五十音・文庫の旅「ラ行」隆慶一郎、連城三紀彦 etc.

五十音・文庫の旅「ラ行」隆慶一郎、連城三紀彦 etc.

更新:2021.12.1

本を読みたいけれど何を読んだらいいかわからない。なにより今自分が何を読みたいのかわからない。なんて悩んでるあなたのための「五十音・文庫の旅」。己の直感・独断・偏見・本能でもって選んだア行からワ行までの作家さんの作品を己の直感・独断・偏見・本能でもってここへご紹介するという寸法だ。今回は「ラ行」。なぜ文庫なのかというと安くて軽くて小さいからです。

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停電の夜に

著者
ジュンパ ラヒリ
出版日
2003-02-28
「ら」ジュンパ・ラヒリ。
カルカッタ出身の両親をもつベンガル人の女性作家。ロンドンで生まれ、幼少時に渡米し、アメリカのロードアイランド州で成長する。今回紹介する短編集『停電の夜に』でヘミングウェイ賞、ニューヨーカー新人賞を独占、2000年4月には新人作家ながらピュリッツァー賞を受賞。

鮮烈な経歴。
でもこの本を選んだ理由はそこではなく、単に「ら」ではじまる苗字の日本人作家がおらず海外の作家を探していたところ偶然目に入っただけ。しかし自分はこの偶然に感謝している。こんなに素晴らしい作品に出会えるとは。間違いなく今年読んだ小説の中で三指に入る。

表題作「停電の夜に」は 死産をきっかけに距離が出来はじめた若い夫婦が、吹雪の影響で破損した箇所の復旧作業のため毎夜一時間訪れる停電の夜に、ロウソクを灯して隠し事を打ち明け合う五日間を描いた短編。

海外作品を読むときは結局翻訳者頼りになってしまい薄い膜が一枚噛んでいるような感覚が付いてまわるけれど、今回は一切なかった。著者の息遣いが感じられる。小川高義氏の手腕も相当なものだが、翻訳者を通して自然に自身の味わいを醸し出せる著者にも脱帽だ。それだけ物語の練度が高い。言葉の壁を超える力がある。

全編を通して一貫した独特の雰囲気がある。文章が極めて自然体なのだ。といって、好き勝手書いてるわけではなく淡々とした心地の良いリズム感をずっとキープしている。「停電の夜に」は周到な物語の運び方でこちらの期待を裏切ってくれる。ラストシーンの感動は、ジュンパ・ラヒリにしか創ることの出来ないものだと思った。他八編もすべて良作。読後、思わずため息が漏れた。

インドとアメリカの狭間に生きる人々の、いつもの暮らしのなかに起きた決して大きくはないが決して小さくもないドラマの数々。この瑞々しく新しい感性に触れる喜びを味わって欲しい。

見知らぬ海へ

著者
隆 慶一郎
出版日
2015-11-13
「り」隆慶一郎。
数少ないら行の日本人作家の一人。大好きな戦国時代もの。期待を込めて手に取った。結果は大当たり中の大当たりだった。

好きな釣りに出ている時、城を攻められ父と兄を失った向井正綱。「魚釣り侍」と揶揄されるも、向井水軍の長として北条水軍との戦いで頭角を現していく。徳川家康をも唸らせた海の武将を描いた歴史小説。

水軍、とは今の言葉で云えば海軍ということになろうか。九鬼嘉隆率いる九鬼水軍や毛利水軍、村上水軍が有名だろう。その中では数少ない兵力で存在していた向井水軍。なにせ城を落とされて逃げ落ちた当主を舟長に据えた水軍だ。その小さな存在から意志の強さで戦国末期指折りの戦闘集団となりゆく様は読んでいて、やはり男として、かなり熱くなるものがあった。

戦闘場面も迫力満点で、緻密な描写に手に汗握る。海上の戦いを表現するのにぴったりなダイナミズムのある文章。そのうえ、剽悍で剽軽な海の男たちを鮮やかに、かつ、ユーモアたっぷりに描く筆致に夢中になって読み進めた。このハラハラ感とワクワク感。これが戦国小説、時代小説の醍醐味だ。

登場人物たちは生き生きとして本の中を、物語の中を跳ね回っている。とにかく爽やかな作品だ。とにかく主人公である向井正綱のキャラクターが好もしい。「魚釣り侍」と揶揄されたように惚けたところもあって戦国武将なのになんだか可愛らしさがあり非常に親しみが持てる。著者・隆慶一郎の表現力の賜物だろう。直木賞作家ならではの卓抜した物語の運び方が読み手を自然と作品の中に没入させてくれる。

