『ブラックジャック』や『鉄腕アトム』など、数々の名作を生んだ巨匠・手塚治虫。その中の一つ『火の鳥』は、短編集としても楽しめる作品です。全編が六道輪廻を表現し、他の手塚治虫作品にも繋がっている未完の名作の各編の名言を交えてご紹介します。
本作は、魏志倭人伝や日本の古代神々の神話をもとにした「黎明編」から、ロボットが出てくる未来を舞台にした「復活編」に至るまで、様々な時代を背景に輪廻転生を持ってくり返される「終わることのない生命」の物語となっています。
人に限らず、ロボットや草木、地球上の生きとし生ける者全ての生命は、どこから生まれ、どこに行くのか。生命の神秘を描いた哲学的作品とも言えます。
全編を通して掲げ続けているのは、
「生きるのです!」(『火の鳥』黎明編から引用)
というテーマ。これは、手塚治虫から読者たちへのメッセージとも言えるでしょう。
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黎明編・未来編・ヤマト編・宇宙篇・鳳凰編・復活編……と多くの編からなる物語なのですが、卑弥呼のいる過去の時代から始まり、2作目でいきなり未来へ飛び、また古墳が出てくる過去の時代になるという形式をとっています。
過去と未来をくり返し、最後は手塚治虫自身の死をもって完結する物語の構想ははじめからできあがっており、計算されていたのです。
- 著者
- 手塚 治虫
- 出版日
- 2004-03-14
ひと言で言ってしまえば、本作は「六道輪廻」の物語です。
各編に出てくるそれぞれの主人公たちは、取り巻く環境や名前、性格に多少の違いこそあれ、基本的には「以前の敵や、別の種族である相手と恋に落ち、子孫を残して行く役」と、「それを常に見守っていく立ち位置にいる役」の2種類に分ける事ができます。
そして、その2種類の主人公のうち、「見守っている」主人公こそが火の鳥であり、手塚治虫本人でもあるのです。
地球という惑星が死に、そして生まれ変わろうとも、不死鳥である火の鳥は死なず、永遠を望む人間たちに「限りある命の尊さ」「限りある命を精いっぱい生きる素晴らしさ」「愛という感情の美しさ」を訴え続け、最終的には「永遠の命は欲する程素晴らしいものではない」ということを伝えています。
その辺りを踏まえて考えると、シリーズ全体を通しての名言は、なんといってもすべての始まりである「黎明編」の主人公・ナギと火の鳥の会話、そしてすべての終わりである「未来編」で出てくる主人公・マサトと火の鳥の会話でしょう。
「人間は虫よりも魚よりも犬や猫や猿よりも長生きだわ。その一生のあいだに……生きている喜びを見つけられればそれが幸福じゃないの?」(『火の鳥』黎明編から引用)
「マサト…なぜロボットを作るのですか?私はあなたにいったでしょう?人類は新しく生まれ変わるんです。それをやるのがあなたの役目ですって……! ロボットではだめなのよ。血の通った人間なのよ。新しい人間が生まれるのをあなたは見守らなければなりません」(『火の鳥』未来編から引用)
どちらも火の鳥が人間に対して言った言葉ですが、当の永遠の命を持つ鳥は、その長い一生のなかで喜びを見つけることはありません。また、気の遠くなるような長い時間をかけて、新しい人間が生まれてくるのをたったひとりで見守っていくという役目があります。
人間が永遠を手に入れようと火の鳥の生き血を求める一方で、火の鳥が限りある命を持つ人間に希望を託していたことは、なんとも皮肉な話ではないでしょうか。
「黎明編」は、不死鳥である火の鳥の誕生シーンと、「その血を口にすれば永遠の命を得られる」という言い伝えを軸に、3人の人間模様が描かれています。
舞台はクマソ(九州南部)・邪馬台国。
