細川ガラシャの知っておくべき7つの事実!壮絶な最期を遂げたキリシタン

更新:2021.11.8

明智光秀の娘として生まれ、細川忠興の妻となり、キリシタンとして戦国の世を生きた女性、細川ガラシャ。彼女の生涯と辞世の句、知っておきたい意外な事実、さらにおすすめの関連本をご紹介していきます。

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細川ガラシャとは。キリストに救いを求めた謀反人の娘

細川ガラシャは、1563年に明智光秀の三女として生まれました。名は明智たま(玉/珠)もしくはたまこです。

16歳の頃、父と同じ信長の家臣、細川藤孝の長男である細川忠興のもとへ嫁ぎます。翌年には長女、その翌年には長男も生まれ、順調な歩み出しと思われたところへ、事件が起きました。

1582年6月2日、父・明智光秀が織田信長を襲撃し、死に追いやった本能寺の変です。20歳にして彼女は謀反人の娘となってしまいました。忠興はたまを丹後の国の味土野(みどの)へ幽閉し、命を狙われないように隠します。2年ほど経ってから天下人となった秀吉の許しもあり、たまは細川家へ戻りましたが、その後も軟禁状態で暮らすことになったのです。

苦難の中、キリシタン大名である高山右近の話を忠興から聞いたたまは、キリスト教に興味を持ち、救いを求めるようになりました。屋敷を抜け出して教会に行き、家臣を通じて司祭と連絡を取り、宗教への理解を深めていきます。そして1587年、ついに洗礼を受けました。その洗礼名が、ガラシャです。

当時は秀吉がバテレン追放令を出すなど、キリスト教は迫害の対象でした。ガラシャは夫忠興にもキリシタンであることを隠していたのですが、後に知られてしまいます。忠興ははじめこそ激怒したものの、いつしか彼女の話を受け入れるようになったそうです。

1600年、関ヶ原の戦いの直前、忠興は徳川に合流するため屋敷をあとにします。そのころ豊臣側の石田三成は大名の家族を人質とし、西軍に引き込もうとしていました。そして、ガラシャを人質として求めたのです。しかし細川家はこれを拒否します。豊臣側の軍勢が、屋敷に攻め入るという強硬策に出ようとしたとき、彼女は死を選びました。彼女の38年という短い生涯は、こうして幕を閉じたのです。

細川ガラシャの辞世の句

ガラシャが最期に詠んだ句は

「散りぬべき 時知りてこそ 世の中の 花も花なれ 人も人なれ」

だと伝えられています。

もともと男勝りな性格で、気性が荒い一面があった彼女ですが、キリスト教に出会ってからは、謙虚で穏やかになったそう。

「花は散る季節を知っているからこそ美しいのだ。私もそうでありたい。」という意味を持つこの句は、キリシタンとなり、最期の時を美しく迎えたいという彼女の心が表れているのではないでしょうか。
 

細川ガラシャの知っておくべき7つの事実!洗礼名の意味は?

1:ガラシャと忠興の夫婦関係は複雑だった

二人は同い年で、美男美女の夫婦だったと言われています。しかし忠興は嫉妬深く、他の男と彼女を極力近づけないようにしていたようです。

ある時、ガラシャのもとに赴こうとした下僕を忠興が手打ちにし、その刀の血を彼女が着ていた小袖で拭いました。それを彼女は平気な顔で何日も同じ着物を着つづけ、忠興が詫びてようやく着替えたといいます。

さらに別の話では、夫婦で食事中、ガラシャが自分のごはんに髪の毛が入っていたことに気付き、そっと隠します。夫に知れたら料理人に危害が及ぶと思ったからです。それを察した忠興は、妻が料理人をかばったと嫉妬し、料理人の首を切り彼女の膳におきました。この時も彼女は取り乱さずにいたと伝えられています。

忠興の短気さと嫉妬深さもさることながら、ガラシャの気の強さもうかがえます。忠興が「お前は蛇だ」と言ったところ、「鬼の女房には蛇がなります」と返したといい、ある面では似合いの夫婦だったのかもしれません。

