こんにちは。藍坊主ヴォーカル、hozzyです。今回のテーマは「負に触れる人間の複雑な心の動きを、深く描写している小説」です。タイトル長い!ですね。そして文面だけ見るとひどく暗いですが、決して読んで沈んでいくだけの小説たちではありません。むしろ負の力が力強く刺さってくるがゆえに、立ちのぼるリアリティ。そこからから沸き上がる、取り繕う必要も無い剥き出しの生きることに対する喜び、得体の知れない人間の底に蠢(うごめ)く感情へ光が当たることによる幾ばくかの安堵感、この現実世界では妙な倫理感に遮られてブラックボックス化している精神障害者の見る世界への接近、等々。今回紹介させていただく3冊にはそれらが強烈に凝縮されています。
特に紹介の必要もないほどの日本文学の超傑作、三島由紀夫の『金閣寺』は読書人生ベスト3に常に鎮座し続ける、音楽制作にも強く影響を受け続けている自分のバイブル的作品です。連載3回目にして、ベスト3の一作を出すのも正直もったいないですが、今回紹介させていただく三作には別でもまた共通点があって、全て「仏教」が絡んでいるので選びました。主人公がお坊さんであったり、前世や輪廻転生の話がでてきたり、仏教自体はとても平和的な宗教であると思うのですが、ただそれとの対比なのか、それとも宗教として深い受け皿を有するがゆえなのか、主人公たちはそれぞれ尋常ならない、世界に対する負の精神を抱えながら、独自の解釈で人生を進行させていきます。
どの作品も、読んでみれば感じてもらえる同じカラーに貫かれているので、一作でも気に入ったものがあった場合には、他のものも是非ともおすすめできます! しかし「藍坊主」ってバンド名、見方を変えれば仏教的ですね(笑)。昔も今もたまに間違われるけど、僕らは藍「坊主」です。藍「坊頭」ではないですよ。よろしくどうぞ。
肉体的な「痛み」と精神的な「痛み」を分けるもの
これを初めて読んだ時、人間というものが心底恐ろしくなりました。ヤクザやチンピラがよくでてくるハードボイルドものの小説にはまっていた頃だったので、えぐい描写には割と慣れていたのですが、こんな暴力の方向があるんだと、この小説を読んだとき色んな意味で興奮して眠れなかったです。肉体的に「痛い」ってことと精神的に「痛い」ということの違い。それを明確に示されたような気がします。
三島由紀夫の書く文章は異質すぎて、当時も、今もですが途中で頭がくらくらするときがあります。何のことをこんなに細かく書いているんだろうって、石って石だっけ?って、思考が巡る先を忘れてしまうような時がくる。なのに、しっかりと連れていってくれるから怖い。他の作品もですが、登場する女性たちの艶やかさも抜群で、自分の想像力では足りない色気にくすぐられます。この本の主人公はいわゆる「どもり」をコンプレックスに抱える坊主の青年で、人間ってこんなに面倒くさかったっけって嫌になるのに、臭いチーズを食べたくなるような、異常や闇に対する好奇心には抗えず、最後には心の中で一緒に、金閣寺に火を放っています。生命力を感じる小説。
病気と健常のあいだにある、ゆるやかなグラデーション
この本を知ったのは、西田幾多郎という哲学者にわけも解らず惹き付けられてハマっていたときに、内容をどうしても理解してみたい!と関係書籍を色々と漁っていたら、辿り着きました。木村敏さんという西田幾多郎の影響を受けた精神科医の存在を経由してだったと思います。西田幾多郎の哲学は結局わかったようなわからないような状態で今も興味の対象ですが、この小説は一撃で脳髄に届きました。とても危うくて面白い話です。
主人公・浄念は元々ミュージシャンを目指していたのですが、途中で精神疾患にかかり自殺未遂、そこからお坊さんをしながら精神病と3種類の薬と共に生きています。この主人公の脈絡が無いようで、ある瞬間に筋が通る思考、歪んだ世界感覚の先にある常人よりも透明にみえていそうな視界が描かれるたびに、病気と健常には境界線なんか無く、ゆるやかなグラデーションがただ存在しているだけで、誰もが気づかず無防備にその中に立っているだけなのではないかと感じてしまう。そしてそれに気づく度に少し背筋が寒くなる、凄いことを描いた小説だと思います。「自分の中にある筋が他人には伝わらないから薬を飲む」という部分がとても印象的でした。