永遠の命を得ることで、自分たちも生きながら子孫も繁栄していくのか。それとも、自分たちの命を終えながら、残した子孫に繁栄を託す道を選ぶのか。はたまた生に執着するあまり、自己も子孫も残らない道をたどるのか……。
それらを選ぶのも己であるという、実に考えさせられる物語です。
- 著者
- 手塚 治虫
- 出版日
ヒナクは、重い奇病をわずらった女性です。彼女の病気を治すために夫は「火の鳥」を探しに行き、そのまま帰らぬ人となりました。その後ヒナクは「邪馬台国」から来た医者・グズリに助けられ、いつしか惹かれ合い結婚します。しかしグズリの正体は、邪馬台国から送られたスパイだったのです。
グズリは計画通り、邪馬台国の戦艦をクマソ一族の内部へ侵入させます。しかし彼は悩み抜いたすえ、邪馬台国の女王「卑弥呼」の絶対的な命令よりも優先したいものに気づいてしまいました。それは、ヒナクを真に愛してしまった心です。グズリは祖国を裏切り帰還せず、彼女を助ける生き方を選んだのでした。
一方、グズリの手引きで船団を率いて邪馬台国から来たサルタヒコは、クマソを滅ぼします。その最中に出会ったヒナクの弟・ナギを邪馬台国へと連れ帰りました。そして彼を、火の鳥を打ち取れるほどの弓の名手に育てあげるのです。
当初サルタヒコを憎んでいたナギは、彼の手によって優秀な弓使いへと育てられていく過程で、本当の敵は故郷を滅ぼしたサルタヒコではなく、老いと死から逃れるために永遠の命を求めた卑弥呼の方である、という答えに辿り着きます。
ナギは卑弥呼を殺そうとしますが、失敗。彼は卑弥呼によって処刑されかかっていたサルタヒコを連れてクマソに逃げ帰りました。するとそこで、死んだと思っていた姉であるヒナク夫婦と、火の鳥に出会うことになるのです……。
卑弥呼による火の鳥狩りの進軍と、他方向から蛮族が進撃してくるなか、一帯は火山の噴火に遭います。その生死の淵にいるナギの目の前に、火の鳥は現れたのでした。
「黎明編」における1番の名言は、火の鳥がナギに放ったこの言葉でしょう。
「人はいつか死ぬからこそ美しい」(『火の鳥』黎明編から引用)
火の鳥は、3つの物語を通して命に執着する卑弥呼とは会っていないものの、彼女にもこの言葉は届きます。死ねない不死鳥は、死ぬ美しさ、決められた期限を精いっぱい生きる生命の尊さを訴え、そして憧れていたのかもしれません。
西暦3404年を舞台とする「未来編」は、宇宙と生命の終焉と再生を司る火の鳥を軸にした物語です。コンピューターに支配された世界で、生命の復活を研究し続ける運命を課せられた不老不死の主人公・マサトの複雑な心情が描かれています。
この「未来編」こそが、本作の全編を通しての最終回であると解説されることも多いですが、一方で最終回を現代に見据えていたとする説もあり、実際の所は手塚治虫本人にしか分かりません。
- 著者
- 手塚 治虫
- 出版日
- 1992-12-08
文明・芸術・文化・生活様式に至るまで、人類の「生」である全てが行き詰まり、誰もが昔に憧れを抱いていました。
地球の大地は人類が住めないほど荒れ果て、滅亡寸前となり、地下都市を設けて移住します。しかし、地下都市でそれぞれの地域を支配をしていたマザーコンピューター同士が対立しはじめ、核戦争を引き起こしてしまうのです。ついに、人類だけでなく生きとし生けるものすべてが死に絶えます。
核戦争により生命の息吹が消えた死の大地で、唯一の生き残りである主人公マサト。すべては火の鳥によって実行された「生命と宇宙構造のリセット作業」であると告げられます。
その作業のためにマサトは永遠の命を授かり、苦悩と孤独を抱えながらも長い時間をかけて研究を行いました。そしてついに、ひとつの答えを導き出したのです。
