二宮金次郎といえば「小学校の銅像」でご存知の方も多いでしょう。では一体、何をした人かというと実は知らない方も多いかもしれません。そして最大の謎が「なぜ全国に彼の像像が存在するのか?」。今回はその彼の生涯、そして彼にまつわる謎についてご紹介します。
二宮金次郎、後の尊徳(そんとく、たかのり)は江戸時代後期の1787年、相模国に生まれます。幼少の頃は裕福だった金次郎ですがたび重なる災害によって田畑を失い、借金を抱え貧困生活を余儀なくされます。しかしその中でも努力を重ね、20歳の頃には実家の借金を返済する程の成功を収めました。
その功績が認められ、小田原藩主の大久保忠真に仕えると1823年には下野国の小田原藩領にて復興事業の役を命じられます。そしてその地にて行われた報徳仕法と呼ばれる政策は見事成功を収め、他藩でもお手本として広く伝わって行くこととなりました。
その後、1833年に天保の大飢饉が発生すると藩命により下野国をはじめ小田原、駿河・相模・伊豆を転々とし、各地で復興のために尽力します。その後も各地で復興事業にあたり、生涯で600以上の村々の再興を成し遂げることに成功したといわれています。その功績を称えられ、死後、明治政府より従四位が贈られました。
「倹約を心がけ、それによって生じた余剰物資を以て拡大再生産に取り組む」
報徳思想と呼ばれるこの思想は後の松下幸之助や渋沢栄一をはじめとする多くの経済人達にも多大な影響を与えることとなります。
1910年の東京彫工会において、彫金家の岡崎雪聲(せっせい)が出品した像が明治天皇の目に止まり、これが国の買い上げとなります。「薪を担ぎながら勉学に励む殊勝な少年」というテーマを天皇陛下が大変気に入られたということですが、その像のモデルとなった人物が二宮金次郎だったのです。
明治政府が国策として掲げたのが富国強兵策でした。そしてそれを支える人材の育成として教育の充実が求められました。国民は彼のように勤勉であれ、その才は長じて国家に奉仕するものであれ、と「天皇陛下のお墨付き」の下、その像をモチーフにした銅像が全国へと普及するようになりました。そうして二宮金次郎は「小田原藩の名士」から一躍「全国区の存在」へとなっていきます。
ちなみに戦時中の金属供出により、銅像の多くは軍に供出されることとなります。それによって全国の学校からその姿を消すことになりました。現在、学校にある銅像の多くは戦後に建立されたもので、戦前からある像は多くが石像です。なお、その中でも一部、供出を免れた銅像がいくつか残されております。
金次郎を象徴するものといえば、背負っている薪でしょう。「金次郎少年は薪を背負いながら本を読み、勉学に励んだ」と、彼の勤勉さを象徴するエピソードのように語られています。実はこの薪なのですが、単なる「農作業の手伝い」ではありません。実は金次郎は担いだ薪をどこに運んでいたかというと「売ってお金を儲けていた」のです。
当然ですが江戸時代は電気もガスもない時代でした。都市に生活する人々は電気の代わりに油を買い、ガスの代わりに薪や炭を買いました。薪を販売する二宮金次郎は、今でいう「軽トラックにプロパンガスを積載して販売しているガス販売業者」といったところでしょうか。
とりわけ金次郎の地元である小田原は宿場町です。旅の宿には食事の提供される「旅籠宿」と食事の提供されない「木賃宿」があるのですが、多くの旅人は食事がない代わりに宿泊費が安い木賃宿に宿泊しました。その木賃宿では宿泊客が宿から薪を買い、客は自炊することが基本でした。この薪代を「木賃」といいます。すなわち薪の需要が非常に高かったため、彼が背負っていた薪も当時はとてもよく売れたのです。
読んでいるのは「四書五経」の一つである論語と考えられている説があります。当時の学習方法は「素読」が中心で、とにかく読むことが重視されました。また、試験のようなものもありませんでしたので「書いて覚える」方法はあまり重視されませんでした。
