舞台上で見つけてしまった自分の弱点とは?
舞台にはこれまでも何度か立たせて頂いた。演じるなんて言葉には程遠いエセ女優だが、それでも舞台は楽しい。私はレポーターやパーソナリティーの仕事が中心なので、いつもはテレビカメラやラジオのマイクに向き合っていて、それを見ている人の反応は分からない。
その現場にいるディレクターさんやスタッフさんが笑っていればとりあえずは安心するが、よくよく考えてみれば、気を使って笑ってくれていることも大いにあるだろう。ディレクターさんたちは演者が楽しそうに映るよう、常に配慮してくれているのだ。
テレビを見ていると、映っていない人の笑い声が「ハッハッハッ! 」と、ちょっと大げさ過ぎるほど聞こえてくることはないだろうか。まさにあれだ。さすがに私も「腹式呼吸の笑い方講座」でも受けたんじゃないかと思えるほど、くっきりとした「ハッハッハッ! 」にはムムッ!? と感じることもあるが、それでも眉間に皺を寄せて腕組みされるよりは安心して仕事することができる(いつもありがとうございます)。
しかし舞台を観に来てくださっているお客さんはそうはいかない。時間を作り、お金を払ってそこに座っている。気なんて使う必要がない。台本を読んだ時点でこれはウケるだろうとニヤけて芝居をしても、クスリとも笑い声が聞こえなかったり、ふと客席に目をやると気持ちよさそうに居眠りしている人を発見してしまったりする。
それでも芝居を続けていかなくてはいけないし、セリフを噛んだからといって訂正するわけにもいかない。焦れば焦るほど自分の動きも、相手役とのやり取りも噛み合わなくなっていく。幕が上がってからの数時間は緊張しっぱなしだ。
いや、緊張といえば数時間どころの騒ぎではない。舞台の出演が決まり、出演者や関係者での顔合わせも済んで、台本をもらった時点で緊張の日々は始まる。レポートをする際のたった数行のセリフすら覚えられないのに、数十ページにも及ぶ台本のページをめくっていると絶望的な気持ちになる。
それでも少しずつセリフを頭の中に叩き込んでいくのだが、何か別のことをすれば全て忘れてしまうんじゃなかろうか、寝て起きたら空っぽになっているんじゃなかろうかと、毎日ヒヤヒヤしながら慎重に過ごすことになる。それに動きの演出がついてくれば尚更だ。
あるセリフを言うときに舞台の上手側(向かって右側。最近やっと覚えた)に移動しておかなければ、後々のシーンとのつながりが成立しなくなる……なんてことがたくさんある。セリフを覚えるだけでも精一杯なのに、話しながら取らなくてはいけない行動も覚えていくと、頭がパンクしそうになる。
いざ幕が上がり、舞台に立ってみるとセリフを全て忘れてしまっていて右往左往する夢も、本番が近付いてくると必ず見る。そんな数週間の稽古期間を緊張と共に過ごし、いよいよ本番の前日となると舞台のセットが組まれて、そこで最後の稽古が行われる。
照明や音と合わせたり、小道具や大道具を使っての最終確認のようなものなので、実際の舞台の広さなど稽古場とは勝手が違う。ここでまた新たな壁にぶつかったりする。そして私は今回の舞台で自分の大きな弱点を見つけてしまった。“暗転”だ。
シーンが変わるとき、一旦舞台を真っ暗にして、次のシーンの準備をしたり、時間の経過を表したりする。その間にセットを変えることもあれば、舞台袖で着替えをすることもあるし、役者だけが違う立ち位置に移動することもある。
いずれにせよ、真っ暗闇の中で動かなくてはいけないのだ。舞台上には床や障害物に「蓄光」と呼ばれる光るテープが貼ってあって、暗転中はそのテープを目印にして動く。もちろん客席から見えてはいけないのでホタルの光ほどの小さなものだ。
慣れている役者さんたちは完全に暗転した途端、その蓄光だけを目印に、すごいスピードで舞台上を移動する。セットチェンジをしてくれるスタッフさんも、ものすごく速い。暗転の時間は限られているので、皆それまでの余韻も忘れてスピード命で動く。
しかし私は、それまでも舞台上にいて何がどこに置いてあるか、誰がどこにいたのか把握しているはずなのに、暗転した瞬間に全てをきれいさっぱり見失ってしまうのだ。完全なる闇の世界にひとりぽつんと取り残されたような気分になって、皆が慌ただしく動く中、一人ヨチヨチと舞台上を彷徨う。
両手を前に出して障害物や人とぶつからないように探りつつ、足で何かに蹴躓かないよう抜き足、差し足、すり足で、極めて慎重に進むことしかできない。蓄光が光っているのは何とか分かるのだが、さまざまなシーンでの目印があるので、それが一体何を示しているのか分からなくなるのだ。
すると明転したときに、本来とは少しずれた位置に立っていたり、本当は寝そべっていなくてはならない場面なのに寝そべりきれていなかったりする。暗転中は照明さんもやはり舞台上が見えないので、明かりを点けるまでは舞台上がどんな姿になっているのか分からない。ある意味、出たとこ勝負なのだ。