「未来編」における1番の名言は、何億年も生き続けたマサトが火の鳥に言われた言葉でしょう。
「地球もまた生き物である」(『火の鳥』未来編から引用)
火山が火を噴き、草木は1本も生えず、生命の息吹も聞こえない……。それが「地球」というひとつの生物が死んでいく様子です。そしてそこに宿る「種」という新しい生命が、地球を新たに誕生させる第1歩となります。
地球ですら最後のときがあるというのに、死ぬことができないマサトの辛さは、これまで永遠の命を欲してきた人間の憧れや夢のすべてを打ち砕きます。
彼が長い時間をかけて神の域に達し「地球も生き物である」という言葉の意味を理解したその時、彼の魂は火の鳥と同化します。それこそが全編に渡り人間たちが欲してきた「永遠の命」の答えなのです。
「鳳凰編」は、誰も見たことのない伝説の不死鳥としての火の鳥を軸にして、悪人のなかに芽生える愛と善人のなかに芽生える醜悪が描かれています。
舞台は西暦752年、奈良時代。
この物語は芥川龍之介の「蜘蛛の糸」に通じるものがあります。小さな命を助けることで与えられる希望の光。それを生かすか殺すか、その選択肢は2人の主人公・アカネマルと我王だけではなく、読者にも投げかけられているのではないでしょうか。
- 著者
- 手塚 治虫
- 出版日
- 1992-12-08
心優しい彫師のアカネマルと、たくさんの人を殺めてきた片腕の盗賊、我王の物語です。 生まれてすぐに左腕を失い、心を腐らせ殺戮をくり返していた我王は、ある日美しいハヤメという娘と出会い、やがて一緒に暮らすようになります。
物語のなかで、生まれつき大きくて出来物がある我王の鼻は、どんどん痛みだします。痛む度にハヤメは薬を塗ってくれるのですが、それを盗賊の部下のひとりが毒であると我王に告げ口し、彼は激怒。自らの勘違いと思いこみに揺さぶられ、一心に尽くしてくれていたハヤメを殺めてしまいます。
実はこのハヤメの正体は、我王が逃亡中に助けた1匹の小さなテントウムシ。彼にお礼をするために人間の姿になっていました。その事実を知った我王はハヤメを思い、日々彫刻を彫ります。しかしその彫刻はどれもこれも、凄い形相をした作品ばかりなのでした。
もうひとりの主人公である彫師のアカネマル。清い心と「鳳凰火の鳥を彫りたい」という純粋な気持ちの持ち主だった彼は、いつからか名声のことしか考えない彫師へと成り下がってしまっていました。
奈良の大仏建設事業が収束し、次に帝への献上物を彫る事を命ぜられますが、そこに彫師となった我王が姿を現します。 我王とアカネマルは互いに鬼瓦を彫って競うことに。しかし、ハヤメを思い無心に掘り続ける我王の像の美しさには敵わないと、アカネマルは嫉妬します。そして……。
ハヤメを思い無心に彫る我王のもとに現れた火の鳥は、彼にこの言葉を送ります。
「我王よ、思うように作るがよい!」(『火の鳥』鳳凰編から引用)
しかし、この言葉が我王の耳に届いていたのかは定かではありません。 なぜなら、嫉妬したアカアネマルに陥れられた我王は、左腕だけでなく、右腕さえも失ってしまったからです。
我王の彫る像の顔がなぜ恐ろしい形相のものばかりだったのか、それはこれまで殺めてきた人々の呪いなどではなく、ハヤメを含めたくさんの人を殺めてきた自らの顔が投影されていたからではないでしょうか。そして、彼の最後の作品となった「鳳凰火の鳥像」が美しく輝いているのは、ハヤメを思い、ハヤメの美しさを心の赴くままに作った結果なのではないかと言われています。
