天草四郎について語られる逸話4つ。島原の乱を知る本もご紹介

更新:2021.11.8

天草四郎といえば、江戸時代初期の大農民反乱「島原・天草の乱」の総大将として有名ですが、どんな人物であったかは謎に包まれています。彼の実像に迫るエピソードと書籍をご紹介します。

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天草四郎とは

天草四郎の出自には諸説ありますが、関ヶ原の乱で改易された小西行長の家臣の子として1621年に生まれたとされています。本名は益田四郎です。

関ヶ原の戦いで小西家が改易された後、益田家は農民となっていましたが、経済的には恵まれていたため四郎は幼いころから学問に接し、教養があったそうです。この当時の島原・天草地方では、松倉家と寺沢家の圧政、重税、キリシタン弾圧により、農民をはじめとする領民の不満は日に日に募るばかりでした。

このような情勢下で育った四郎は、長ずるにおよび、様々な奇蹟を起こします。すると彼のカリスマ性を慕った領民たちが周囲に集まるようになり、ついに彼は、松倉家と寺沢家に対する一揆の総大将となりました。

四郎率いる一揆軍は、島原・天草の拠点を攻撃し、勢いを増します。乱の発生に危機を覚えた幕府が大軍を派遣することを知った一揆軍は、廃城であった原城に籠城しました。この時点で、一揆軍は37000人にまで膨れあがり、武器弾薬や食料も豊富にあったそうです。

3回にわたる幕府軍の総攻撃を一揆軍は跳ね返し、3回目には幕府軍の総大将を務めた板倉重昌が戦死するほどの奮戦ぶりでした。しかし事態を重く見た幕府は増員し、12万人以上もの大軍で原城を包囲します。 鉄砲と信仰心で強勢を誇る一揆軍を前に、幕府軍は損害を抑えるために、兵糧攻めに方針を転換しました。

結局、籠城を始めてから3ヶ月後に原城は陥落し、一揆軍は殲滅されます。四郎も討ち取られ、彼の首は原城大手門や出島の入り口で晒されました。幕府側は総大将である四郎の容姿を把握していなかったため、彼と同じ年頃の少年たちの首を、捕虜となっていた四郎の母親にいくつも見せることで、彼の首を見つけ出したと伝わっています。

島原・天草の乱は研究が進むにつれて、従来考えられていたような「キリスト教徒が起こした反乱」ではなく、「関ヶ原の戦い以降失職した浪人たちが領民を率いて起こした反乱」であったとの見方が強まりました。領主の圧政に不満を抱いた浪人のひとりであった四郎の父が「反抗の象徴」として息子をマネジメントしたと考える人も少なくありません。

実態はともかく、天草四郎は一揆の総大将、そして象徴として、数万もの人々を結束させる存在でした。島原・天草の乱によって複数の大名が閉門、改易、斬首などの処分を受け、幕府はポルトガルとの国交を絶ち、本格的な鎖国に突入します。彼が率いた島原・天草の乱は、まさに日本史を大きく変えた最大規模の内乱だったのです。

天草四郎にまつわる逸話4つ!

1:出生がママコス神父によって予言されていた

神父ママコスとは、松倉家が島原藩主になった際、天草から追放された人物です。彼は去り際にこんな言葉を残したといいます。「26年後、人は天地異変により滅亡する。しかし16才の天童が現れ、キリストの教えを信じる者を救うでしょう。」

そしてその言葉の通り、1637年に天草四郎は現れました。

2:数々の奇跡をおこした

天草四郎は、生前にたくさんの奇跡をおこしたと伝えられています。たとえば、彼に触れられた盲目の少女は視力を取り戻し、呪文を唱えられたスズメは動きを封じられたそうです。また、海の上を歩いて渡ることができたとも言われています。

3:襞襟をいち早く取り入れた

「襞襟(ひだえり)」とは、天草四郎のトレードマークともいえる、あの円状に広がった襟のことです。16〜17世紀頃に西欧諸国の貴族の間で流行したもので、海外との貿易が盛んになりだした戦国時代に日本に入って来ています。四郎はこれをいち早く取り入れました。

ちなみにこの襞襟はキリスト教とは特に関係なく、単なるファッションだったようです。

4:「金田一少年の事件簿」の元ネタとして取り上げられたことがある

「金田一少年の事件簿」シリーズといえば言わずと知れた推人気理漫画ですが、作中で島原と、天草四郎が元ネタとなったエピソードがありました。その名も「天草財宝伝説殺人事件」です。