銅像からでは伝わりにくのですが、単に読んでいるだけではなく音読をしているとされています。すなわち「声に出して」読んでいる可能性が高いです。 電車やバスの中でイヤホンで英会話を聞いている人をたまに見かけますが、感覚としてはそれに近いと言えるでしょう。
※四書は「論語」「大学」「中庸」「孟子」。五経は「易経」「書経」「詩経」「礼記」「春秋」
二宮金次郎の銅像といえば、薪を担いで歩きながら本を読んでいるイメージが広く一般的に知られています。しかしこれは必ずしもそのような内容で作らなければならないというものではありません。
最初に像が設置された学校とされる、愛知県にある豊橋市立前芝小学校の像は薪ではなく魚籠(ビク)を担いでいます。これは学校の所在場所が海から近いため、薪よりも魚の方が地元の雰囲気に馴染むであろうという製作者(藤原利平)の意図に基づいたものだといわれています。
意外に思われるかもしれませんが、二宮金次郎像は「製作者が自由に製作してよい」のです。製作にあたって高さが何cm程度であるとか、ポーズがどのようであるとか、あるいは薪を担いでいるべきか否かという規定は特に存在しておりません。「どのようなポーズで、何を担いでいても構わない」のです。
実は座っている像も存在します。栃木県日光市立南原小学校にあるのですが、なぜ敢えて座っているのかといいますと「二宮金次郎が歩きながら本を読んでいる姿は歩きスマホをイメージさせる。これは教育上宜しくない」 という苦情が保護者から寄せられたためで、そしてその要請に応える形で「座っている銅像」にしたというのが学校側の説明でした。
さすがにこのようないきさつに対してネット上では「臭いものには蓋をしろという発想だ」などの反論があったようです。
ちなみに二宮尊徳は1823年に栃木県へと赴いて以降、かなり長い年月をその地で過ごしています。そして1853年には再び栃木県の日光へと赴き、1856年に今市で生涯を終えます。金次郎にとって栃木県は、いわば「第二の故郷」ともいえる場所です。
多くの人が名前は知っているであろう二宮金次郎ですが、その功績を詳細に知っている人はあまり多くないのではないでしょうか。それにもかかわらず彼の存在が今日もなお語り継がれるのは、私利私欲を捨て、人々のために奉仕するという姿勢を生涯貫いたからです。それが指導者のあるべき姿なのでしょう。彼のそのような姿勢は、理想像として今なお評価されて続けています。
- 著者
- 三戸岡 道夫
- 出版日
- 2002-06-01
資料の内容を中心に、二宮尊徳の一生を詳細に解説した一冊です。彼を知るための入門書であり、かつ全体を知ることができる解説書としても満足できるでしょう。500ページと分量が多いですがその分、非常に詳細に書かれております。一冊で彼の人物像を知る本としては大変優れた一冊といえるでしょう。
作者の解説も多少含まれておりますが、書かれていることの多くは資料中心の内容です。その中から作者に共感するもよし、あるいは作者とは異なる自分なりの二宮金次郎像を探してみるのも面白いかもしれません。
金次郎は明治時代に「国家における勤勉のシンボル」とされ、教科書に頻繁に登場しました。その回数は天皇陛下の次に多かったといわれています。そして戦前の大物実業家である渋沢栄一や松下幸之助をはじめ、多くの経済人達が二宮尊徳の教えを学び、後の日本経済を支える実業家へと成長していきました。
- 著者
- 松沢 成文
- 出版日
- 2016-03-16
元神奈川県知事であり、松下政経塾出身者の松沢成文による「成功者としての二宮尊徳論」です。松下政経塾では江戸時代の教育内容について多く伝えられるといいますが、その出身者である松沢がさらにその師である松下幸之助の原点を伝えるというのは大変興味深い内容です。