これまでの火の鳥は、一貫して主人公に「生きろ」と訴えてきました。しかしこの編では「思うように作れ」という言葉を主人公に向けます。生きるとは、ただ生命として存在するということではなく、自身の心に従うという意味も持つということを、彼らに伝えたかったのではないでしょうか。
「復活編」は、シリーズのなかで唯一火の鳥が軸ではない物語です。ロボットの心を持った人間と、人間の心を持ったロボットのドラマが描かれています。
舞台は遥か未来西暦2482年。
人間の心を持ったロボットと聞いて誰もがに思いつくのが「鉄腕アトム」ではないでしょうか。読み進めながら、アトムと、鼻の大きなお茶の水博士に繋がっていくことを想像してみるのも楽しいかもしれません。
- 著者
- 手塚 治虫
- 出版日
- 1992-12-08
エアカーを運転中に誤って転落死した少年・レオナは、手術によって生き返ります。しかし、埋め込まれた人工脳のせいか、記憶障害がおき、さらには人間が無機質な化け物に見えるようになってしまいました。
目に見えるものの苦しみから、絶望へと追いやられるレオナ。そんななか、旧型ロボットのチヒロと出会い、やがて恋に落ちていきます。
レオナは事故にあう前、火の鳥の不老不死の情報を知っているただひとりの人間でした。そのため記憶を取り戻させ、不老不死の情報を聞き出そうと、かつての同僚が彼にさまざまなことを仕掛けてきます。それでも記憶を取り戻さないレオナにイラつき、ついにはチヒロをスクラップにすると脅すのです。
それに耐えかねたレオナとチヒロは逃避行をするのですが、不運は続きます。逃避行中にエアカーが故障し、雪山で遭難してしまうのです。ここでチヒロは自分の命と引き換えに、レオナを助けました。ロボットのチヒロに感情(心)があることが浮き彫りにされているのは、実に興味深い点でしょう。
生き延びたレオナは密輸団に助けられ、そこの女ボスに好意を寄せられます。そのボスの行動は常軌を逸していました。大好きなレオナと離れたくないがために、彼の身体に自分の感情(心)を入れ込んでしまうのです。
その後レオナは肉体を失くしますが、感情(心)は死の淵を彷徨います。そこで愛おしいチヒロと再会し、ひとつの命となったのです。1体のロボット、ロビタとして彼らは生まれ変わり、たくさんの複製を生み出して世界中で愛される存在となっていきました。
時代はさらに未来へと進みます。長い時間の中でロビタのなかにあるチヒロとレオナの意識はだんだんと薄れていきます。しかし人間であるという意識だけは残っているロビタは、「自分は何者であるのか」と悩みはじめました。
その結果、ロボットは人に危害を加えないが、自分は人間だから人に危害を加えることもできるし、人を殺すこともできるという主張をはじめます。そして、ロビタ本人が導き出した答えは自殺でした。オリジナルのロビタが自殺を図ったことで、複製された大量のロボットたちが溶鉱炉へ飛び込むという異常事態が発生します。
1体のロビタから複製された多くのロビタ型ロボットたちは、感情の無い無機質なロボットであるはずなのに、「オリジナルが自殺をしたから、自分たちも自殺をしないといけない」と、まるで意思を持って行動したかのような、不思議な現象を起こしたのでした。
この編で手塚は、人間ではなく、ロボットという死なない存在を永遠の生命ととらえることもできるのではないかと訴えています。
「復活編」における1番の名言は、冒頭、レオナがチヒロに会いに行く場面で火の鳥が言ったセリフでしょう。
「従うのです!あなたが望んだ運命に!」(『火の鳥』復活編より引用)
この時火の鳥の姿はなく、これはレオナの頭にテレパシーのように聞こえてきます。ここで気が付く点が2つあります。
1つは、まだ話の冒頭であるにも関わらず「従う」「望んだ」と火の鳥が言っていることです。何に従うの?レオナはいつ何を望んだの?と疑問を抱くでしょう。しかし彼は何かに導かれるように行動していきます。
