大転換の時代に必要な「権力」の読み方

大転換の時代に必要な「権力」の読み方

更新:2021.12.5

こんにちは。みなさんは、日々生きてきて、自分に「権力」があると実感することってあるでしょうか?私は社会的立場も高くなく、それほど年長でもないので、あまり感じたこともないのですが、それでも学生さんからすると怖かったり、言うことを聞かなければという気にさせてしまっていることでしょう。「権力」は影響を及ぼそうとする主体、影響を受ける主体があって、はじめて行使されたり、自覚されたりするものです。それを読み解くために、今回も5つの漫画を用意しました。

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恐怖による支配から、自発的な連帯へ

著者
稲垣 理一郎 (原作), 村田 雄介 (漫画)
出版日
2002-12-01
「権力」というと、何となく大きい組織とか、偉い人をイメージする人は少なくないでしょう。例えば、「権力者」と聞いて近所のおばさんをイメージしたり、「権力同士のぶつかり合い」と聞いて猫の小競り合いをイメージする人はあまり多くないでしょう。ただ、社会学においては、このようなミクロな関係、あるいは関係性の上にある立場も「権力」で説明することができます。

特に「権力」を強く意識した研究者のひとりに、マックス・ヴェーバーがいます。彼はまさに、「社会関係の中で抵抗に逆らい、自己の意志を強要する」力として権力の研究を行いました。そんなミクロな権力関係には、いくつかの行使のしかたがあります。それを論じるのに適切なテキストが、『アイシールド21』ではないでしょうか。

『アイシールド21』は少年誌でアメリカンフットボールを描いた珍しい漫画で、アニメ化もされ大ヒット、長期連載になりました。とくに、主人公・セナが所属するチーム・泥門デビルバッツだけでなく、敵チームにも個性的なキャラクターが数多く、必ずあなたの共感できるキャラクターがいるのではないかと思います。特に魅力的なキャラクターの一人に、主人公の先輩であり、泥門デビルバッツの主将・ヒル魔がいます。悪魔のような容姿、狡猾で極悪非道な性格の裏側に、アメフトとチームメイトを想う強い気持ちが垣間見えるキャラクターです。

泥門デビルバッツはストーリー開始当時、試合に出られる人数は3名。主務として、他者を「説得」することにより助っ人を呼ぼうとするセナに対し、ヒル魔はマシンガンなどの重火器や暴れ犬といった「暴力」、あるいは他人の弱みを握って脅す「威嚇」の二種類を使います。ヴェーバーは、この「説得」「暴力」「威嚇」こそが、抵抗する他人に対して影響力を行使する手段だと論じました。こうした物理的な強制力によって、嫌がる相手を無理やり従わせるというのが、ひとつの権力のあり方として捉えられています。

ストーリーが進むごとに、強制による「寄せ集め」チームがどんどん強い紐帯で結ばれていく過程こそが、この漫画の面白さでもあります。前半では支配を、後半では友情を、競技こそ珍しいものではありますが、王道的なジャンプ漫画の醍醐味をぜひ楽しんでみてください。

家族の頼みを聞くことは、服従すること?

著者
永松 潔
出版日
1986-09-01
権力には、強制的に、または自発的に他者を従わせるものがあります。後者のほうが安定的に他者を支配することができますが、そのためには「権威」という概念が用いられると言われています。では、自発的な服従をもたらす「権威」とは、どのようなものがあるのでしょうか。1990年代前半に人気を博したホームコメディ漫画、村松潔『ツヨシしっかりしなさい』から権威と自発的服従を考えてみましょう。

ツヨシは都内に住む高校生。父親が単身赴任中のため、妙齢の姉二人、母一人と一軒家でかしましく生きています。元・美人の母と美人の姉二人に囲まれ、楽しい生活に見えますが、実態は姉・恵子と典子、母・美子の代わりに家事全般を行う毎日……。

日々の家事をすべて請け負うのみならず、姉の代わりに彼氏(候補)への手の込んだ料理を用意したりと、とにかく下僕のように働くツヨシですが、姉と母とツヨシの間にはどのような権力関係が発生しているのでしょうか。姉たちがツヨシを動かすメソッドは数多くありますが、基本的には『アイシールド21』のヒル魔に見られるように、ビンタに代表される「暴力」、へそくりの存在をばらすぞといった「威嚇」、そして言葉による「説得」といったものです。しかし、これらの手段は短期的には必ず相手を服従させられるものですが、例えば相手が自分より大きな暴力を備えたり、開き直られたりしては効力を発しませんから、必ずしもお得な支配のやり方ではありません。では、家族がどのように対応すればツヨシは継続的に服従してくれるのでしょうか。ヴェーバーは、権威とそこに内在する「伝統」「カリスマ」「合法」を行使した支配が自発的服従を促すと説明しました。