2:ガラシャは秀吉を憎み続けた 

彼女は父・明智光秀を討った秀吉への恨みを忘れませんでした。許しを得て細川邸へ戻った後、秀吉に謁見を申しつけられた際の逸話が残っています。 

彼女はたとえ殺されたとしても招きに応じるつもりはなく、強いて出よというなら懐剣で刺して復讐するといいました。驚いた忠興が秀吉に、光秀の娘である彼女を近づけるのはいかがなものか、彼女には男の気質があるといったところ、秀吉は恐れをなしたのか二度と申しつけなかったということです。

3:生涯で一度しか教会を訪問しなかった

ガラシャは忠興の命で屋敷から自由に外に出ることはできませんでした。しかし、どうしてもキリストの教えを乞いたかった彼女は、忠興の留守中に屋敷を抜け出すことを計画します。忠実な侍女と相談し、病気と偽り侍女以外の面会を禁じました。そして、警護の者たちに気付かれないように侍女仲間に扮し、出かけていったのです。 

教会についたガラシャは身分を隠し、日本人修道士であるコスメと熱心に議論します。彼女の能力の高さは修道士に「日本でこれほど理解力があり、これほど日本の諸宗派について知っている女性には会ったことがない」と言わしめたほどでした。

しかしその後、夫忠興の監視が以前よりも厳しくなり、再び教会に訪れることはできませんでした。 彼女が教会に行ったのは、後にも先にもこの1回だけだったのです。   

4:ガラシャに洗礼を授けたのは侍女だった
 

彼女は教会を訪問した際、洗礼を授けてくれるように懇願しましたが、彼女が身分を明かさなかったために断られました。教会側は彼女を秀吉の側室ではないかと疑ったのです。その後身分が明らかになり疑いが晴れましたが、夫の監視によって、彼女が教会に行くことも、司祭が彼女の元を訪問することも難しい状況でした。

そこで教会側が一計を案じます。すでに洗礼を受けていたガラシャの侍女・マリアを介して洗礼を授けることに決めたのです。司祭が教会でマリアに手順を教え、マリアが屋敷に戻って司祭に代わって洗礼を授けました。こういった第三者となる信者を介して洗礼を授ける方法を「代洗」といいます。

ちなみに侍女マリアはこの時、司祭の代理を務めた以上、生涯貞潔を守ることを決意し、剃髪しました。

5:ガラシャという洗礼名は本名に由来する 

彼女の本名「玉/珠」の意味は、宝石や貴重なもの、賜物。そしてガラシャはラテン語のGratia(グラティア)に由来し、この言葉には恩寵という意味があることから、本名を意訳してつけられたといわれています。

 

6:ガラシャは離婚を望んだが、キリストの教えがそれを止まらせた

彼女は離婚し、司祭たちのいる九州で静かに信仰に生きたいという望みを司祭に相談しました。しかしキリシタン教会では原則として離婚を認めていなかったため、司祭は根気強く彼女を説得します。そんな中、彼女は愛読していた「ジェルソンの書」にある「一つの十字架から逃れる者は、他のより大きい十字架に遭う」ということばを理解し、離婚を思いとどまったそうです。

7.ガラシャは夫の言いつけ通り死を選び、キリストの教え通り自殺をしなかった

忠興は出陣前に「自分が不在の際、妻の名誉に危険が生じたならば、日本の習慣に従って、まず妻を殺して、全員切腹して、わが妻とともに死ぬように」と家臣に言いつけます。これは当時としてはよくある命令でした。

そしていよいよ石田三成の軍勢に追い詰められたとき、彼女たちは言いつけに従い死を選びます。ただし、キリスト教は自害を禁止していました。そこでガラシャは家老の小笠原少斎になぎなたで胸を突かせ果てることで、キリストの教えを守ったのです。

 

