ジャン=ジャック・ルソーの著書3選!社会に不満がある人にこそオススメ!

更新:2021.11.8

『社会契約論』『エミール』など、数々の著書を残したルソー。偉大な政治学者だと思われがちな人物ですが、実は人間や社会を嫌うひきこもり的な性格でもありました。ルソーの著作は、上辺ばかりの人間関係に違和感がある人にこそオススメです。

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穏やかな政治哲学者に留まらない多面な顔を持った人物ジャン=ジャック・ルソー

ジャン=ジャック・ルソーと聞いて多くの人が連想するのは、近代の社会契約説を唱えた政治学者としての姿でしょう。たしかに主著『社会契約論』は今なお多く参照される、現代の民主主義にとって重要な書物。そこでは「全ての人が結びつきながらも、それぞれが自由に暮らせるようにする方法」が考えられており、現代の民主主義にも大きな影響を与えています。

しかしルソーは、政治思想に留まらない複雑な顔を併せ持ちます。まず彼は哲学のみならず、文学・音楽と幅広いジャンルで功績を残しました。むしろ存命時は『エミール』『新エロイーズ』などの文学作家としての評価の方が高かったと言われるほどです。

さらにルソーの書物を開いてみると、私たちが漠然と抱いているような「民主主義の祖」としての印象は一変するはず。例えば、『社会契約論』では各人の自由のためには「各構成員を、その全ての権利とともに共同体に対して、全面的に譲渡することである」など、現在の常識と照らし合わせると目を疑いたくなるような記述も少なくありません。

そんな多面的な顔を持つルソーは、1712年ジュネーブ生まれ。生まれつき病弱で10代の頃には激しい虐待に遭い、盗みや悪事を繰り返す非行少年に。各地を放浪し、激しい恋も経験するルソーですが、色々な職業や学業に手をつけてみたものの、結局長続きすることはありませんでした。

パリに出て後に『百科全書』で有名なディドロやタランベールと知り合ったルソーは、記譜法の発明や戯曲を書く一方で「学問や芸術の進歩は道徳を向上させたか」というテーマの懸賞論文に応募。後に『学問芸術論』として知られる論文で見事に入選を果たし、思想的な執筆を精力的に行うようになり、1761年の小説『新エロイーズ』、1762年の『社会契約論』や小説『エミール』など話題作を次々刊行します。

しかし、『エミール』が宗教的物議を醸したことから迫害を受け、晩年は隠遁生活を送ります。その後も『告白』『山からの手紙』などの執筆で弁明を試みるものの、迫害が収まることはなく、1778年に66歳で亡くなっています。 決して裕福とはいえない人生を送る一方、多面的な顔を持ち、未だに様々な解釈がなされるルソー。その魅力は一体どこにあるのでしょうか?

①現在の政治に多大な影響を残しながら、未だに謎の多い思想書 『社会契約論』

ルソーの著書の中でも、今なお大きな影響力を誇るのが『社会契約論』。先にも書いたように現代の民主主義の基礎とも言える本ですが、その内容はかなり不可解で、そう簡単に評価を下すことはできません。

本書でルソーが試みるのは、正しい国家のあり方を考えること。彼は多様な人民がそれぞれ自由に暮らすための政府を構想します。そこで用いられるのが、社会契約です。

社会契約とは、特に17世紀のホッブズやロックに代表される、日本国憲法を含めた近代憲法の礎にもなっている考え方。国家が存在しない「自然状態」を前提に、国家の成立を国家と国民の契約から想定する考え方全般を指します。 

『社会契約論』における社会契約とは、「国民が自身とその権利を全て共同体に譲渡すること」という、一見すると人民の自由にはつながらなさそうなそうな内容。とはいえここでいう共同体は政府のことではありません。政府はあくまで代理人として、譲り渡された「一般意志」を執行するのみにとどまります。この「一般意志」こそが、本書を読み解く最大のキーワードです。 

著者
J.J. ルソー
出版日
1954-12-25

「一般意志」とは何でしょうか?ルソーは『社会契約論』の中で明確に、「一般意志は常に正し」いと言い切っています。一般意志とは、個々人の身勝手な考えである「特殊意志」とは違って、常に正しく公共の利益を目指すもの。

しかし、ルソーは個々人の意志の合計である「全体意志」とも区別しています。つまり「一般意志」は、単純な多数決の結果として現れる訳でもないのです。 特殊意思の総和から相殺しあう過不足を引いて残った相違の合計が「一般意志」といわれます。