美子・典子・恵子の主張に頻発する語彙が、家族における役割です。ここでは「母さんに向かって何よ」「姉さんをなんだと思ってるの」といった形で、ツヨシが「下」の存在であることを認めさせ、服従させるというものになります。こうした支配と服従のあり方こそが、「権威」を用いた支配と言えます。母・姉という存在は、家族という関係の中では弟・子より上だという「伝統」がありますし、容姿端麗な姉たちには「カリスマ性」もあります(事実、ツヨシは説得されなくても、姉に説得された友人のせいで何かをせざるを得なくなったエピソードもあります)。ツヨシが母・姉に従わなくてはならない「合法」的な理由はありませんが、上述した二つの要素は、彼が自発的に服従するに十分だと言えるでしょう。

他人のまなざしが、いつのまにか自分のまなざしになる

著者
高橋 留美子
出版日
2007-04-27
『アイシールド21』の主人公・セナや『ツヨシしっかりしなさい』の主人公・ツヨシに続き、つぎは『めぞん一刻』の五代くんを周辺の人々に翻弄される、つまり「権力」を行使されるキャラクターとして紹介しましょう。一刻館という下宿を舞台に、ユニークな住人に囲まれながら管理人さん(響子さん)と浪人生(連載開始当時)の五代くんが徐々に愛を育む、今も色あせない名作恋愛漫画です。

いままでのキャラクターが直接的なコミュニケーションによって支配されることが多かったように、五代くんも住人たちからの「ちょっかい」に悩まされます。勝手に開けた穴から出てくる隣人・四谷さんや、うるさい酒飲み・一ノ瀬さん、裸同然の格好で下宿内をぶらつく朱美さんによる度重なる宴会に付き合わされる五代くんの姿は、「服従」させられているといっても仕方なさそうです。

しかし、彼らは五代くんより年長でこそありますが、従うにあたって「伝統」や「カリスマ」、「合法」といった、支配に妥当性を持たせる要素はあまりないように思われます。では、なにが五代くんを服従させているのでしょうか?

五代くんの思考パターンには、割とよく見られる特徴があります。それは、「他人の邪魔を先取りして想像してしまう」ところです。例えば、管理人さんといいムードになっている時でも、「こういう時にあいつらが……」と、他の住人の介入を予測するシーンは割とおなじみかと思います。五代くんが「権力」を先取りして想像し、服従している状態ということになるわけですが、これは五代くんが権力を「内面化」していると表現できます。

外在的であるはずの権力が、自己の中でいつの間にか内面化されているという議論を行ったのはミシェル・フーコーという研究者です。彼はもう一つ、重要な概念を提起しました。それは「監視」です。例えば、看守と囚人といった関係がその例として挙げられますが、五代くんは常に同居者に何らかの形で「監視」されているからこそ、実際に監視されているのか否かはさておき、常に監視されている意識を持たざるを得ないということになります。

これは、一刻館という住まいにも一因があります。五代くんの部屋は四谷さんの部屋から言うまでもなく覗き放題ですし、電話も廊下に置いてあります。五代くんが監視されていると感じる理由は、住人の特質だけでなく、こうした施設の状況にもあるでしょう。フーコーは、「パノプティコン」という、中心に看守棟があり、それをとりまく収容所という「全展望監視型」の刑務所から、監視され、内面化される権力という概念を提起したように、五代くんの不安や心配も、もしかしたら一刻館そのものに由来しているのかもしれません。

少女漫画の典型ともいえる「権力」像

著者
神尾 葉子
出版日
2005-05-25
これまでは、おそらくみなさんのイメージとは少し異なる「権力」の説明をしてきましたが、いわゆる「お金を持っている人」や「社会的地位のある人」を「権力がある」と考える人も多いのではないでしょうか。もちろん、こうした定義をした学者もいます。わざわざ説明する必要もないほど有名な研究者ですが、カール・マルクスがその一人です。資源を所有する人々は、資源を所有しない人々よりも権力があるということになります。またマルクスは、主として資本という資源の有無によって、社会における階級を資本家階級である「ブルジョワジー」と賃金労働者階級である「プロレタリアート」に分類しました。