家名を絶やさないこと。これを第一に考えて戦乱の世を渡っていく向井正綱。これは単純な野望や欲望ではない。城を攻め落とされ残された向井水軍を頼りに生きている人々のために正綱は全精力を振り絞って戦う。その頑固とも云える真っ直ぐな物云いや姿勢から諍いを起こすこともあるが、決して曲がらず己が道を突き進んでいく。

随所に散りばめられた海人らしい気持ちの良い名台詞たちを堪能していただきたい。絶筆により物語が途切れてしまったのは残念でならないが、男なら燃えること間違いなし。

向井正綱の大ファンになってしまった。

にんじん

著者
ジュール ルナール
出版日
2014-09-27
「る」ジュール・ルナール。
中仏生まれの小説家。まったく前知識なしで手にとったが、これまた素晴らしい作品。ら行はどうやら今回の五十音の旅の中でも屈指の名作揃いとなった。

赤い髪の毛にそばかすだらけのルピック家の三男は、母に「にんじん」というあだ名をつけられた。その母に日々ヒステリックな意地悪をうけるにんじん。しかしそれに屈することなく一人の人間として成長していく、ルナールの自伝的小説。

とにかくいじめられまくる、にんじん。可哀想なのだ、にんじんが。
メロンやチーズなど、美味しい物をにんじんは嫌いだと決めつけて食べさせなかったり、真っ暗な夜、まだ幼いにんじんに外にあるニワトリ小屋の扉を閉めに行かせたり、挙げ句の果てにはにんじんがおねしょをすると、その小便をスープに混ぜて飲ませる、なんてこともしている。しかもそれは、母親が意地悪をしてにんじんの部屋の尿瓶を隠して部屋の扉の鍵を中から開かないようにして、わざとおねしょをさせた結果なのである。

最早虐待である。にんじんには両親のほかに兄と姉がいるが、一家の全員からいじめにあっているわけではない。母親がいないところでは、兄や姉とじゃれあったり、父親とは一緒に猟へ行ったり海水浴をしたりしている。しかし皆、家庭の中で隠然とした支配力をもつ母親の巧みなリードによって、様々な場面でにんじんは愚鈍だ残酷だという偏見をつくられ、母親のいる前ではにんじんは孤立する。

とまあ、ここまでにんじんへの虐待について書いてきたが、このことに関しては翻訳者・高野優氏があとがきで「モラル・ハラスメント」の例をもって詳しく解説しているので、そちらを参照していただきたい。

まるで童謡のようなおかしみや可愛らしさのある文章だが、それが逆に、にんじんの苦しみや悲しみを浮き彫りにしている。短編式で書かれた一つひとつの物語はまるで劇の一幕一幕を観ているように胸に迫ってくる。

そして、物語のちょうど中盤ほどから、にんじんは徐々に母親に反発を見せる。「にんじんは食べないわ。チーズが嫌いだから……。まちがいないわ」と母に云われ、〈ママがまちがいないというなら、まちがいない。ぼくはチーズが嫌いなんだ〉なんて考えてしまっていたにんじんが、だ。自分だけの考えをもつようになり、それは「自分だけの心のうちにしまっておかなければいけない」意見だという。一方的な価値観を押し付けられてきたにんじんの精神の深まりである。

苦しい虐待の日々の中にある小さな幸せを見出し、それを糧/支えにして力強く成長していくにんじんに感動を覚えた。そして、自伝的小説とはいえ、ここまで繊細に一人の少年の心の移り変わりを描いたルナールに賞賛を贈りたい。

確かな傑作。一読あれ。

恋文・私の叔父さん

著者
連城 三紀彦
出版日
「れ」連城三紀彦。
今回紹介する「恋文」で直木賞を受賞されているほか、多数の受賞作を抱えるミステリー作家。

マニュキュアで描いた花吹雪を窓ガラスに残した、子供のような無邪気さを捨てられない年下の夫・将一の失踪をきっかけに、しっかり者の妻・郷子に初めて心を許せる女友達ができるが……。表題作「恋文」はその三人の心の葛藤を描いた短編。

五編の短編が収められたこの作品、どれを読んでも感嘆しか出てこない名作揃い。まさにセンスの塊。物語の構築、登場人物の描写、そしてストーリーテラーとしての著者の腕前に感服した。どの作品にもミステリー作家らしいドキッとさせる仕掛けが施してあり(仕掛け、という云い方は不粋だが)、エンターテイメント作品の面を持ちつつ、繊細な心理描写とテーマの置き方が純文学足らしめている。

