最澄といえば、比叡山延暦寺を建てた天台宗の開祖として、その名が有名です。しかし具体的な功績について説明できる人は少ないのではないでしょうか。この記事では、そんな彼の人生と、知っておきたい意外な事実、名言、さらにおすすめの関連本をご紹介していきます。
今から約1200年前の平安時代に生まれた最澄。12歳で出家して仏道へ進み、14歳で得度し出家しました。
西暦802年、36歳のときに、桓武天皇(かんむてんのう)より唐への短期留学生に選ばれます。留学期間は約1年でしたが、その間103部253巻という大量の経典を写経して天台仏教を学び、日本に持ち帰りました。(230部460巻という説もあります)ちなみにこの時彼と一緒に唐へ留学したのが、後に有名になる空海です。
天台宗の根本経典は「法華経」です。日本でも聖徳太子の時代から断片的には知られていましたが、彼が学んだことにより、詳しい教えが日本に伝わったのです。
また最澄は、帰国してすぐに密教において正当な継承者を定める最も大切な儀式である「灌頂(かんじょう)」を、日本で初めて執りおこないました。これは桓武天皇の要請でなされたもので、留学から帰国した彼が平安仏教界のニューリーダーとなったことがうかがえます。
その後は、自身の開いた天台宗の確立や他宗派との論争に邁進し、留学から18年が経った56歳でその生涯を終えます。死後44年が経った866年、清和天皇(せいわてんのう)から伝教大師の諡号が送られました。「大師」という諡号が与えられたのは彼が初めてということで、まさに日本仏教中興の祖というべき人物です。
1:留学が短期間だったのは、漢語が話せなかったから⁉
最澄の留学期間は8ヶ月という短さでしたが、この短期間で彼は勉学に励み、多くの経典を身につけて帰国するという偉業を成し遂げます。
彼はもともと大量の経典を勉強していただけあって、漢語を読むことは得意でした。しかし漢語の発音、つまり話すことは苦手だったそうです。
当時の日本では、漢語を中国の都である長安の人々に伝わるように発音できる者は限られていました。遣唐使としてともに中国にわたった書家の橘逸勢(たちばなのはやなり)も、漢語の難しさを嘆く文章を残しています。
2:空海とは良きライバル!しかし弟子をとられたことで決別
最澄は若い頃から頭脳明晰をうたわれ、留学前から仏教界での地位を確立した高僧でした。一方の空海も真言宗の開祖であり、まったく違うタイプの2人ですがはじめは良い関係だったといいます。
一緒に唐に渡った2人ですが、当初空海は20年ほど留学する予定でした。しかし彼は、2年で切り上げて帰国してしまいます。
それは日本でのライバルの活躍ぶりを耳にしたからだとか。また、勝手に帰ってきた空海が重い罪に問われずに仏教界に復帰できたのは、最澄の手助けがあったからだそうです。
しかし、教義の解釈の違いから2人の間にはだんだんと距離ができてしまいました。最終的には、最澄が後継者として育てていた泰範(たいはん)が彼の元から去り、空海に弟子入りしたことで決別してしまいます。
仏教を変革して民衆の役に立ちたいという根本の想いは同じだった2人。もし彼らが決別していなければ、日本思想の系譜はおおいに違っていたかもしれません。
3:中国から湯葉を伝えた
懐石料理や精進料理によく使われ、美容的観点から人気の湯葉。これを日本に伝えたのが最澄だといわれています。彼はこのほかに「お茶」も持ち帰っているので、本業意外でも日本文化に大きな影響をあたえたといってよいでしょう。
一燈照隅 万燈照国
(いっとうしょうぐう ばんとうしょうこく)
ひとりが自分の身近にある一隅を照らす。皆がそれをすれば万のあかりとなり、国全体を照らすことができる、という意味です。
ひとりで大国を照らすことができるほどの才能がある人や力のある人はなかなかいませんが、自分の身近な場所だけでも照らそうとすることが、結果的には大きなことにつながるのです。
忘己利他
(もうこりた)
自分のことは忘れ、他人のために尽くすことが、慈悲の極みであるという意味が込められています。
オリジナリティあふれる思索を、西洋哲学から日本文化論まで幅広い分野にわたって展開する梅原猛による、最澄と空海の入門書です。
