本居宣長の意外と知らない7つの事実!古事記伝を執筆、名言や関連本も紹介

更新:2021.11.8

学校の教科書で見た覚えのある、本居宣長という名前。でも何をした人かすぐに答えられる人は、意外と少ないのではないでしょうか。ここでは、江戸時代に「国学の四大人(しうし)」にも数えられた大学者の思想と業績を知る本をご紹介します。

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本居宣長の生涯とは。『源氏物語』を研究し『古事記伝』を執筆した国学の巨人

本居宣長(もとおりのりなが)は1730年、伊勢国松坂(現在の三重県松坂市)の木綿商・小津家の次男として生まれました。小津家は江戸に出店を持つ裕福な家でしたが、宣長は商売に関心がなく、母親のすすめで医師になるため京都に遊学します。

祖先の姓をとり、小津から本居に改名した宣長は、医書を読むために漢学を学び、荻生徂徠や契沖などの学問に触れたことから、古典研究に強い関心を抱くようになりました。

28歳で松坂に帰郷した宣長は、地域の知識人を相手に古典の講義を始めます。その後は医業のかたわらで、『源氏物語』や『古事記』を研究し、松坂の地で数多くの著作を発表することになります。

門人の数も多く、「授業門人姓名録」という記録には、およそ500人におよぶ人々の名前が記され、その階層も町人、農民、武士と幅広く、地域も北は青森から南は熊本までと全国に及んでいました。

宣長の学問は大きく分けて3つに分類されます。1つは、『源氏物語』をはじめとする日本文学の研究です。そのポイントは、仏教の教えや儒教の道徳を説くのが文学の目的ではなく、「もののあはれを知る」、つまりものごとの繊細な機微を感じさせることこそが文学であるという主張です。

2つ目に、彼は日本語そのものの研究でも高く評価されています。「てにをは」の係り結びの法則を発見し、さらに古代日本語の音韻を分析した成果は、宣長自身の研究に寄与しただけでなく、西洋の比較言語学が知られるようになってから再発見され、現代の研究にも影響を与えています。

そして3つ目に、本居宣長の名をもっとも高めライフワークともなったのが、『古事記』の研究と『古事記伝』の執筆でした。『古事記伝』は古事記に訓読を施して注釈をつけた研究書で、44巻を35年の歳月をかけて完成させています。

ただ、宣長存命中の出版は17巻までで、全巻の発行は没後21年経った1822年まで待たなければなりませんでした。

本居宣長の意外と知らない7つの事実!書斎を「鈴屋」と名づけるほど鈴好きだった!?

1:本業は内科医と小児科医だった

宣長は28歳の時に郷里の松坂で医師として開業して以来、71歳で亡くなるまで、内科と小児科が専門の町医者として働き続けました。有名になり、門弟が増えれば収入も多くなりましたが、その分支出も増えたため、医師として働き続けなければなりませんでした。

元旦でも患者があれば診察し、遠くの往診でも厭わずに出かけて行く姿は、現代ならさしずめ地域密着型のドクターといったところでしょう。

2:詠んだ和歌は10000首以上

かつて松坂の町では、夕暮れの薄暗くなる時刻のことを「宣長先生の歌詠み時」と呼んでいました。それほど彼の歌好きは有名で、生涯に詠んだ和歌の数はなんと10000首を数えます。研究ばかりでなく、自ら創作をおこなう文化人でもあったわけです。

3:二次創作まで手がけるほど『源氏物語』が好きだった

彼の『源氏物語』への思いは、単に研究対象というだけでは収まりきらないものがありました。「紫文要領」という源氏物語に関する重要な論文を完成させたのと同じ年に、光源氏と六条御息所との馴れ初めを描いた二次創作まで執筆しているのです。このとき宣長は34歳。前年に11歳年下の奥さんを迎えたばかりでした。

4:オリジナルの衣装を着こなしていた

さまざまなことにこだわりがあった宣長は、衣服でも独自性を発揮しています。通常、医師の正装は十徳とよばれる衣服ですが、宣長は講義や歌会で独特の居士衣を着用したと記録にあります。これは後年、宣長の書斎の名前から「鈴屋衣」と呼ばれるようになり、現存している肖像画でも彼はこの「鈴屋衣」を着用しています。

5:賀茂真淵が師匠だった

彼の師は江戸の国学者で国学四大人のひとりにも数えられる賀茂真淵です。師弟と言っても対面したのは1度きりで、そのほとんどは書簡による交流でした。

『古事記』の研究にあたるにはまずその時代の言葉を知らなければならず、それには『万葉集』を知るのが良いというのが、賀茂真淵の教えでした。そこで宣長は、書簡で真淵から主に『万葉集』についての教えを受けます。

また、宣長の随筆集『玉勝間』には、「良い考えが出来たら、師の説と違っていてもはばかる必要はないと教えられた。そこがわが師の優れた点のひとつである」という意味のことも書かれています。

6:お土産は鈴が多かった

宣長は鈴のコレクターとしても有名でした。自分の書斎に鈴屋という名前をつけるほど鈴が好きだった彼のために、多くの門人や知人が鈴を贈っています。

なかでも特筆すべきは、石見浜田藩主の松平康定から贈られた駅鈴のレプリカです。国学を好んでいた康定は、伊勢参宮の際に松坂に立ち寄り、宣長から『源氏物語』の講義を受けました。その手土産として贈られたのが駅鈴で、隠岐の島に伝わる鈴をもとにしてわざわざ鋳造させたものでした。

7:邪馬台国九州説の元祖は宣長だった?

