こういう仕事をしていると、周りには何歳かわからない大人がたくさんいて、自分も何歳だったかわからなくなってくる。
きのうの朗読劇の稽古場でも20代後半くらいかな、と思ったひとは今年で40歳で、23歳くらいだろうと思ってたひとはまだ19歳だった。
『こういう仕事をしていると』と書いたけれど、実は仕事と全然関係のないところでも、私はひとの歳がわからない。
「はくるちゃん」と呼ばれる女の子が店子をやっている小さなバーで右手側に隣り合った女の人は、見るからにぴちぴちとした雰囲気で、黒い瞳がひかひかしていた。
私はてっきり自分よりは若いと思って話していたけれど彼女は5歳ほど上で、人妻でもあった。左手側で隣り合ったショートカットの似合う関西弁のお姉さんは、28歳くらいだろうと思っていたのに同い年だったしカウンターの中の「はくるちゃん」は誰に聞いても年齢不詳である。
高校生の頃は16、17、18歳の微妙な差を見分けることができたけれど、あれは一種の特殊能力だったのではないか。
単純に制服の着こなしも高校生も身近だったから見分けられたのかもしれないけれど、今はもう、高校生や大学生は何歳であってもみんなざっくり同じ若者村の人たちだ。
そういえば2年前に出演した舞台「転校生」で、現役高校生から27歳くらいまでがみんな同じ制服を着て高校生の役をやっていたけれど、役者さんこそ見た目じゃわからないよねえ。
そもそも成人から上は一年ごとに年齢をきざんで数える理由もなくなってくるような気がする。お酒が飲めるかどうか以外の理由で、ひとが毎年きっちり歳を数えていくのはなぜなのだろう。
わたしの場合、成人以降もはや誕生日というのはここだけの話、年に一度、人からちやほやしてもらうために存在する装置であり、「誕生日だから」ということでいそがしい友達を飲みに誘える免罪符であるような気がしてさえいる。
ろくでもない女だぜというのがぷんぷんするけれど、ものごころついた頃には誕生日にはどんなおもちゃをもらおうか毎日考えていた。
齢五つで歩く物欲だったわたしは、20年経っておもちゃよりも友達と飲みに行く方が好きになり、妖怪・あそんでくれ沼に変身した。
あそんでくれ沼である私は、勤め人である友達の仕事が終わりそうな時間や私の仕事が終わったタイミングを見計らい「飲みに行こうよ〜」と飲み屋へ誘い出す。
でも内弁慶なところがあるので、5回思っても実際に送るのは1回や2回で、あとは静かな小池のようにお誘いを待ちながら酒場の方角へ念を飛ばしている。
お誘いがくればその途端、バッと両手でお誘いをくれた人の足首を掴んで沼に引きずり込むのだ。
そうなったらほどほど飲むまで解放しない、わけではなく、人に嫌われたくない精神が強いので無理強いはしない。
ほんとに全然しないし、当日になって「やっぱ行けなくなっちゃった」というメッセージにもさらりと気分を切り替え「おっけー」と言える。大人の対応だ。
17歳の頃の24歳はかなり大人だと思っていた。
まさか電線を探し続けて上ばかり見ながら炎天下をさまよい歩くような人になっているとは一ミリも思わなかった。
年齢的にはもうすっかり大人なのに、『精神的若者村』の領地はどんどん上に引き上がってきている。なのでわたしは少なくともあと3年はまだ若者でいい気がする。
こうやって甘ったれたことを言っているともはや一生「大人」にはなれないのではないかと思うし、そもそも17歳の頃に思い描いた24歳のわたし(会社に勤め、自力で一人暮らしをして、なんかいい感じのピアスとかつけてておしゃれ)は完璧に幻想でしかなかった。
そうか、大人は幻想のいきものだったのか。
ということで今回ご紹介するのは、
真造圭伍さんの漫画『トーキョーエイリアンブラザーズ』です。
トーキョーエイリアンブラザーズ
著者
真造 圭伍
出版日
2016-02-12
全3巻なのですぐ読めます。「地球移住計画」のために東京の下町へ襲来してきた幻想のいきものである宇宙人の兄弟、夏太郎と冬之介。
超ハイスペックな能力を持ちながら、地球のことを何一つ知らない彼らにまず与えられた試練が仕事と恋人を持つこと。
とことん不器用な兄の夏太郎と、超イケメンなのに人としての何かがすこんと欠けている冬之介の兄弟が東京の街で奮闘する様子は、大人って人間ってと日々モヤつきながら妖怪・あそんで沼として生きるわたしの心を掴んで離しません。
そしてこちらにも「ハクル」という名前の女の子が出てきます。
そして特筆したいのはこの作品の電線愛です。
1巻の表紙から丁寧に書き込まれた東京の電線は、私たちの生きる街と漫画の世界を架線しているようなリアルさがあります。
また、最終話の表紙絵がばっちり電線電柱、やっぱり東京といえば電柱と電線なんだよな……そうだよ……そうなんだよう……。
2017年のいい電線コミックでございます。