「一休さん」と呼ばれ、様々な「とんちばなし」で知られてきた一休宗純。実は超が付くほどの変わり者で、形だけのものになった禅を批判し、フリーダムな人生を歩みました。今回はそんな彼の波乱に満ちた生涯を5冊の本と共に紹介してきます。
一休宗純は室町時代の有名な僧で、様々なとんちばなしを遺した人物です。父は南北朝を統一した後小松天皇で、母は藤原一族出身の高貴な家柄の出身だったと言われています。
当時の政界では陰謀が相次いでおり、後小松天皇に寵愛された一休の母は宮廷を追われることになりました。そして彼女は嵯峨の民家で彼を産み、彼を政争に巻き込まないように安国寺に出家させたのです。
6歳の一休は「周建」という名前を与えられ、安国寺で11年間修行。才能を伸ばして、17歳の時には謙翁宗為の弟子として仕えることになります。その師から「宗純」という名前を授けられました。
謙翁宗為が亡くなった後は、華叟宗曇の弟子になり、命がけとも言えるほど厳しい修行を受けます。彼はそこで平家物語を聞いた後、「有漏路(うろぢ)より無漏路(むろぢ)へ帰る 一休み 雨ふらば降れ 風ふかば吹け」という無常観を感じた歌を詠み、それを聞いた華叟が「一休」という名を授けました。
ある夜、28歳の一休は、カラスの声を聞いて悟りを開くことに成功します。華叟は一休に「印可証(悟りを開いたことを証明する書)」を授けましたが、彼はそれを受けることを拒否。それ以来、一休は華叟の元を去り、狂歌にまみれた自由奔放な人生を送ることになったのです。
彼は当時の世俗化した僧界を師匠の華叟同様に嫌う僧侶でした。そして民衆の世界に飛びこみ、自分の修行したことを庶民に教えたのです。当時の僧界からは「破戒僧」と恐れられていたものの、庶民からは「生き仏」と崇められ、多くの人々に慕われました。
応仁の乱の真っ最中の1474年には、後土御門天皇の勅命によって大徳寺の住職に任じられ、復興に尽くしました。彼は1481年に酬恩寺にて88年の激動の人生にその幕を閉じることになります。
1:2回も自殺未遂を起こした
一般的に知られているイメージからは想像できませんが、彼は生涯に2回も自殺未遂をおこしていました。 1回目は謙翁和尚が亡くなった後。彼は謙翁を相当慕っていたようで、師が亡くなった時はかなりのショックを受けていたようです。何度か自殺を試みましたが、それも失敗しました。その後はかなりの反骨精神をもつようになったと言われています。
2回目は大徳寺で派閥争いが起きたことがきっかけでした。大徳寺では何人かの投獄者が出ており、自殺者まで出る悲しい事態となっていたのです。彼はその僧界の堕落を嘆き、断食をして死を試みましたが、結局は天皇の説得で死を免れることになります。彼は想像以上に壮絶な人生を送っていたのでしょう。
2:「印可証」を燃やした
一休は華叟に「印可証」を授けられましたが、彼はそれを拒否し、果てには「印可証」を燃やす行為に至ります。当時の仏教界では「印可証」を捨てることは前代未聞のことでしたが、彼はかなりの反骨精神を持っていたため、「印可証」を持つことさえ嫌っていたようです。そんな予想もできない行動に、師は馬鹿者と笑ったと言います。
3:僧なのに悟りを開かなかった
仏教の僧は「悟りを開く」イメージがありますが、彼は「悟りを開かない」ことを頑なに貫いた人です。その信念は「悟りなどないことを悟った」という頑固者を絵にかいたようなものでした。
4:いつもぼろを身にまとっていた
彼は超が付くほど反骨精神が強いせいか、いつも貧相な服を身にまとっていました。彼の考えによれば、外見がどんなに華やかでも中身が伴っていなければ無意味だそう。この姿勢こそが、彼の個性を際立たせてくれます。まさに庶民の立場に立った一休らしい振る舞いです。
5:華叟以上の変人
一休の師匠である華叟も僧界を嫌い、自ら清貧を望んだ変わった僧侶で、アウトローになった人でした。しかし彼は師のさらに斜めをいき、「周りを立派に見せるため」にわざと貧相な格好をしたと言われています。
6:晩年は森女と共に過ごした
一休は晩年には盲目の森女と出会い、彼女を臨終の時まで溺愛していました。彼女は後亀山天皇の血を引いており、彼と同じく高貴な身分出身の、40も歳の離れた女性だったと言われています。