彼らの宗派である天台宗、真言宗の解説は当然のことながら、彼らの前後の時代の仏教(奈良仏教・鎌倉仏教)との共通点・相違点まで詳しく説明されています。
- 著者
- 梅原 猛
- 出版日
- 2005-05-01
最澄が日本史や日本文化、思想に与えた影響は偉大なものがありますが、残念ながらその人間像は、個性あふれるライバルである空海の影に隠れてしまっています。
「日本の仏教はすべて最澄の仏教に入り、最澄の仏教から出てくる」と本文にあるように、本書は彼の人物像や事跡を分かりやすく解説し、評価しています。彼の実像を仏教に関する知識と共に知りたいという方におすすめできる一冊です。
彼のイメージとしてはやはり「秀才」「エリート」「真面目」といった点が先行して、どうしても固い人物のように思われているのではないでしょうか?ライバルの空海に比べると人間的魅力はやや劣ると思う方は少なくないはずです。
しかし、そんな考えは本書を読めば吹き飛びます。それまでの国家や支配階級・上流階級のためにあった仏教に対し、民衆のための仏教を立ち上げようとした彼の人生を、若き日から描いているのです。失敗を重ねながらも成長していく姿は、織田信長や坂本竜馬といった現代人が英雄視する偉人に勝るとも劣らぬ魅力を放っています。
- 著者
- 栗田 勇
- 出版日
彼の偉大さを「知る」だけならば真面目な解説書、仏教の専門書を読めば良いでしょう。しかし、その偉大さを「実感する」のであれば本書を読むのが最も手っ取り早いかもしれません。
これは、歴史上の偉人には良くあることですが、小説だからといって歴史の理解に関して、専門書に劣るわけではありません。専門書に比べて厳密さで劣る分、躍動的イメージを脳内に授ける、歴史小説の意義はここにあるのではないでしょうか。
仏教とインド哲学の専門家である著者が、インド仏教とも中国仏教とも異なる「日本型仏教」の創造者として、最澄と空海を描いた作品です。
題名に「日本仏教思想」とあるように、メインテーマは「最澄と空海はいかにして日本独自の仏教を作り上げたのか」にあります。この点を考えるために、日本型仏教成立の過程で取り込まれたアニミズムや山岳信仰などからも考察が進められています。
- 著者
- 立川武蔵
- 出版日
- 2016-05-25
この世界自体に聖なる価値があり山川草木も成仏するという思想は、中国やインドには見られない日本独自のものである、と著者は主張します。仏教哲学について論を進めているのに、「話が難解で意味が分からない……」とならないのは著者の力量でしょう。
しかし充分わかりやすいものの、本書の魅力である「日本仏教の創造者として最澄・空海を考察する」という点を楽しむのならば、基礎知識はあらかじめ欲しいところ。そうした理由から、ある程度知識がある人におすすめの本です。
「炎環」「山霧ー毛利元就の妻」など徹底した史料研究を元にしつつ、現代的視点や後世のトピックを類推的に話に絡める独自の作風が魅力の、永井路子の小説です。
彼自身の人生は栄光と転落、希望と絶望の繰り返しといった波乱に満ちたもので、決してすんなりと新しい仏教を確立できたわけではありませんでした。そうであるにもかかわらず、彼の影が薄いのは「時代背景が不透明な霧に包まれていたからだ」と著者は言います。
- 著者
- 永井 路子
- 出版日
- 1990-06-10
等身大の最澄の栄光、野望、苦悩、挫折、絶望などを多くの史料とフィールドワークで得た情報を元に書き下ろしてあります。史料第一主義と共に著者の作風である、「現代的視点」をあえて組み込んだ解釈というのも、本書の魅力の一つです。
前述した『最澄』が、主人公がさまざまな体験をとおして内面的に成長する「教養小説」だとすると、本書は人間としての彼の実像を余すことなく描く自然主義文学的側面をもった歴史小説だといえるでしょう。
最澄や彼に関する意外な事実、名言、そして関連書籍4冊をご紹介しましたがいかがでしたか?この記事を読む前に比べるとどこと無く、親近感を覚えたのではないでしょうか?彼は、真面目で固そうな人物も、少し掘り下げるだけで多くの魅力を見つけることができるという好例だと思います。最澄だけでなく彼のライバル・空海、彼らの系譜を受け継いだ道元や日蓮たちについても調べてみると面白いことを発見できるかもしれませんよ。