お金持ちの子息が集まる◯◯学校、その中でもとりわけ「権力」のある男子に恋をして――という舞台設定は少女漫画の典型的なものですが、その代表作として『花より男子』を挙げる人も多いのではないかと思われます。一般庶民のつくしと道明寺財閥の御曹司・道明寺司の恋愛を中心としてストーリーが進みますが、類と司との間で揺れる恋心や、桜子や滋といった個性豊かなライバルなど、少女漫画の「王道」らしい展開が楽しい本作です。とりわけ道明寺をはじめとする「F4」は、大金持ちの家庭に育ち、文武両道、容姿端麗という、まさに「権力」を兼ね備えた人々だと言えるでしょう。

つくしの通う英徳学園の学生・教員をはじめとして、実際にF4に逆らえる者は誰もいませんから、「合法」的な支配がかなわないような権力を4人は持っていることになります(ある意味「カリスマ」的と言えるのかもしれませんが)。しかし、その権力関係を超えて、バイトをしながら高校に通う、言わば「プロレタリアート」であるつくしのまっすぐさや素直さ、健気さに惹かれていきます(ただし、つくしも英徳学園に入るくらいの学費と学力があるくらいの家庭出身ではあるわけですから、純然たる「プロレタリアート」ではありませんし、それほど格差があるように筆者の目には見えないのですが……)。

マルクスは最終的に、プロレタリアートがブルジョワジーから政治における権力を奪うことで、公正な社会が生まれて「階級」そのものがなくなると考えました。つくしは司と結ばれても、「幸せにしてもらう」という思考は一切なく、「幸せにしてあげてもいい」という自立した思考を持っています。権力を奪うことも、社会を大きく変えることができなくとも、自立したつくしの性格のおかげで、きっと司も変わることができるでしょう。

国家の運命を決めるのは、カネや戦だけではない

著者
山田 芳裕
出版日
2005-12-22
いままでは個人間の権力ばかりを取り扱ってきましたが、権力はミクロなレベルだけでなく、例えば組織間や国家間においても適用されるものです。せっかくなので、最も規模が大きい国家間の「権力」について考えていきましょう。こうした「権力」と比較的関連が大きい概念に、政治学の「パワー」概念があります。

他の主体に対し、たとえその主体が抵抗を持っていたとしても自分の意思に従わせる力という点では、政治学の「パワー」はヴェーバーの「権力」概念と多く重なるところがあるでしょう。では、国がある国に対して言うことを聞かせたい、というとき、どんなタイプの資源や力が思いつくでしょうか。多くの人は、軍事力や経済力を想像するのではないでしょうか。

しかし、政治学者のジョセフ・ナイは、他者に影響力を与える力はそれだけではない、と論じました。とりわけ「文化」という力は、人の国際移動を通じて国家のイメージを流布したり、多くの専門知を伝播させ、技術のイノベーションを起こしたりと、国家どうしの関係に十分影響力を与えうるものです。これをナイは、軍事力・経済力を指す「ハード・パワー」に対し、「ソフト・パワー」と呼んだのです。

『へうげもの』は、そんな「ソフト・パワー」の存在を感じるためにぴったりの漫画です。
主人公・古田織部(古田左介)は、戦国武将でありながら茶器や釜といった「名物」を愛する「数寄者」です。武人でありながら、知人の手に入れた陶器を羨ましがったり、自分には過ぎると思いつつも褒美の名物に目がくらんだりと、いわゆる「戦国モノ」としてはどこかのんびりしたムードが印象的な作品です。

古田は戦こそあまり上手には見えませんが、彼らの交渉事には軍事と「名品」がつきものであるためか、その目利きを活かしつつ(奇妙な偶然も手伝いつつ)開城の要請などの交渉術を行っていきます。戦というハード・パワーと、名物というソフト・パワーこそが、この世界において重要な影響力とされているということになりますが、この話はそれだけではありません。話が進むにつれこのお話は、「美」の担い手が代わり、時代を彩る新たな価値を創出していく物語でもあることがわかります。ソフト・パワー自体が国家の行先を示しうるものでもあるという示唆は、ある意味現代の「クール・ジャパン」に代表される文化政策ともつながりうるものかもしれません。

今回は「権力」というテーマで5つの漫画を紹介させていただきました。普遍性のあるテーマなので、SNSやメディアなど、現代のテクノロジーに照らすと「権力」はどう考えられるか、といった目でほかの漫画を読むのもおすすめです。意外にも、私たちの身の周りのコミュニケーションに「権力」的なものが溢れていることにも気づくかもしれません。

この記事が含まれる特集

  • マンガ社会学

    立命館大学産業社会学部准教授富永京子先生による連載。社会学のさまざまなテーマからマンガを見てみると、どのような読み方ができるのか。知っているマンガも、新しいもののように見えてきます。インタビューも。

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