吉行淳之介のおすすめ文庫作品5選!『驟雨』で芥川賞受賞の作家

更新:2021.11.7

様々な文学賞の選考委員を務め、自身も多くの作品を世に送り続けた吉行淳之介。性愛を題材にした作品が多いですが、女性に限らず人にもてた作家でした。さらに対談や軽妙なエッセイの名手としても知られています。今回はそんな吉行の作品をご紹介します。

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生来の表現者で「人たらし」の吉行淳之介

吉行淳之介は、吉行エイスケとあぐりの長男として1924年に誕生します。父はダダイズムの詩人でしたが、戦争に向かう気運の中で断筆。不倫相手と子供を連れ歩いたり、浪費して身上を食いつぶすなど破天荒な人生で、34歳という若さで他界してしまいます。一方の母あぐりは先進的な女性で、やりたいことを貫いて美容師となり、自伝『梅桃が実るとき』を発表しました。

そんなエイスケとあぐりの子供は、淳之介、和子、理恵の3人。和子は映画『愛の亡霊』や『折り梅』などの作品で知られる女優で、理恵は詩人・作家として活躍し、史上初の兄妹での芥川賞作家となっています。兄妹全員が表現することを職業にしているのには両親の影響があるのでしょう。

また吉行は、文枝という妻がありながら、女優であり後に日本初の肢体不自由児施設「ねむの木学園」を作った宮城まり子と、公然と付き合っていました。さらに吉行の死後には大塚英子、高山勝美という愛人の存在も明らかになり、彼との思い出を綴った本を出版しているのですから驚きです。吉行の評伝を読むと、彼が女性たちから愛されただけでなく、熱狂的な男性のファンも多かったことがわかります。

愛人の存在に加え、娼婦を取り上げた作品が有名なため、作家としてはスキャンダラスなところがピックアップされがちですが、その作品の本質は性愛だけにあるのではありません。機械的に体を開く娼婦に垣間見える知性や感性と、それに惑う男など、割り切れない、辻褄の合わない人間同士の魂のぶつかり合いを淡々と描かれているのが、彼の作品の魅力なのです。

吉行淳之介が描く、女のこころと男のこころ

本書は、表題作2編のほか3つの短編を収録した吉行淳之介の初期の作品集です。

「現職の街」のあけみは、何不自由なく暮らしていましたが空襲によってすべてを失い、様々な仕事を経て娼婦となっています。彼女は「娼婦」の化粧をして生活していましたが、しかしその内には人知れず溜まっていくものがありました。

客である元木が飽和状態になったそれを溢れ出させるきっかけになり、あけみは自分の顔が、そして心が変化していることを知るのでした。

娼婦の街において、男と女の間で互いの気持ちを推し量ろうとする探り合いは不必要です。そこにあるのは明確な欲望と金額だけ。一般的に好ましいものとされている、女性の地味な衣装や控えめな態度は、この原色の街ではただ色あせて見えるのです。

著者
吉行 淳之介
出版日
1965-10-24

あけみには、完璧主義からくる破壊衝動のようなものがあります。不自由なく暮らしていた女学生の頃も、9割方美しく仕上げた刺繍の宿題にわずかな染みがついたのが許せずに、切り刻んだこともあるほどです。
 

そしてこの街に来たのも、彼女の繊細な感性が「どんな仕事をしても男の目が絡み付いてくる、それならばいっそその仕組みの中に入ってしまおう」と感じたからなのでした。

この作品を、客によって目覚める、男に都合の良すぎる女と読むこともできますが、実はそんな単純なものではありません。春を売ることの難しさは、商売道具が生身の体であるというところにあります。体と心は深く結びつき、完全に切り離すことはできないからです。

吉行淳之介は、娼婦という職業の女が、たった1人の客の言動がきっかけでその街の枠に絡め取られていく心の機微を、削ぎ落とされた文章で描いています。

また、本書に収められている芥川賞受賞作「驟雨」は、娼婦との関係を男性目線で描き出しています。その後の行為が保障されている、という意味において「あなたが好き」という言葉を額面通りに受け取ることができる娼婦の街。不特定多数の男に体を開くことが決まっている女に複雑な感情を抱きはじめ、戸惑う主人公の姿が描かれます。「原色の街」と対を成すともいえる作品なので、ぜひ読み比べてみてください。

重層的に語られる物語が不穏な空気を生む

化粧品セールスマンの伊木は、展望台で赤い口紅の少女明子と出会います。彼女は伊木に、親代わりに自分を育ててくれた実の姉を誘惑してひどい目にあわせてほしい、と頼むのです。

彼は明子の姉の京子と知り合い、倒錯した関係になっていきます。そして姉妹と伊木との関係に、34歳で死んだ奔放な父親の影が重なっていきます。

著者
吉行 淳之介
出版日
1966-04-27

伊木がふいに思い出す、まだ構想段階の推理小説。彼は、最も重要であるトリックを思いつくことができずにいました。死後もなお妻を縛ろうとする夫を着想する伊木には、同じように自分に取り付いている34歳で他界した父の存在があります。