……これだけではあまりイメージが湧きづらいですが、実際に本書では「一般意志」が重視されている割に、その抽出方法や具体例などがはっきり示されません。歴史上でも度々都合よく解釈されることもあり、その実態については今でも議論がなされている謎に満ちた概念です。

個人の自由を切に願う一方で、その権利全てを譲渡するしかないと語っているようにも読める……。哲学者の東浩紀氏は、この『社会契約論』におけるルソーの姿勢を1つの「謎」として考え、そこに現代社会の困難を解決する道筋あるとまで考えました。

このように『社会契約論』は、未だに大きな可能性を残しています。一方でこの本だけでは、ルソーの人物像はイマイチ掴みづらいかもしれません。先に確認したように、ルソーは政治だけでなく様々なテーマで執筆を行なっていた人物。そんな彼が『社会契約論』を執筆したのは何故なのでしょうか?

②社会を嫌い、孤独を愛したルソーの「理想」を垣間見る 『人間不平等起源論』

『学問芸術論』に続いて書かれた、彼の名を知らしめるきっかけとなった文章です。「人間の間にある不平等の起源は何か?」というテーマの懸賞論文への回答であり、有名な『社会契約論』や『エミール』よりも短いため読みやすく、ルソーの根本的な問題意識が詰まっています。

著者
ジャン=ジャック・ルソー
出版日
2016-06-11

 

本書でルソーは、人間に起こる不平等を大きく2つに分類します。1つは健康状態や体力に代表される、自然や身体によって生まれた不平等。もうひとつは道徳的または政治的な不平等と呼ばれるもので、権力や主従関係など、人間同士の間で約束や合意によってうちたてられます。

本書では後者の起源が検討されますが、ルソーはその根本原因を「人間社会の誕生そのもの」だといいます。一体、なぜでしょうか? 本書ではその説明のために、大半のページを「野生の人」という社会が誕生する前の人間について語られています。

ルソーによれば「野生の人」は、「情念が穏やかで悪徳を知りません。彼らは純粋な自己保存のための「自己愛」に溢れているため、他人への悪意や差別を持たないのです。しかし、彼らにも他の個体が苦しんでいる姿を見かけたらつい手を差し伸べてしまう「憐れみ」の感情があります。

「憐れみ」のおかげで、法律や規律がなくても人は他人に優しくできるのです。こうした「野生の人」によって構成されるのが、ルソーが理想とした「自然状態」です。 しかし、そうした状態は人間の知性、文明の発展によって阻害されます。文明の発展に伴って人間は相互の利益を確保するための決まりごとや住処、集団を作り、言葉はより複雑になります。

ここから他者との比較や復讐を生み、自分のために悪意を持って他者を傷つける「利己的」な人間が生まれるのです。 文明社会の行き着く先は自由や徳のない、ただ盲目的な隷属だけが支配する専制政治の世界です。全員が虐げられているという意味でこの世界は平等ですが、そこまで腐敗した世界はもちろん理想的ではありません。ルソーはこれを腐敗の結果によって成立するもうひとつの「自然状態」と呼び、強く非難します。とはいえ、「野生の人」が持つ純粋な自然状態と腐敗した自然状態は一見大きな違いはありません。

もちろん、ルソーが想定するような「野生の人」はきちんとした歴史的な検証のない仮想的な存在であり、完全な隷属しかない世界だって存在したことはないでしょう。つまり、『人間不平等起源論』は、2つの「自然状態」という架空の状態を想定することで、正しい社会のあり方を示そうとした本なのです。 ここから、ルソーがどんな世界を望んでいたのかもよくわかります。

どうしても偉大な社会思想家だというイメージのルソーですが、彼は近代的な理性や文明を嫌い、社会の誕生そのものを憎むような人物でした。『人間不平等起源論』には、そんなルソーのあまりに人間的なポリシーがありありと現れています。 『人間不平等起源論』での議論を踏まえると、『社会契約論』が書かれた背景もおぼろげながらに想像できるはず。理想的な野生人による「自然状態」は、『社会契約論』ではすでに実現不可能であることが前提になっています。

もはや野生人に戻ることができず問題だらけの「社会状態」に、それでもどうにか自由と平等を取り戻すための理想的な仮説を構想したのが『社会契約論』だといえるでしょう。仮説的な試みだからこそ、「一般意志」などもなかなかイメージが湧きにくいんですね。