著者が実際に島原で取材をしたうえでの作成だったため、登場する地名などはすべて実在します。また、ファンの間ではシリーズ屈指の難事件と呼ばれ、通常は10%前後の読者が結末が明かされる前に真相にたどり着けたそうなのですが、この事件に関しては3%程度しか正解者がいなかったそうです。

天草四郎と人々を描く

日本史上最大の農民反乱であり、江戸幕府の政治方針すら変えた島原・天草の乱。信仰のために闘う領民と彼らを抑圧する権力の争いが極限に到達した時、そこに「奇蹟」は存在したのかを問う小説です。

天草四郎と乱について、史実に忠実な立場でありつつ、柔軟な視点で読者を引き込む文体が特徴的と言えます。

著者
立松 和平
出版日

登場人物が天草弁で話しているため、乱の参加者である領民たちに親近感を持って読み進められます。当事者目線で歴史を捉えるという、歴史小説の果たすべき大きな役割を担っている作品です。

当時の領民が置かれた過酷な環境や圧政への不満、四郎に見た希望などを、物語のイメージで理解するのに最適の一冊です。

学術的に天草四郎の実像に迫る

四郎についての最新研究から、「天草四郎は1人ではなかった」もっと言えば「天草四郎は、島原・天草の乱の首謀者である浪人たちが作り出した架空の人物であった」と大胆に提言する本です。

筆者はこれまで定説とされてきた、四郎の家族や死亡時の身元確認の事実について、疑いの眼差しを向けて、丹念に検証していきます。

著者
吉村 豊雄
出版日
2015-04-09

天草四郎ほど、知名度の割に実像が不明な人物も珍しいでしょう。本書を読み進めていくうちに、従来の天草四郎像と現実はどうやら違っていたようだと理解していきます。

彼のことを考えるうえで、一揆首謀者たちのイメージ戦略を避けては通れないということがよく分かる本です。学術的に四郎について知りたいという方におすすめだと言えるでしょう。

殉教戦争という認識に挑む意欲作

かつて島原・天草の乱は「敬虔なキリスト教徒たちが、弾圧と圧政に耐えかねて起こした反乱」という捉え方をされていましたが、現代は浪人が領民を率いて起こした一揆という見方が強まり、従来の宗教戦争という見方は主流では無くなってきています。

本書はそこからさらに、「キリスト教徒の殉教」というステレオタイプな視点を排し、史料から一揆参加者の生々しい行動を掘り起こすことで、民衆にとっての宗教や信仰とは何だったのかを改めて問い直した力作です。

著者
神田 千里
出版日

日本のキリスト教徒が、非キリスト教徒に対して武力で改宗を迫った事実や、宣教師も純粋な伝道者から侵略者、商売人じみた者まで様々だったことなど、安土桃山時代や江戸時代初期のキリスト教の暗部にしっかりと触れている書籍は貴重です。

本書は宗教対立の敗者に対して抱きがちなイメージが、歴史の理解を鈍らせることを教えてくれます。島原・天草の乱について、キリスト教の観点から知りたいという方におすすめです。

「脱線」を楽しむ天草四郎ゆかりの地の紀行文

司馬遼太郎の作品の中でも人気がある「街道をゆく」シリーズは、17巻目が島原・天草の周遊記となっています。

司馬文学の特徴である、膨大なエピソードを作品内に詰め込んでいく作風は、紀行文でも変わりません。彼が様々な史料やアナロジーから膨らませたイメージで、島原・天草の乱を考察しています。

著者
司馬 遼太郎
出版日
1987-01-01

「街道をゆく」シリーズは、読むだけで全国各地を旅行している気分になれますが、天草・島原の農道や家々の風景が脳裏に浮かぶような描写は、四郎や乱に関するイメージをより緻密に現実的なものとしてくれるでしょう。

江戸時代以外の島原・天草の歴史や、他の地方との比較など、司馬作品ならではの「脱線」も魅力的です。天草四郎や島原・天草の乱を「その地方の歴史」として、大きな視点、長い視点で捉えたい方におすすめします。

天草四郎のエピソードと関連書籍はいかがだったでしょうか。島原・天草の乱とその一生が切っても切れず、実像が掴みにくい四郎ですが、これから研究が進むにつれて、新たな新事実が判明することもあるでしょう。彼の時代の少し前、安土桃山時代のキリシタン大名などにも面白いエピソードがたくさんありますから、興味を持たれた方はぜひ触れてみてください。

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