しかし表題作「恋文」が一番、読者の裏をかくような仕掛けのない、その分シンプルな作品だった。とはいえ最後の最後まで結末が読めない。このワクワク感を損なわせないのは凄い。

「虫のいいことを承知で言うけど惚れるって、相手に一番好きなことをやらせてやりたいっていう気持ちのことじゃないかな。本当に惚れるってそういうことだよ」
失踪後再会した夫・.将一のこの台詞が心に残った。確かに虫のいい発言に聞こえるが、この台詞がこの物語のテーマだろう。

本当に人を愛するということは、その相手の全てを自由にさせることなのかもしれない。信頼である。ひとつの愛のかたち、ひとつの真理ではあるだろう。このことを、柔らかな空気を纏った文章が押し付けがましくなく胸に響かせてくれる。

同表題にもなっている「私の叔父さん」、髪結いの亭主の顛末を時におかしく、時に切なく描いた「ピエロ」は個人的には特に味わい深かった。どちらも愛に揺れ動く男と女の心を見事な手腕で書き上げている。

全編を通して、一話読んだあとの余韻が心地良く、次の物語の読み始めるのが躊躇われるほどだ。
読むものに迷っている方に強くオススメします。全方位型の短編集。是非一読あれ。

思い出のマーニー

著者
ジョーン・G. ロビンソン
出版日
2014-06-27
「ろ」ジョーン・G・ロビンソン。
スタジオジブリでアニメ映画化され、日本でもさらに認知を得た作品。

「頑張ろうとしない」と教師に評されたり、何かにつけ親代りのプレストン夫人に心配をかける孤児・アンナ。周りの人々を”内側”の人間と位置づけ、自分はいつでも“外側”の人間だとつまらなそうな顔をして孤独にも抗おうとしない。そんなアンナはプレストン夫妻のはからいで自然豊かなノーフォークでひと夏を過ごすことになり、そこで美しく不思議な少女・アーニーと出会い、初めての親友を得るが……。

スタジオジブリのアニメ映画版は観ていてたからすんなりと物語に入っていけた。もしかしたら映像化されたものを観たあとその原作を読んだのは初めてかもしれない。そのうえでの感想としてはどちらが先でもあまり印象は変わらない作品だった。無論、それは良い意味で。

とはいえこの原作の方がアンナの心の葛藤や登場人物の心理描写などは深く、素直に物語へ没入できる。作者の手腕も勿論だが、これは翻訳者・高見浩氏のお手柄でもあるだろう。偶然にも氏はハ行で読んだアーネスト・ヘミングウェイの「移動祝祭日」も翻訳しておられたので頷ける。名手だ。

アンナの固く閉ざされた心に、アーニーとの「出会い」と「別れ」が情愛を覚えさせ激情で揺さぶりヒビが入っていく。そのヒビから溢れた光はアンナの押し殺していた感情であったのだ。そして後にアンナはリンゼイ一家との出会いで自然にその感情を爆発させている。この作品は「過去と未来を結ぶ奇跡のストーリー」でもあるが、哀しく重い時間を背負わされた幼い少女の成長の物語なのだ。

冒頭のノーフォークへの旅立ちからペグ夫妻との暮らし、マーニーとの出会い。そしてリンゼイ一家と出会って共に夏を過ごし、ことの真相が明かされる最後までアンナは成長し続けている。そこに自分は感動をみた。

自分が“外側”の人間で、周りの人々は”内側"の人間という感覚は、ふとした時にタチの悪い孤独感をつくりにやってくる。自分はそのたまにやってくる感覚を恐らく殺すことはできないけれど、この作品を読んで、ぶん殴ることぐらいはできるかな、と思った。

実に温かな物語だ。心の寒い日には一読あれ。

というわけで、ら行の五冊。
素晴らしい作品群だった。このホンシェルジュに連載していなければ、この五十音の旅をしていなければ、こんなに海外作品に出逢えなかっただろう。本を読むのは楽しい。この旅もクライマックス。また来月。

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    バンドマンやソロ・アーティスト、民族楽器奏者や音楽雑誌編集者など音楽に関連するひとびとが、本好きのコンシェルジュとして、おすすめの本を紹介します。小説に漫画、写真集にビジネス書、自然科学書やスピリチュアル本も。幅広い本と出会えます。インタビューも。

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