いまなお近畿説や九州説をはじめ、多くの説が入り乱れている邪馬台国の所在地。宣長は、「魏志倭人伝」の記述を分析し、九州説を提唱しました。

また、1784年に博多湾の志賀島で金印が発見されたことについては、倭国(日本)ではなく、筑前にあった国に贈られたものだと結論づけています。

本居宣長の名言

「人の情の感ずること、恋にまさるはなし。」

『源氏物語玉の小櫛』に載っている一節です。人が心に感じることで、恋心より強いものはないと述べています。恋というのは、自分でも想像できないほどの行動をさせてしまう原動力になりえます。

壮大な恋物語である『源氏物語』を研究していた宣長らしい言葉です。

「かぎりを行うのが人の道にして、そのことの成ると成らざるとは人の力におよばざるところぞ。」

人は自らのやるべきことに全力を尽くすべきで、それが成功するかしないかは、我々の及ばぬところである、という意味です。

宣長は『古事記伝』を35年という長い歳月をかけて完成させました。この執筆作業がうまくいくのかいかないのか、結果がどうなるのか考えるよりも、目の前のやるべきことに自身の生涯を捧げた彼は、まさにこの言葉を体現した人物ではないでしょうか。

「世のなかのよきもあしきもことごとに、神の心のしわざにぞある。」

ここでいう「神」というのは、我々が一般的に思い浮かべる神様というよりは、人を含めた犬や鳥などの動物、草木、さらには海や山などの八百万を指します。

良い神もいれば悪い神もいるし、強い神もいれば弱い神もいて、ひとりの人間である我々がその考えを知ることなどできません。世の中には良いことも悪いこともさまざま起きますが、その理由を知ることもできないのです。
 

評論を文学に押し上げた小林秀雄の集大成

昭和を代表する評論家であり、評論の神様とも称される小林秀雄が、晩年の11年あまりを費やして書き上げた本作。日本文学大賞を受賞し、単行本の発売初日には出版社の前に読者の列ができたといいます。

文庫版では表記が新字、新かなに改められ、充実した注釈が加えられて読みやすくなっています。

著者
小林 秀雄
出版日
1992-05-29

本居宣長は江戸時代の中期の人で、当時、すでに読み方のわからなくなりつつあった『古事記』の注釈書を書き、『古事記」を読むことによって古代日本の感覚を体感しようとしました。

一方の小林秀雄は、あえて文章を難解にすることで、読者に深い理解を迫る作家として知られています。この2つの知性のせめぎあいに、読者は右往左往しながらもグイグイと惹きつけられていく、そんな作品です。

新しい切り口で本居宣長の思想を整理した本

本書は、宣長の生涯を文学と思想の両面にわたって解説した入門書です。入門書とは言え、文献的解釈やエピソードなど、彼の実像について深く掘り下げていて、楽しく面白く概要を知ることができます。

著者
田中 康二
出版日
2014-07-24

本書の特徴は、20代から70代までを年代別に区切り、本居宣長の学問がどのように変遷していったのかを把握しやすいように構成している点にあります。

また従来の宣長関連本が、文学か思想の一方に偏りがちであることを意識して、その両方を対象としているのも意欲的です。本居宣長を知る最初のきっかけには最適な一冊といえるでしょう。

古学の大家が弟子に授けた学問の要諦とは

ライフワークである『古事記伝』を完成させた宣長が、古学の入門者のために記した手引書が『うひ山ぶみ』です。

高校の古典の教科書にも取りあげられることの多いこの書は、現代語なら「初めての山登り」という意味。学問という山に挑もうという人は、文系理系を問わずおすすめです。

著者
白石 良夫(全訳注)
出版日
2009-04-13

講談社学術文庫版では、全文に、口語訳と注釈、そして解説がつけられています。なかでも注釈では、宣長のほかの著作から同様の記述を引用することで、その思想のアウトラインが見えるようになっています。小林秀雄の『本居宣長』の副読本としても役に立つ一冊です。

本居宣長最大の仕事に向き合える本

宣長が35年をかけて著した『古事記伝』は、その膨大な分量から、通読するのも簡単ではありません。

本書は44巻におよぶ大作を詳細に読み解き、丁寧に解説した全4冊の画期的なシリーズです。後世の国学のイメージから誤解されることも多い宣長の仕事がどんなものだったのか、このシリーズを読めばわかります。

著者
神野志 隆光
出版日
2010-03-11

『古事記伝』における宣長の手法は、古事記本文の言葉のひとつひとつに注釈を加えるというものでした。しかも、その解釈には必ず根拠を示そうとします。

最後に導き出される結論は、現代人には違和感のある場合もありますが、その手法には脱帽するしかありません。

本居宣長の業績は広く、大きいため、そのすべてを理解することは簡単ではありません。しかし専門の知識人の力を借りれば、要点を理解することは決して難しいことではないでしょう。まずは、はじめの1歩を踏み出してみてはいかがでしょうか。

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