7:最期の言葉に「死にたくない」
一休の最後の言葉は「死にたくない」という、普通の僧侶からしたら考えられないものでした。まさに彼らしい、アウトローな名言でしょう。
本書は一休の生涯、生活を中心に描いたマンガで、タイトルからも彼の反骨精神が伺えます。彼の生涯のほか、世阿弥とそのパトロンだった足利家の興亡、室町時代から戦国時代への時代の移り変わりが描かれています。
1993年から1996年まで3年間連載をし、日本漫画家協会賞優秀賞を受賞した作品です。
- 著者
- 坂口 尚
- 出版日
- 1998-10-08
作者の坂口尚は『鉄腕アトム』の原画にも関わった漫画家で、1995年に亡くなったため本作が遺作となりました。彼の独特のタッチは、一休の葛藤や彼の分身とも言える木々の様子を分かりやすく描いています。
一休の信念や生涯について知れるだけでなく、禅の本質についても学ぶことができます。
一休は当時の腐敗した僧界を捨て、晩年に盲目の森女を愛すなど、とても僧とは思えないほど破天荒な性格でした。本書はそんな彼の生涯を、出生、謙翁師匠との出会いと死別、2度の自殺未遂、臨終まで細かく描いた伝記文学で、谷崎潤一郎賞も受賞しています。
- 著者
- 水上 勉
- 出版日
- 1997-05-18
作者の水上自身、一休と同じく仏教界で修業した経験をもっています。彼のエピソードに対して作者の解釈も取り入れられているのが本作の魅力のひとつです。
本書を読めば、一休の人生哲学の一端を理解できるでしょう。
酒と女、風狂に溺れつつ、堕落した仏教界や次々に起きる飢餓など、殺伐とした時代を生きてきた一休。
彼は幼少期のころから詩をつくる才能を育み、師のもとで学んできました。華叟の「印可証」を断って風狂として生きるようになった後は、殺伐とした時代に対する絶望と嘆きの感情を込めた詩を数多く発表ました。
本書は80年にわたる彼の生涯の作品を現代語訳したものです。
- 著者
- 一休 宗純
- 出版日
本書に収録されている作品はどれも、一休の信念やその時代背景を理解できるものばかりです。堅めの内容ですが、石井恭二の訓読によって彼の世界観を理解することができ、彼の生々しい実像に触れることができます。
僧とは思えないほど女を溺愛した「風狂」の人生を感じてみてください。
『狂雲集』は一休本人の著書で、室町時代の後期に書かれた漢詩文の集大成です。その内容の多くは、彼の変人とも言えるエピソードが大半で、遊芸、情事、自ら「風狂」を名乗るなど、多くの奇行が載っています。
本禅宗の研究者、柳田聖山の現代語で分かりやすく読むことができます。
- 著者
- 一休 宗純
- 出版日
- 2001-04-01
本作の魅力のひとつは、晩年の愛人「森女」との性愛を包み隠さず書いているところです。たったひとりの女性を愛し、それを堂々と漢詩に書くお坊さんは日本全国探しても見つけることはできないでしょう。
一休は風狂を演じることで悟りの領域に達し、すべての生き物を救済しようとしていました。本書には彼の強烈な個性が反映されており、後世の庶民や茶人など、様々な身分層に大きな影響を与えることになります。彼が亡くなった後の江戸時代に再び注目され、とんちばなしが広まるきっかけのひとつを作りました。
続編の『続狂雲集』もあわせておすすめです。
一休は、女を抱く、酒を飲む、権力者を鋭く批判するなど、仏教でタブーとされている行動をしてまで、腐敗した僧界と戦いました。
彼の生きざまから生まれる言葉は、時を経ても、人々に厳しい社会を生きるための勇気や知恵を与えてくれます。
- 著者
- 松本 市壽
- 出版日
- 2011-12-03
一休はタブーを犯してきた人物ですが、常に弱い人の立場を考えて行動した人でもありました。
いじめやブラック企業など、生きにくい世の中をどのように生きていけばよいか迷ったら……不条理な社会に反骨精神で立ち向かっていった彼の言葉からヒントをもらいましょう。
ここまで一休宗純の波乱万丈すぎる生涯とそれにまつわる5冊の本をご紹介しました。時代が流れても、彼の生き方やその信念から学べることはあるはずです。