ある意味、今日のビジネス書の原点を伝えている内容なのかもしれません。江戸時代から脈々と続く内容であると考えて読むと非常に面白い一冊です。
二宮金次郎が薪を背負っているのは単なる勤勉ではなく、高収入を得るための手段でした。二宮金次郎は儒学者ではなく経済人であり、そしてその活動は常に人々の生活に密着したものでした。今日まで多くの人の尊敬を得ているのも彼が単なる知識人ではなく、人々と苦楽を分かち合った「リーダー」であるからだといえます。
- 著者
- 猪瀬 直樹
- 出版日
こちらは元東京都知事の猪瀬直樹による「経済から見た二宮金次郎」本です。彼が生きた時代も現代と同じく「低成長の時代」でした。彼の代名詞ともいえる「報徳思想」のテーマは「拡大再生産」です。すなわち倹約や勤勉は儒教的な目的としてではなく、経済成長のための手段として行われたものであり、その思想は非常に合理的なものでした。
経済人、そして合理主義者としての金次郎にスポットをあて「低成長時代の経済成長」について考える一冊です。経済通である著者の視点から江戸時代の経済について知りたい方にもおすすめです。
著者は二宮尊徳の7代目子孫にあたる方です。著者の経歴から、単なる資料の中の二宮金次郎ではなく祖母から聞かされてきた「身内としての」金次郎の話というのは、他の研究書にはない独特の魅力があります。
- 著者
- 中桐 万里子
- 出版日
- 2013-10-29
二宮金次郎をあまり知らない人が読んでしまうと少々理解しがたい部分があるかもしれません。身内からの口語伝承なので、中には内輪話みたいなものもあります。多少の前提知識はあった上で読むものと理解しておいた方がよいかもしれません。
読み方としては、まず最初に二宮金次郎について全体的な内容をまとめた別の本を最初に読んでおくことをおすすめします。『二宮金次郎の一生』をはじめとする彼の本を読んだ後に読むとより一層面白さが増すでしょう。
「伝記や資料にはこのように書かれているけど、実は」といった感じで伝わってくる。いわば「読み比べ」的な読み方をするのがおすすめです。関係者からの聞き取りを思わせる内容は郷土史研究的でもあり、そのような研究をされている方にもぜひ読んでもらいたい一冊です。
二宮金次郎というと「品行方正」「温厚な人格者」というイメージがあるかもしれませんが、実際はそうでもなかったようです。実は意外にも短気。しかも身長は180cm以上あったといわれ、現代でいえば2mくらいの大男という感覚です。少年時代から薪を運ぶ日々だったので腕っぷしも相当だったことでしょう。
- 著者
- 童門 冬二
- 出版日
- 2001-12-01
手腕を買われ、大役に抜擢されるも家中の偉い人達は「抵抗勢力」となって金次郎の前に立ちはだかります。もしかしたら会社内で同じような立場に置かれている人は金次郎に共感されるのではないでしょうか。
「自分を評価してくれない」そんな気持ちになったらぜひ読んでもらいたい一冊です。金次郎もまた、抵抗勢力と激しい対立をします。しかしそれでも自利を捨て、奉仕の精神で取り組む姿勢はやがて反対していた多くの人の心を掴み始めます。
決して理想だけでは上手くいかない指導者の世界。従来のイメージとは異なる二宮金次郎像を新たに伝える一冊です。教科書では見えてこない、彼の一面を知りたい方にもおすすめします。
いかがでしたでしょうか。これで「二宮金次郎って何やった人?」という疑問も解決できたのではないでしょうか?彼を語る上でキーワードとなるのが「理想のリーダー像」です。
多くは戦国時代や幕末。あるいは戦後の高度経済成長期に活躍した実業家に多くスポットが当たる中、その存在はかなり地味です。しかし苦難に直面した村々に自ら出向き、その再興に尽力した功績は決して彼等に劣るものではなく、また何よりも人々と共に苦楽を分かち合ったその生涯は多くの人の心に響くことでしょう。