幕末、混沌とした時代に黒船を引っさげて現れた男、ペリーといえば誰しも一度は聞いたことのある名前ですよね。しかし、彼がどのような人間だったかについては教科書には詳しく載っていないでしょう。それを教えてくれる本をここで紹介します。
1794年ペリーはロードアイランド州ニューポートにて、アメリカ海軍の父クリストファー・レイモンド・ペリーと妻セーラの間に三男として生まれました。彼はわずか14歳で士官候補生の辞令を受け、海軍に入隊します。彼はみるみる頭角を表し、海軍大佐、司令官となり昇進していきました。
1846年、米墨戦争が始まると、彼はミシシッピ号の艦長兼艦隊副司令として参加、指揮し、後に本国艦隊の司令官に昇進しました。
1852年、日本開国の命を受けたペリーはアメリカ合衆国大統領ミラード・フィルモアの国書を携えて、バージニア州ノーフォークを出航し、日本遠征に向いました。
1853年に彼は浦賀に入港し、幕府の役人にアメリカ大統領の国書を渡しましたが、すぐに開国の条約を迫ることはせずに、一旦沖縄へ食料調達に向かいました。
1854年に彼はサスケハナ号など7隻の軍艦を率いて横浜市に戻り、日米和親条約を調印することになったのです。
帰国した後、遠征記などを書いており、1858年にニューヨークにて63歳で命の幕を閉じます。
1.海軍教育の先駆者である
ペリーは父、兄弟と皆海軍人である海軍一家で育ち、特に兄はエリー湖の戦いにおいて海軍の英雄とされていました。そんな中で彼の海軍気質は育まれたのです。
彼は蒸気船を主力とした海軍の強化策を進めるとともに、士官教育にも力を入れ、蒸気船海軍の父と呼ばれ、海軍教育の先駆者と讃えられています。
2.彼は大変家族思いな男であった
彼には二十歳の時に結婚した献身的な妻がおり、もちろん妻を愛し、妻の言うことに逆らえないほどでした。息子達も男子は全て海軍人として育てあげています。
3.隊員から熊おやじというあだ名で呼ばれていた
海軍には艦長のことを「親爺」と呼ぶ習慣がありました。ペリーは海軍の中でもコンプレックスを感じることのないくらい身体は大きかったのです。そこで「熊親爺」というあだ名が付いたのです。
4.奴隷の帰国事業に積極的だった
アメリカで北部解放奴隷が増え、自由黒人をアフリカに帰す事業があり、その時ペリーは政府からの命令ではありますが、移民船で指揮をとり、司令官時代には入植民と先住民との紛争を仲裁しました。彼は奴隷制は廃止すべきだという考えを持っていたのです。
5.晩年通風やリウマチ・アルコール障害を患っていた
彼は日本遠征の頃にはすでにリウマチを患っていました。晩年には通風やアルコール障害を患い、1858年、心筋梗塞にてこの世を去っています。
黒船が日本に来た目的は誰しもご存知の通り、幕府に開国を求めるためです。しかし、それはどのようにしてなされたのでしょうか。
また、黒船来航が日本に与えた衝撃、庶民はどのような反応だったのでしょうか。この本では、ペリーが琉球、横浜に来航し、その後ハリーが赴任するまでの出来事を意外な事実を絡めながら綴った作品です。
- 著者
- 西川 武臣
- 出版日
- 2016-06-21
黒船来航で日本が騒乱状態かと思いきや、その情報はあらかじめ知らされていました。横浜には物見見物の人々が集まってきます。吉田松陰が黒船に潜入したのも有名な話でしょう。下田に駐屯したアメリカ軍は庶民と懇意にしていたという事実はとても興味深いです。
黒船とは敵という固定観念が崩され、幕末の壮大な時代の動きに心揺さぶられる一冊です。
1853年、アメリカ政府によりペリーは日本開国を命じられ、前任者が日本開国に失敗したことを考え、遠征までに8ヶ月間を費やし、遠征準備を行いました。航海に必要な海図をオランダから高額な値段で取り寄せ、日本に関する著書を出来る限り読んだのです。
ペリーはこの航海で開国だけでなく、アメリカでの間違った日本の情報を正すために、遠征で見たことをまとめる決意だったのです。そのために、画家と写真家を遠征に同行させています。彼は自身の日記や覚書、士官の日記やメモを資料としてこの本を編纂しました。こうして出来た本が本書です。
- 著者
- M・C・ペリー
- 出版日
- 2014-08-23
この本は何と言っても数々の色鮮やかな挿絵が魅力的です。当時の風景や動植物などこと細やかに描写してあります。歴史的に貴重な書であり、専門知識がない方でも楽しめる作品です。
ペリーは軍人として生涯を過ごしますが、その過程には様々な出来事があります。もちろん、日本遠征も大きなイベントでした。
彼がアメリカで日本遠征の命を受けてから、アジア、日本を航海をした間の彼を取り巻く軍人や役人、部下、家族、異国での偉人たちとの関わりと出来事が惜しげもなく書かれているのがこの一冊です。
- 著者
- 佐藤 賢一
- 出版日
- 2011-07-29
ペリーは温厚で思慮深い人物だったといわれています。彼と家族の会話、役人とのやりとりなどがこと細やかに描写してあり、当時にタイムスリップしたようにその場面が鮮明に頭に浮かんできます。
これを読むと、一気にペリーが好きになるはずです。
この本は彼の家族のことや、生い立ち、海軍人としての過程、海戦について、日本遠征から帰国後のことまで、63歳で死去するまでのことを当時のアメリカ社会を背景に紹介しています。
ペリーは開国に対して頑なまでの態度を取り続けた日本を説き伏せ、開国を成功させたにも関わらず、母国では全く相手にされませんでした。
それは当時、アメリカが独立したあとも、イギリスの艦隊がしばしばアメリカ東海岸を砲撃していたことで、武力による外交に批判的だったことと、ペリーが帰国して数年後には南北戦争がはじまったという不運が重なったことが影響しています。
- 著者
- 小島 敦夫
- 出版日
- 2005-12-17
この本ではアメリカにおける彼の立場がよくわかります。ペリーは海軍人ですが政府、行政の影響を受けながら軍人の任務を遂行していきます。彼の苦悩に共感させられる一冊です。
いかがでしたか。ペリーとは悪、という固定観念がなくなり、印象が180度反転したのではないでしょうか。どの本も彼という人物を興味深く描いていますのでぜひ読んでみて下さい。