『人間不平等起源論』を読んでからもう一度『社会契約論』を開くと、「人間は自由なものとして生まれた。しかも至る所で鎖に繋がれている。自分が他人の主人であると思っているようなものも、実はその人以上にドレイなのだ。どうしてこの変化が生じたのか? わたしは知らない。何がそれを正当なものとしうるのか? わたしはこの問題は解きうると信じる」という有名な冒頭文が、また違った響きを持って迫ってくるはずです。

 

③全てを失ったルソーが残した最後の独白 『孤独な散歩者の夢想』

「こうして私は、いまや自分自身の他には兄弟も、親しい者も、友も、付き合う相手もなく、この地上に一人きりになってしまった。人間のうちで一番付き合いやすく人懐っこくもある男が、みんなの合意で仲間外れにされてしまったのだ」(「孤独な散歩者の夢想」『ルソー・コレクション孤独』から引用)

『社会契約論』『エミール』が大ヒットした一方で、ディドロを始めとする同時代の思想家との関係を悪化させ、著書の内容をクリスチャンから非難されることになったルソーは都会を離れます。後ろ指を刺され、持病も悪化し、事故にも遭う中で自分と向き合いながら書かれた最後の作品が『孤独な散歩者の夢想』です。数あるルソーのエッセーの中でも、日本人から根強い人気を誇る1冊でもあります。
 

著者
ジャン=ジャック ルソー
出版日
2012-09-26

本書にはいまや1人になってしまったルソーが抱く幸福や懺悔、隠居してからハマり始めた趣味の植物観察、度重なる責め苦に対する恨み辛みとそれを変えることができないことへの悟りなど、田舎での散歩中に思いふけったことが綴られています。冒頭文からもわかるように、本書は誰も信頼できなくなってしまったルソーが誰かのためではなく、自分に語りかけるためにこれまでの人生や秘めていた思いを淡々と独白していくよう。

ルソーは本書をもはや自身のことを誰かに信じてもらうことは一切期待せず、自らの心を養うために筆をとったと執拗なまでに繰り返します。『エミール』が禁書になって以降のルソーは、『告白』『ルソー、ジャン=ジャックを裁く - 対話』など自身の主張を少しでもわかってもらうよう幾度も弁明を試みます。せっかく書き上げた『告白』が刊行できなかった際には、その内容を朗読会で広めようとまでしました。

こうした前提を元に本書を読むと、本書は悟りきったルソーが純粋に思索を深めるために書いた文章のようにも見えます。しかし、完全な意味で誰にも宛てられていない自分のための文章など、存在するのでしょうか?

余生を彩るための新たな目標にすがろうとする一方で、未練はないと言いながら過去に悩み、自分を追放した者たちに毒を吐き続けるルソーの筆致からは、人間の宿命や結局最後まで何らかの形で自身のことを理解して欲しいという思いを捨てきれなかった魂の叫びを聞き取ることも可能でしょう。つい書き手がどんな状況にあるのかを想像させてしまう危うさこそが、本書の最大の魅力なのかもしれません。

本書は不当な扱いを受けながらも『新エロイーズ』『社会契約論』『エミール』などで存命時にも幅広い分野で高く評価されていたルソーでさえもこのように思い悩むのか、とまざまざと突きつけられる本であることは間違いありません。虐待を経験し、マゾヒズムや妄想癖を持っていたと言われ、どちらかといえば辛い人生を送ったルソーですが、酸いも甘いも嚙みしめた彼が孤独の末に残した本書には、きっと疲れたあなたの心に響く一文もあるはずです。

ルソーは幸福について次のように書いています。

「幸福は一つの永続する状態で、この世の人間向きにできているようには思えない。この地上では一切が絶え間なく流動していて、そのため何ものも一定不変の形態を取ることは許されない。私たちのまわりでは全てが変化する。私たち自身も変わる。今日、自分の好きなことが、明日も好きかどうかは誰にも確信できない。それゆえ、現世における私たちの幸福設計は、すべて夢、幻である」(「孤独な散歩者の夢想」『ルソー・コレクション孤独』から引用)

幸福とは一瞬の中で永遠を感じることであり、それはこの世界の人間が手に入れようとしても絶対できないもの。『人間不平等起源論』の「野生の人」でも『社会契約論』の社会設計でも、ルソーは現実の範疇から外れた、ある種の仮定を通して思考していました。こうしたスタイルは、現実を見ているだけでは決して掴むことのできない「幸福」をなんとかして捉えようとしているからなのかもしれません。

困難な人生を送りながらも、世に大きなインパクトを残し続けたルソー。一見難解な彼の思想も、その人となりがわかればより深く理解できるはず。

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