小説で読む、細川ガラシャの生涯

明智光秀の娘として不自由なく育った玉子は、16歳で細川忠興のもとへ嫁ぎます。

父や夫、戦国の男達に翻弄されながら、自分の生き方を求めていく玉子。彼女の生涯を描いた一冊です。

著者
三浦 綾子
出版日
1986-03-27

誕生からその死まで、ガラシャと彼女を取り巻く人々を丁寧に描いた長編小説。本能寺の変が起こるまでの内容もしっかりと描かれており、父・明智光秀の人となりや苦労もよくわかります。

光秀は「三日天下」「裏切り者」などと世間の評価は低いですが、本書を読めばその見方は変わることでしょう。苦悩しながらも信念を貫き、戦国の世に散っていった、父と娘の物語です。

新潮文庫版は上下巻で、上巻が本能寺の変直前まで、下巻が本能寺の変以降メインという構成になっています。

キリスト教史研究者が読み解くガラシャとは

東アジア、キリスト教史を専門とする筆者が、ガラシャにまつわる内容のみならず、キリシタンの資料も読み解きながら、彼女の生涯に新たな光を当てています。

著者
安廷苑
出版日
2014-04-24

ガラシャの生涯、イエズス会について、当時の権力者とキリスト教の関係、婚姻・離婚についての文化の違い。はたして彼女の死は自殺なのでしょうか?それとも殉教なのでしょうか?彼女の人生が後の世に与えた影響まで、大量の資料をもとに丁寧に読み解いていきます。

特に、彼女の死に焦点を当て、家臣に殺させることは自殺には当たらないのか、教会側はどのような回答を導き出したのか、といった部分の考察は圧巻です。

美人ゆえに男を虜にした細川ガラシャ

「罪は、この容姿にある」(『新装版 故郷忘じがたく候』から引用)

他に類をみない美貌を持って生まれた細川ガラシャの、薄幸の生涯を描いた短編集です。

著者
司馬 遼太郎
出版日
2004-10-10

収録作「胡桃に酒」において、ガラシャの生涯が取り上げられています。

最期まで運命を共にする小笠原少斎を、出会ったときから虜にし、夫婦となった後も夫を狂わせてしまったガラシャ。どうしようもできない美しさを持って生まれた彼女は、苦しみの中に生きます。そんななか、彼女に光を与えたのがキリシタン信仰でした。

美しいことは、罪なのでしょうか。本作には男を惑わせる彼女の美しさ、そして彼女の男勝りな生きざまがリアルに描かれています。

2人の女性の純愛絵巻

本能寺の変の後に幽閉された味土野で、初めて恋を知った玉子。 夫のもとに戻ってからも道ならぬ恋に狂います。

そんな彼女に夫は激しく嫉妬し、彼女を支える侍女は、彼女の幸せのためある決断をするのです。

著者
宮木 あや子
出版日
2013-08-28

玉子とマリア、2人の女性を中心にした物語です。玉子の愛が手に入らず空回りする忠興。そして、ずっと玉子のそばに仕え、献身的な愛を注ぎ続ける侍女、糸(マリア)。

「――わたくしのマリア様。わたくしだけの、マリア様。」(『ガラシャ』から引用)

玉子もマリアも忠興も、いとしい人を愛したいだけなのにどうしてもままなりません。そんな苦しさは、恋をしたことがある人なら思い当るところがあるのではないでしょうか。ガラシャの父光秀と、忠興の父藤孝の関係も描かれており、読み応えがあります。 

細川ガラシャの魂の清らかさを描いた小説

たぐいまれな美しさと、清らかな魂を持って生まれたガラシャ。人を信じ生きようとしますが、裏切られ傷つき、人間不信に陥ります。

そんななか彼女の魂に救いを与えたのが、キリスト教だったのです。

著者
永井 路子
出版日

信と不信、いったいどちらをとるべきなのか。ガラシャは自問自答を繰り返しながら、曇りのない目と魂で世界を見続けようとします。問い続けるからこそ、暗闇に光が差すのです。

彼女が見つけた答えは、生きづらさを抱える私たちへの1つのヒントとなることでしょう。

ガラシャの生涯と、彼女に関する本をご紹介しました。小説は流れが同じでも描かれ方が違っているので、読み比べるのも楽しいと思います。

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