子供のころ、野口英世の伝記を読んだ方も多いのではないでしょうか。しかし彼は、伝記に書いてあるような偉人とはまた別の一面も持っていました。いったいどんな人だったのか、意外なエピソードと共に紹介します。
野口英世は、1876年、福島県の農家に長男として生まれます。将来は農家の後を継ぐ予定でしたが、1歳の時に負った大火傷が原因で、左手が不自由になってしまいます。
農作業ができなくなったため勉学に励んだ野口は、自身の左手について書いた作文が評価され、多くの人から援助をしてもらうようになり、その資金で手術を受けました。手術は無事に成功し、完全にではありませんが、ある程度動かすことができるようになったといいます。
この手術を受けたことが、将来医者を目指すきっかけになりました。
済生学舎で学んだ後、ペンシルバニア大学の医学部を経て、ロックフェラー医学研究所の研究員となり黄熱病や梅毒の研究に携わることになります。その功績が称えられ、ノーベル賞の候補に3度も名前が上がりました。
晩年はアフリカで黄熱病の研究に携わっていましたが自らも感染し、1928年、51歳の若さで亡くなっています。
野口の父親、佐代助は酒好きで人好きの性格、母親は真面目で勤勉な性格だったといわれています。彼の遊びグセと人に好かれる性格は父親譲りですね。一方の母親は、産婆の正式な資格を取るために1から読み書きを勉強し、試験に受かったという勤勉家でした。努力家の特質は母親譲りと言えるでしょう。
ここでは野口英世についての意外な事実をご紹介します。とっても真面目な研究医師だったと思いきや、彼はユーモア溢れる意外なエピソード残していました。
1:身長は153cmと小柄だった
時代を作ってきた人たちは意外と小柄の人が多いというエピソードがあります。例えばガガーリンは157cmだったといわれています。
実は野口英世も身長は153cm、靴のサイズは23cmでした。小柄な彼は、夫婦喧嘩の時に奥さんに投げ飛ばされたこともあるそうです。
2:発明家のエジソンや、飛行家のチャールズ・リンドバーグと友達だった
野口英世は、海外の偉人との交友も盛んだったといわれています。誰もが知るエジソンは野口に対し、「成功しない人がいるとしたら、それは考えることと、努力すること、この2つをやらないからではないだろうか」というメッセージを残しました。エジソンも野口英世も努力と苦労を経験し、成功しています。そんな2人が認め合い、切磋琢磨した関係を伺い知ることができます。
もう1人、世界で初めて単独で無着陸大西洋横断をやり遂げた飛行家のチャールズ・リンドバーグも友達でした。彼と野口が一緒に映った写真も残されています。
3:自分の伝記を読んだ時に、「あれは作り話だ」などと批評した
1921年、アメリカのニューヨークにいた野口に1冊の本が送られてきます。タイトルは、『発見王 野口英世』というものでした。
この本を読んだ野口の感想は辛口で、「あれは悪い本だ」と言ったのだそうです。彼によるとそこには彼の人生の浮き沈みが載っておらず、あまりにも完全な人間だと書かれていて「あんなのは人ではない。浮き沈みがないのは作り話だ」と評しました。
4:周囲から留学資金を集めたが、飲み代に使ってしまった
寝る間も惜しんで勉強に励む熱心な研究員のイメージがある野口英世ですが、彼は女性とお酒が大好きな遊び人でした。学生の頃に悪い遊びを覚えた彼は、かなりの援助金をもらっていたのにも関わらず、それを遊びに使い果たしてしまい、周囲を呆れさせたそうです。
援助金を使い果たした野口は友人に金を無心しますが、そのやり方は巧みです。まず、給料が少ないことを理由に援助を断った友人の給料をあげるため、職場の上司と交渉させます。そして無事給料をあげてもらった友人から、金を借りていました。そしてそれを全て遊びに使ってしまうのです。
また、留学を決意した野口英世は周囲から200円の援助金を受け取ります。婚約相手からは結納金300円を受け取り、現代の1000万円に相当する500円の資金が整いました。その大金をなんと飲み代に使ってしまい、残りは20円ほどだったといいます。
それでも彼の将来を信じて援助をしてくれる人に助けられ、無事に留学を果たしますが、今度は結婚をしたくないと言い、研究を言い訳に相手に婚約破棄させるように仕向けるのです。300円の結納金は、友人に返却してもらいました。
5:改名したのは、坪内逍遥の小説に似た名前の主人公が出ていたからだった
野口英世の本名は、野口清作でした。改名するきっかけとなったのは、坪内逍遥の『当世書生気質』という小説です。その内容は「田舎から出てきた主人公、野々口精作君が、女遊びを覚え、デタラメな生活を送る」というもので、まさに野口にぴったりでした。これを読んで驚いた彼は改名をする決意をします。
