「さようなら」ではなく「またね」の精神 ―― 旅を物語る本

更新:2021.12.13

タコス! サボテン! テキーラ! そしてルチャリブレ! 3週間のメキシコ遠征から帰ってきました。メキシコ人にとってルチャリブレ(プロレス)は国技と言って良いほど身近なものです。地上波でも毎週放送されているため、日本でお相撲さんが縁起の良い存在として丁重に扱われるのと同じように、ルチャドール(プロレスラー)は街で一目置かれます。道行く人に写真やサインをねだられたり、頼んでないビールがどっかの席から届いたり、タコスを1つサービスしてくれたり(笑)……実際、結構チヤホヤされます。

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ルチャリブレでは良い試合をすると、お客さんがリングにおひねりを投げ入れる伝統があります。新日本プロレスの入門規定、身長180センチ体重90キロに遠く及ばない私はプロレスラーとしてのキャリアをこのメキシコでスタートさせました。この国にルチャリブレがなければ、私の夢は夢のままでした。11年後……星屑のようにキラキラと小銭が舞う、おひねりが飛び交うシーンを自らの試合で現出することができ、感無量の遠征となりました。

そんなメキシコは実に語りがいのある街です。衝撃的な国と言っていいかもしれません。たとえば、多くのトイレに便座が付いていません。トイレットペーパーもありません。盗まれているのです。電車やバスなど公共交通機関に時刻表がありません。時間にアバウトなんです。宿の目の前の公園にはシンナーを吸って目が虚ろな人もいましたし、売春婦も立っていますし、地下鉄の車内では盲目の人がラジカセを抱えながらカラオケをして、チップを貰いに練り歩く。そんな光景も日常。先が読めないイレギュラーの連続、これがメキシコなのです。
 

メキシコホテル

著者
["大倉 直", "稲垣 徳文"]
出版日

メキシコシティにできた日本人宿「ペンションアミーゴ」での日々を描いた本。今回の遠征で私が宿泊していたところも同じような日本人宿で、会社を辞めて南米を一人旅中の女性や世界一周旅行している最中のカップル、メキシコで仕事をしている男性、語学留学しにきた学生……まさに、人生の交差点そのものであった。

この本のなかにも、修行中の日本人プロレスラーが登場している。見知らぬ日本人同士が異国で、同じ空間で生活するという独特な空気感は「自由とは?」「日本とは?」を考えさせられる時間でもある。この本にもちゃんと流れている、そんな時間が。

地球の歩き方 メキシコ 2015~2016

著者
地球の歩き方編集室
出版日
2014-09-06

旅行ガイドブックを読むことが好きな人がいる。ただ眺めるだけで楽しいらしい。理由を聞けば「そこに行った気分になれるから」という。私はそうは思わない。知らない土地の地図を見ても頭に入ってこないから、紹介されている綺麗な風景の写真を見てもワクワクしないのだ。逆に、行ったことがある土地のガイドブックを見るのは、たまらなく好きだ。

しかしメキシコの場合、街中でこの本を開くのは注意が必要である。なぜなら「黄色く分厚い本」は小金を持った日本人観光客である証として一部では有名なのである。拡声器で「襲ってください」と言いながら、歩道の真ん中を突っ立っているようなもの。メキシコは危ないところ、そう思っていれば絶対安全である。そんなことは書いていないからこそガイドブックは帰国してから買うと、より楽しい。

旅の指差し会話帳28 メキシコ

著者
コララテ
出版日
2002-04-06

搭乗手続きを済ませ、出国ゲートをくぐるまでの時間、空港内をウロウロしていると、いつの間にか本屋さんに入っている。実用性を謳った数多くの語学本が並んでいるが、間違いなくこの本をオススメしたい。

会話というものは実にナマモノで、内容がどこに向かうかはいつだって予測不可能である。瞬発力が必要なわけで、言葉の壁が立ち塞がる時、経験上いかに早く言葉の意味を理解できるか、また的確な現地の言葉を使えるかは、その旅の成否を左右するものと言っても過言ではない。その点、この本は生きた単語がすぐに見つけやすい。ちなみに、この「旅の指差し会話帳シリーズ」には日本を訪れる外国人用の日本語版がある。新日本プロレスの寮には外国人選手が住み込みで修行しに来るケースがあるのだが、必ずこの本をプレゼントしている。メキシコ版にはしっかりとルチャリブレも紹介されているからうれしい。

旅する力 深夜特急ノート

著者
沢木 耕太郎
出版日
2011-04-26

私がカナダに住み始めた初日。アパートの目の前にはドーナツショップだけが一軒あり、コーヒーを注文しようとした。すると店員の女性は、まるで私をグロテスクな昆虫を見るかのように怪訝そうな表情を浮かべ、私の精一杯の「カーフィ」という発音を聞き取ろうという素振りすら見せなかった。いま考えると明らかな人種差別だったと思う。「コーヒー一杯すら頼めないのか、俺は」。プロレスラーである前に人間として完全否定された気分だった。だから、この本にある“私が旅という学校で学んだのは、自分は無力だということ”という記述には、スッと気持ちが楽になった。まさにその通りだと思う。

“旅に教科書はない。教科書を作るのはあなたなのだ”。でも少なくとも、私はこの本を旅の教科書にしている。ただし、ひとつだけ言いたいのは、現地の言葉で「いくら」「何」「どこ」「いつ」「こんにちは」「ありがとう」「さようなら」だけ覚えれば、確かにまったく情報のない土地に放置されても、何とか切り抜けられるのは間違いないとあるが、私の教科書では「さようなら」を覚える必要はない。私のしてきた、これまでの旅に「さようなら」を使う場面には遭遇しなかった。「Good Bye」ではなく必ず「See you」。「さようなら」ではなく「またね」の精神。それこそが私の旅の教科書。そんな旅をこれからもしていきたいと思っている。

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