新井白石は、江戸時代の中期に活躍した政治家です。6代将軍の徳川家宣と7代将軍の徳川家継に仕え、彼らの代わりに政治を行いました。白石の行ったことは現代でも評価されているものがあります。今回はそんな彼について書かれている興味深い本をご紹介します。
1657年、「明暦の大火」という江戸の大半が焼けてしまった大火事の翌日、新井白石は避難所で生まれました。幼い頃から儒学を学び、頭がとてもよかったそうです。生誕から彼の波乱の人生を予見させますが、この後白石の父親が、勤めていた藩を追われてしまい、貧乏な生活になってしまいました。
貧しいなかでも白石は勉学に励みますが、今度は彼が使えていた老中の堀田正俊が江戸城内で斬り殺され、さらに生活が困窮していくのです。
白石は浪人して学問を続け、その頭の良さから甲府城主、徳川綱豊の目に留まり、彼に仕えることになります。後に綱豊が6代将軍家宣となった後も、また7代将軍の家継のときも彼らを助けて政治を行いました。
まず白石は、前将軍の徳川綱吉が行った生類憐れみの令を廃止します。また、綱吉が質の悪い小判を大量に作り、金や銀が長崎での貿易で国外に流出していたので、長崎貿易を制限して貨幣の質を元に戻しました。
しかしその経済政策はいきすぎていて、大名たちの反感を買います。当時の彼は一介の旗本だったため、1716年に8代将軍吉宗が就任した際に失脚、その後1725年に亡くなりました。
1:新井白石は子どもの頃、火の子と呼ばれていた
彼は幼いころから聡明でしたが、とても気性が激しく、怒ると眉間にシワを寄せていたそうです。そのシワが「火」の文字に似ていたことから、火の子と呼ばれていました。
2:貧乏だった時期にお金持ちの嫁をもらう話が出たが、すべて断っていた
彼が貧乏だった時期に、豪商の角倉了仁からお金持ちの嫁をもらう話が出たり、新たな航路を開いた河村瑞賢の弟、通顕から「当家の未亡人と結婚してくれれば3,000両と家を差し上げる」という誘いを受けたりしましたが、すべて断っていました。1度借りを作ってしまうと、それが後々大きくなる、という理由からでした。
3:白石は頭が良かったため、無料で朱子学者の門下になった
彼は独学で朱子学を学んでいましたが、あるとき朱子学者の木下順庵の門下に入ります。通常はお金が必要なのですが、彼の頭の良さから無料で入門できたといいます。順庵も白石を弟子としてではなく、客として優遇していました。
4:学問が盛んであった加賀に行く話があったが、仲間の弟子に譲った
彼が順庵の門下にいた際、学問が盛んであった加賀に行く話がありました。しかし、同じく順庵に仕えていた岡島忠四郎から、「加賀に年老いた母がいるので譲ってくれ」と言われ、加賀行きを譲ります。彼の仲間思いな一面が分かります。
5:側用人を使って政治を動かした
この時代、一般的に政治を動かすのは、将軍や譜代大名、親藩など、古くから将軍家に仕えていた人たちだけでした。白石のような一介の旗本は将軍の顔すら見ることはできません。彼も将軍と話すことができなかったので、将軍の命令を老中などに伝える役目の側用人だった間部詮房をつかって、政治を動かしていました。
『愚管抄』『神皇正統記』と並ぶ日本の三大史論として有名な、白石の『読史余論』の現代語訳で、白石の考えが表れています。
古代の天皇制から江戸幕府成立へと至る過程を論じつつ、江戸幕府の正当性を主張しています。
- 著者
- 出版日
- 2012-11-13
歴史家としての一面もあった白石の、客観的な史論です。天皇制、室町幕府の評価、易姓革命の危険性などが述べられていて、歴史学者のなかでも高く評価されています。
当時政治を動かしていた白石が世の中をどのように見ていたのか、そしてどんな世の中にしたかったのかを知ることができます。
『折たく柴の記』は白石の自伝です。新井家のことにはじまり、政治をおこなう際の苦労話などが記されています。
- 著者
- 新井 白石
- 出版日
- 2004-06-10
タイトは後鳥羽天皇の「思ひ出づる/折りたく柴の/夕煙/むせぶもうれし/忘れ形見に」という歌から用いたもので、「思い出の記」という意味です。
白石は旗本にもかかわらず政治を動かしていたため、周りの大名たちの反感を買っていました。徐々に抵抗が激しくなっていき、それでも家宣を支えていた苦悩の日々が綴られていて、当時の彼の心境がよくわかります。
白石が政治を執っていた1668年、シドティという宣教師が日本にやってきました。
当時の日本は鎖国中で、キリスト教には禁教令が出されていました。シドティは上陸した種子島で捕らえられた後、江戸に移送されます。そこでの白石との奇妙な出会いが描かれています。
- 著者
- 垣花 秀武
- 出版日
本書を読むと、白石は当時の日本においても世界を視野にいれていたことがよくわかります。また彼の生い立ちなども丁寧に追って、なぜそのような考えに至ったのかも考察しています。
この2人の出会いは開国に先立つ、奇蹟的で歴史的な出会いだったのです。
石ノ森章太郎の「マンガ 日本の歴史」シリーズです。
白石が仕えていた6代将軍家宣は、自らが積極的に政治を行う「将軍親政」をうたっていましたが、それを影で支えた白石と側用人の間部詮房について詳しく描かれています。
- 著者
- 石ノ森 章太郎
- 出版日
- 1998-06-01
白石の功績がドラマチックに描かれていますし、当時の江戸の街並みなども石ノ森によって緻密に再現されているので、楽しく歴史を知ることができます。
小中学生にもおすすめですよ。
新井白石の逸話や、彼が行っていた政治、また彼の人生が分かる本を紹介しました。白石と言えば日本史の授業で必ず出てくる人物です。しかし授業で習ったものとはまた違う側面をより深く掘りさげてみると、歴史を知る楽しみが増えるのではないでしょうか。気になる本があったらぜひお手に取ってみてください。