しかし当時は簡単に改名することができない時代でした。そこで彼は自分と同じ清作という名前の人を見つけ、さらに自分の家の近くの「野口家」に養子に入れさせます。そして「野口清作」という人物が2人もいて紛らわしいので、自分の名前を「野口英世」にすると申し立てたのです。
野口英世というと、寝る間も惜しんで熱心に研究に励んだ偉大な人だというイメージを持っている人が多く、彼を称える伝記が多いのが事実です。
上下巻から成っている本書では、彼の真面目な研究医としての一面とは反対の、デタラメな生活面にも言及しています。吉川英治文学賞受賞作品です。
- 著者
- 渡辺 淳一
- 出版日
- 2013-12-13
野口は女遊びをして飲み明かすという生活を送っていたため、常に借金生活でした。そして、友人に金を無心し、それをまた遊びに使うくり返しです。
しかし研究となると、寝る時間も食事の時間も惜しむほど没頭していたという集中力も発揮します。
本書ではこの両面から野口英世という人間に迫り、彼は決して完璧な人ではなかったという本当の人物像に迫った伝記本です。
野口を取り巻く人々は、なぜか彼の虜になっていたのだそうです。奔放な性格にも関わらず、彼はなぜ周りの人々から愛されたのでしょうか。
- 著者
- 星 亮一
- 出版日
- 2004-11-09
野口が持っていた遊び人の一面を考えると、本来なら周囲から見放されても仕方のないように思えますが、なぜか周囲は彼のことを放っておきません。
彼には周囲を虜にしてしまう魅力があったのです。本書はそんな野口の交友関係に迫り、野口英世という人間の魅力について語っています。読者もなぜだか彼に魅力を感じてしまい、「結局偉大な人だったのだ。」という結論に至ってしまう内容になっています。
著者の山本厚子はエクアドルで野口英世の銅像に出会います。それからというもの、彼の魅力的な人物像に興味を抱き、南米、ニューヨーク、アフリカなど、野口が実際に研究を行っていた場所を訪れました。
長期的に、広範囲に及ぶ取材を行ったから著者だからこそ書くことができる、野口の魅力が収められた本です。
- 著者
- 山本 厚子
- 出版日
野口はめちゃくちゃな生活を送っていた反面、研究熱心でした。その集中力や熱心さは多くの人を驚かせます。同僚からは「日本人は眠らない」という噂をたてられたほどです。
本書では、研究に執着する野口の姿勢と、その反面で利己主義だった性格など、彼の人物像に迫っていきます。
野口英世は、偉人だったのか、それとも変人だったのか。本書を読むと、彼に対するイメージが変わるかもしれません。彼のことを人間としてより身近に感じることができます。
野口英世の名前は知っているけれど、どんな偉業を達成したの?と思う方には本書がおすすめです。ノーベル賞に3回もノミネートされ、そのうち2回は最終選考まで残っているという、生前から名を馳せていた人物です。
まだ顕微鏡が発達していなかった時代に、肉眼では見ることができないウイルス感染によって生じる病気の研究をしていました。彼の研究発表のうちのいくつかは、その後の進んだ技術によって覆されているものもありますが、それでもなお、彼は偉人として扱われているのです。
野口はなぜそこまで偉大だったのか、彼に親しくしていた人の証言をもとに、迫っていきます。
- 著者
- 出版日
本書には、生前の野口と関係があった人の証言などが載せられています。彼らの言葉で、野口英世という人物がどのような人で、どうして偉人と言われているのか納得させられるでしょう。
野口が1928年に亡くなっていることを考えると、生前の彼を知っている人の声はとても貴重で、また本書が刊行されるきっかけとなったのが、彼が実際に使用していた検疫施設の保護運動だったというのも興味深いです。
様々な角度から野口英世に迫った、満足度の高い一冊です。
野口英世は、メリー・ダージスという女性と国際結婚をして、2人はとても仲が良かったと言われています。
本書には野口をはじめとする5人の国際結婚をした日本人と、その妻たちのストーリーが収められています。
- 著者
- 飯沼 信子
- 出版日
- 2007-10-25
外国で暮らすことがまだ珍しかった時代に世界に飛び込んでいった野口英世。研究に没頭する彼を内助の功として支えたメリー・ダージスという女性は、いったいどんな人だったのでしょうか。
若いころから女遊びが大好きだった野口のハートを射止めた彼女は、いったいどんな人だったのでしょうか。夫婦の絆を感じることができる一冊です。
これまで持っていた野口英世についてのイメージが壊れてしまいそうなエピソードもたくさんありましたが、いかがでしたでしょうか。彼について知れば知るほど、魅力を感じてしまいます。それほどまでに多くの人を虜にしてした野口について知ることができるこの5冊、ぜひ手に取ってみてください。