「分からないことが、分かる」。母と娘をつなぐ作文の哲学【小塚舞子】

「分からないことが、分かる」。母と娘をつなぐ作文の哲学【小塚舞子】

更新:2021.11.29

ある本を読んでいて、突然思い出した出来事がある。というか、なぜか定期的に蘇る記憶で、その回想の果てにはいつも、真面目で大らかで、それでいて大雑把な母の姿がある。

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小学校の宿題「ことばのはじまり」

小学生の頃、こんな宿題があった。「気になることを調べて、作文に書いて、発表しましょう」。もう少し具体的なテーマが決められていた気もするが、とにかく私はそこで「ことばのはじまり」という、実に無邪気な難題をえらんだ。

単純なテーマに見えるが、それは今、インターネットが何でも教えてくれるからだ。世の中の人が感じる大体の疑問については、Yahoo!知恵袋でどなたかが知恵をふりしぼって下さっている。

そこから20年ほど遡るだけで(私がまだ子供だったからということもあるが)情報源は主に図書館で見つけてくる本に限られてしまう。

ましてや子供でも読める児童書の中から専門的な本を見つけるのは至難の業。それでも何とか答えを探すべく、近くの図書館に通った。

田舎の図書館ではあるけれど、そこには大量の本が並んでおり、小学生の疑問にやさしく答えてくれそうな本は見当たらない。

何とかそれらしきことが書かれている本を数冊見つけるには見つけたが、それでも明確な答えを求めていた私にとっては、到底納得できるようなものではなかった。

むしろ「詳しいことはよくわかっていませんっ! だってさぁ! すっっっごく昔のことなんだもの! ねっ! 」みたいな、ナンデ? ドウシテ? と答えの先の答えを求めたがる、つるぴかの子供にとっては消化不良を起こしそうな内容が綴られていた。

これではみんなの前で堂々と発表できるような作文が書けない、宿題が終わらない……と頭を抱えていたところ、母が私にこう言った。

「分からなかったで、ええやん」。青天の霹靂であった。“調べましょう”の答えが“分かりません”でいいだなんて!

え? いいの? 分かりませんって言ってもいいものなの? 世の中そんなもんなの!? と、ショックを受ける私に「しゃあないやん。分からへんねんから」ときっぱり言い放つ母。

テストの解答用紙をまるめて出すような恐ろしさは感じたが、宿題の提出期限は迫っている。今からテーマごと変えて一から調べるなんてこともできない。

私は仕方なく、ことばのはじまりがどうして気になったのか、自分はそれをどう予想するのか、母に聞いてみた見解はどうだったのかを書き、さらに図書館で借りてきた本を紹介するなどして何とか原稿用紙のマスをせっせと埋める。

そうやってお茶を濁すことで“起承転”までを、こってりと粘った。そして「分からないということが、分かりました」と、“結”の部分をさっぱり……いや、ほぼ無味の一言で強引に締めくくり、目を瞑りながら宿題を提出した。

何度も振り返っている出来事だが、そういえば母はこれを覚えているのだろうか。

もしかしたらもっと詳しいことを話してくれるかもしれない。これは聞いてみなければ、と私は久しぶりに母に電話をかけ、こんな作文を書いたことを覚えているかと尋ねた。

すると母は過去を振り返る間もなく「20年以上も前のこと、覚えてへんわ! 」とケラケラ笑った。

しかし、さらに内容を説明していくと母も記憶の引き出しをこじ開けてくれたらしく(最初は取っ手を握る気すらなかったものと思われるが)、この作文の発表が授業参観で行われたことまで思い出してくれた。

クラスのみんなどころか、そのお母さんたちにまで、この“尻すぼみすぎ式駄文”を披露していたことは記憶にないのだが、そこからの記憶は母と私とで合致していた。

ウケたのだ。

私を教育していくうちに大雑把になっていった母

無味の一言はオチと捉えられ、クラスのみんなが笑ってくれた。それが何だかうれしくて、くすぐったかった。

母がどんな気持ちでその光景を眺めていたのかは聞きそびれてしまったが、おそらく母も一緒になって笑っていたのだろう。

ただ、肝心の「分からなかったで、ええやん」が自分の口から飛び出した言葉だということについて母はまるで覚えておらず、「私そんなこと言うたっけ? 」と訝しがっていた。