もう1つは、「未来編」で、マサトが地球でひとりきりになってしまった時に、傍に1体のロボットがいるのですが、それがよく見るとロビタなのです。
つまりこの先にある未来が、この「復活編」で望んだ運命という事になります。このひと言が本作全体の「六道輪廻」を表していることに気が付くでしょう。
「太陽編」は、ご神体として祭り上げられた火の鳥を軸に、「狼の皮を被らされた百済のハリマ」と「狼型の洗脳ヘルメットを被らされた人間」が互いの夢を見て苦悩していく模様が描かれています。
舞台は西暦663年と西暦2009年です。
いつの時代も政治と宗教、そして戦争は切り離せない関係にあります。「太陽編」は、その悲しい事実について深く考えさせられる物語です。
- 著者
- 手塚 治虫
- 出版日
- 1992-12-01
西暦663年。戦に負けた元百済の王族ハリマは、顔の皮を剥がれた上からオオカミの頭の皮をかぶせられます。それ以来、体は人間、頭はオオカミという姿で生きていかなければならなくなりました。その後彼は数奇な運命に導かれ、和の国へと渡ります。
見た目は恐ろしいものの、心は優しいハリマ。「犬上」という名をもらってひとつの村の長となり、村民たちにも慕われるようになりました。
政治が行き詰まってきた王朝は、新しく仏教を取り入れることで豪族を統率しようとしますが、王朝の意図で流入された仏教と、従来の土地神のそれぞれの信仰が対立し、争いに発展してしまいます。国が強くなろうとも、民衆が苦しんでは本末転倒。宗教選択の自由すらない国に未来はないと、犬上は訴え続けました。
仏教ではなく土地の神々を信仰しようとする犬上は、仏教のことも否定はせず、またどちらの信仰も押し付けるのはよくないと謳います。しかし、「この戦争をどうしたら止める事ができるのか?」と犬上が問いかけた時、火の鳥は
「宗教戦争は悪いのは仏や神ではなく、それを利用する人の欲望・心なのです」
「どちらも正しい!だから干渉しない!」(『火の鳥』太陽編から引用)
と言って飛び去ってしまいました。
全編を通して「生きろ」と言い続け、生命の尊さを謳ってきた火の鳥が、唯一無関心・無干渉を示した編であり、そこには手塚治虫本人の政治や宗教、果ては戦争に対する考え方を投影しているのではないかと推測することができます。
宗教や信仰は、政治が絡まなければ心の問題であり、何によりどころを置くかは自由だ、という実に難しいテーマです。
一方、2009年を舞台にしたもうひとつの物語。火の鳥を崇拝する宗教団体「光」に支配された日本で、反光テロリスト集団「シャドー」に属している少年スグルは、ある日作戦に失敗して「光」に捉えられ、オオカミの形をした洗脳ヘルメットを被せられてしまいます。
ヘルメットを脱げなくなってしまったスグルでしたが、かつて敵兵であったヨドミと知り合い、やがて惹かれていきます。こちらの話はあえて詳しくは書きませんが、この被らされたオオカミの形のヘルメットが、物語全体の要となっていきます。生きた時代も立場も違う犬上とスグルの意識が、夢の中で交差していくのです。
ここまでご紹介してきた、巨匠手塚治虫の『火の鳥』ですが、ここで紹介した以外にもたくさんの編があります。本作は連載当時から、雑誌の廃刊や、担当編集の意向、本人の加筆修正、さらにはメディアミックスをくり返し、本筋は変わらないものの、人物の描写や名前などが変更された部分も多く存在します。まだこの作品にふれたことのない方はもちろん、読んだことのある方も、何度でも読め、読む度に違う発見ができる素敵な作品なのです。この機会に手にしてみてはいかかでしょうか?