想を紹介してきましたが、これから実存主義・実存哲学について学びたいと考える人のガイドブックとなるような一冊をご紹介します。
- 著者
- 松浪 信三郎
- 出版日
- 1962-06-23
1962年に岩波書店から出版されたその名もズバリ『実存主義』。著者はサルトルの代表作『存在と無』を訳したことでも知られる哲学者の松浪信三郎です。
この本では実存主義の代表的な哲学者や文学者が広く紹介されており、例えば今回紹介したキルケゴールやニーチェはもちろん文学において実存主義的な作品を発表したドストエフスキーなども名を連ねています。
著者の松浪信三郎は実存哲学をキルケゴールのような最終的に神を志向するキリスト教的実存主義とサルトルのように自己の本質を追い求める試みに神の存在を必要としない無神論的実存主義の二つに区分しました。そしてそれぞれを代表する哲学者らの思想を解説しながら、時代も国もかなりの幅を持つ実存哲学を系統立てて整理しているので、実存哲学のアウトラインを理解するのには最適な一冊であると言えるでしょう。
まずはこの一冊から読み進めて、気になった考え方の哲学者の著作や関連書籍にチャレンジしてみるという読書法もオススメです。
とはいえこの『実存主義』自体が1962年に出版された古典的名著であるため、現在の私たちからすると少し固い、難しい表現も随所に見られますが、日本人によって書かれた日本語で読める実存主義についての著作としては名著中の名著であると言えますので、ぜひチャレンジして見てください。
著者の松浪自身があとがきに残した「実存主義は、ひとりひとりの人間に、人間存在の独自のあり方として自由を発見させようという試みである。」という言葉はこれから実存主義を学ぶ私たちにとって、実存主義を理解するための大きなヒントになることでしょう。
実存主義においては、思想家ごとにその主張は異なりますが、その多くに共通するのが人間は自由な存在であり、自己の行動や選択や努力によって自分というものはいかようにも変えられ、高めていけるという理想を抱いていることです。
現代に生きる私たちもまた自由に生きることを常に求めますが、真の意味で自由に生きるにはどうすればいいか?誰も導いてくれる人のいない膨大な自由の前に私たちは何をなすべきか?そんな自由に生きたい人たちの問いに、実存主義の哲学者たちはきっと答えてくれることでしょう。