しかしこれも母の母らしいところで「まぁ、私やったら言うたかもしれへんなぁ! 」とも言ってまた笑った。

母は本来、真面目な人だ。とても真面目で、優しかったが、厳しかった。近所に住む同世代の子供たちからも一目置かれていたくらいで、友達が見ている前でも、恥ずかしいくらいによく叱られた。

しかし私は子供の頃からその真面目さを、ねじり倒した状態で引き継いでおり「こうと決めたらこう! 」というように、てんで周りが見えない頑固者の気質があった。それを助けるべく登場するのが母の大らかな部分なのだ。

きっと母は、娘の持つ要領の悪さを見抜いて、何とか柔軟に物事を考えられるようにと私を育ててくれたのだと思う。ただ残念なことに、母の教育よりも娘の頑固さの方が強靭だったため、私は立派な頑固者に育ったのだが。

その一方で、真面目だったはずの母の方はその大らかな部分が、私を教育していく上でなぜか大雑把さに変わり、その大雑把さがスクスクと成長を続けて、もはや悟りでもひらきそうな領域まできている。

31歳、一人娘の私に母は決して「はやく結婚しろ」などと言わない。一人暮らしをしていても「たまには帰ってきなさい」とも言わない。余程のことがなければ電話やメールもしてこない。

むしろ最近、ポカンと休みがあったので実家に帰ると連絡すると「お父さんもお母さんもその日は出かけるから、帰ってきても誰もおらんで。ごはんもないし」とあっさり帰省を断られた。寂しくはないものなのだろうか。

しかし例の、“作文覚えていますか電話”を切ってから数分後、母から電話がかかってきた。なんと、あの作文が見つかったというのだ。

母は私が書いた絵や手紙、作文なんかを丁寧に保管してくれていた。作文のタイトルは『ことばをしらべて』。

……実に味気ない。内容も電話口で読んでもらったが、私が記憶していたそれよりもずっと淡泊であった。起承転すらこってりしていなかった。結はまぁ、それ以上でもそれ以下でもない。

「なんてくだらない! 」と嘆く私に、母は「小学四年生が書いたもんなんやから、上等やんか」と笑った。その他にもたくさん当時の作文が出てきたらしいので、母は今からそれを読み返すと言う。

なにやら懐かしいものが出てきそうな匂いがするので、面白いものが見つかればまた連絡して欲しいと告げ、電話を切った。



何日か経ったが、未だに電話はかかってこない。メールもない。面白くなかったようだ。

「母」と「ことば」を結ぶためのヒント

著者
西 加奈子
出版日
2014-04-10

この物語の主人公である肉子ちゃん。太っていて不細工で、男には騙されるし服は変テコ。でもとっても明るい。そんな肉子ちゃんを少し恥ずかしく思っているのが、クールな美少女である娘のキクりん。

小学生であるキクりんの立場だったら肉子ちゃんは、それはそれは疎ましい存在だったかもしれません。しかし大人になった今の私は、こんなに人間らしくて愛すべき存在のお母さんがいるキクりんも、自由で真っ直ぐで心やさしい肉子ちゃんも羨ましくて仕方ないのです。

そして、西加奈子さんの本はどれも肩の荷を降ろしてくれるような印象があります。あたたかく、余韻の残る作品です。

著者
鶴見 俊輔
出版日

母が作文を残してくれていたおかげで、図書館で見つけた本の一冊がわかりました。想像していた表紙とは違っていて、おまけに本のレビューを読んでいるとなかなか難しそうなことがわかりました。

小学生以来読んでいないので、ここでご紹介するのもどうなんだろうと迷いましたが、一応。もっと詳しい答えが書かれていそうなので、こわいです。

ちなみに冒頭の“ある本”とはこの二冊とは別の本で、そもそもその本を紹介したかったのですが、いつかその作者の方について書いてみたくなったのでその時に紹介させてください。

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