伊木の父親は、作者である吉行淳之介の父、エイスケに重なるものがあります。いつか越えるべき存在が、そうなる前に喪失してしまったこと、そして終戦による価値観の喪失体験は、吉行の内に虚無感を生じさせ、終生彼に付きまとったことでしょう。それが本作にも影を落としています。
 

遭難死した友人の美しかった妹が大きく様変わりしていたこと、伊木が教師をやめるきっかけになった定時制の生徒、亡父と伊木の頭の形がそっくりだと執拗に言う理髪師、そしてたびたび挿入される「作者」の独白。様々な語りが硬質な文章で重なり、不穏な空気を生み出していきます。

父の亡霊に付きまとわれていることを感じながら、姉妹と関わる伊木が行きつく先とは、どこなのでしょうか。
 

取りとめない連想が紡ぐ先にある、暗い部屋

様々な女たちと関係しながらも、過去に引き戻されがちな精神状態にある「私」。その内部では、さまざまな連想が起こっています。

かつて「私」の妻が堕ろした胎児の性別、精神薄弱で屋根裏にこもって暮らす理学博士の弟妹、池に放たれた150匹のメダカの死んだ様子、など一見脈絡なく書かれたようなエピソードの数々は、薄暗いものばかりです。

著者
吉行 淳之介
出版日
1988-05-02

終盤で「私」がみる夢には、花とも女陰ともとれる粘膜が出てきます。初めは不快感を覚えた「私」ですが、だんだん綺麗なものだと思えてきた時、眠りから覚めてしまいます。
 

そして目覚めた「私」は、夏枝という女の部屋に行くのです。昼間でもカーテンがひかれた暗い部屋。それは生きることに倦みながら、でも生き続ける「私」が還る、女性性・母性の回帰点なのかもしれません。

単音が重なっていき、最終的にひとつのメロディが現れたような、思いがけない余韻を残す複雑な作品です。これらのエピソードは、最終的に「私」のもとに残った夏枝の暗い部屋とともに、ひとつの大きなイメージに向かって流れていきます。

「私」が関係を持ちながらも、やがて消えていく女たちの描かれ方にも注目です。

吉行淳之介の娼婦にまつわる短編集

この本には吉行淳之介の「娼婦」にまつわる作品が10編おさめられています。有名になった作品に娼婦にまつわるものが多いせいか、「娼婦のことばかり書く小説家」と思われがちな吉行ですが、意外にも集まったのは10編のみでした。このなかから、「娼婦の部屋」という作品をご紹介しましょう。

娼婦である秋子の部屋へ通う「私」。秋子の部屋は「私」にとって社会での嫌なことや抑圧された怒りのようなものを受け止めてくれる、安息の場所になっていきます。しかしそうなるにつれて、逆に秋子の存在自体が「私」の均衡を壊すものになっていくのでした。

単純な肉体関係だけであるはずの娼婦との関わりが、いつの間にか「私」を乱すものになっていきます。そして変化は、秋子にも現れていました。

著者
吉行 淳之介
出版日
2014-06-21

ひとりの人間とのわずかな変化の積み重ねが、安らぎの場所をよそよそしく冷たい場所に変えていく様を巧みに描いています。本書で描かれていることは、実際の社会でも起こりうることで、性愛を越えた人間関係の複雑さが表れています。

なお、この本に収められている「原色の町」は初出であり、後に出版される作品は初出のものを「ある脱出」と併せて書き直されたもの。娼婦にまつわるこの3つの作品を読み比べてみるのも、吉行という作家を知るにはおすすめです。

人生は小さな旅の連続。吉行淳之介のエッセイ集

吉行淳之介はエッセイや対談の名手としても知られ、多くの作品が残されています。本書のタイトルにもなっている1編には、旅と日常についての彼の考え方が綴られています。

角の煙草屋や坂の上のパチンコ屋まで行くのも旅、自分の住む都会を歩くのも旅。そう考えると、私たちは毎日小さな旅を積み重ねて生きているのかもしれません。

著者
吉行 淳之介
出版日
2009-06-10

また「戦中少数派の発言」というエッセイでは、真珠湾攻撃時に旧制の中学5年生だった吉行が、戦争やそれに伴う事柄を生理的に嫌悪していたことが告白されています。

吉行は戦争に傾いている世間の中で、疎外感と共に自負も感じていました。そして終戦の日、それまで死ぬことばかり考えていたのに、突然生きることを考えざるを得なくなったことから、彼は虚無感と不信感を拭えないまま生きることになります。

吉行作品の根底に流れる不穏な空気は、彼の感性の鋭さに加えてこういった時代背景も大いに関係しているのでしょう。

吉行のエッセイは、軽快ななかでも真実を的確にとらえており、面白く読みながらもハッと気付かされるものが多いです。文章は読みやすいですが、それはただ読者の中を通り過ぎてしまうものではなく、読後に心に残るものとなっています。

吉行淳之介のオススメ作品を取り上げてきましたが、いかがでしたか?華やかな家族やスキャンダラスな面がクローズアップされがちですが、実はかなり複雑な味わいの作品ばかりです。短編集やエッセイなど読みやすそうなものからぜひ手にとってみてください。

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