第2次世界大戦で劣勢だったイギリスを勝利に導いたウィンストン・チャーチル。ノーベル文学賞も受賞した彼の人生を、おすすめの本とともにご紹介します。
ウィンストン・レナード・スペンサー=チャーチルは1874年11月30日にイギリスで誕生しました。父は由緒あるマールバラ侯爵の三男で政治家、母はアメリカの大富豪の令嬢という、貴族階級の生まれです。
学校の勉強についていけなかった彼は陸軍軍人の道を歩み、当時大英帝国の支配下にあった、インド、エジプト、南アフリカなどを渡り歩きます。
その後、父親の背中を追うように、政治の世界へと入ります。1900年に保守党候補として初当選し、離党や落選、移籍を繰り返しながらキャリアを重ねていきました。1908年には33歳の若さで通商大臣に就任、第一次世界大戦では海軍大臣、軍需大臣をつとめ、イギリスの勝利に貢献します。
1939年に第二次世界大戦が勃発し、1940年絶体絶命の戦時下で首相に就任して、イギリスを導きました。アメリカ、ソビエト連邦と同盟関係を結び、チャーチル、ルーズベルト、スターリンの3巨頭によるテヘラン会議に基づき、ノルマンディー上陸作戦が決行され、膠着状態を崩します。そして1945年にドイツが無条件降伏し、第二次世界大戦は終息へと向かったのです。
その後、チャーチルは政権を失いますが、1951年にふたたび首相を務め、冷戦下でのイギリス政治の舵をとります。そして1955年に引退し、1965年1月24日、90歳で人生を終えました。
彼は文筆家としても優れていて、若き日はジャーナリストとして戦地に赴き、生涯に渡り多くの歴史書や回顧録を執筆しています。なかでも回顧録『第二次世界大戦』はよく読まれ、1953年にはノーベル文学賞を受賞したほどです。
言葉の力を駆使した強力な統率力と、逆境に屈しない抵抗精神で、第二次世界大戦を勝利に導いたチャーチルは、もっとも偉大なイギリス人と評されることもあり、イギリスの国民的英雄といわれています。
1.予定日より2ヶ月早く生まれた
ウィンストン・チャーチルは、ロンドンの高級住宅街、メイフェアで生まれる予定でした。しかし、両親が父方の実家であるブレナム宮を訪問していたとき、母のジェニーが転倒し、そこで急遽出産することになったのです。予定日より2ヶ月も早い早産でした。陣痛は8時間も続き難産でしたが、生まれた子はとても健康で、驚くほどかわいかったそうです。
ただ、結婚後7ヶ月半という早産について心配された形跡もなく、誕生時の体重も残っていないことから、性急だったのはチャーチルではなく、両親だったのでは、という説もあります。
2.学校では落ちこぼれだった
彼は自分の興味を喚起しないことは覚えようとせず、7歳から習っているラテン語も苦手で、パブリックスクールの入学試験では答案用紙をインクでよごすだけに終わったといわれています。パブリックスクールのハロー校でも落ちこぼれで、3年間劣等生のクラスから抜け出せませんでした。
しかし、このことがむしろ役立つことになります。劣等生のクラスは古典語を免除されるので、その結果、英語での執筆と弁論に熟達したのです。彼はその後、英語の力を使い政治家としてキャリアを重ね、英語の執筆で収入を得るようになりました。
3.乳母をとても慕っていた
当時、上流社会では育児は親の仕事ではありませんでした。特に彼の両親は政治や社交に夢中で、子どもに会う機会もあまり設けない親だったのです。そのため、彼は親の愛情に飢えていました。
かわりに彼を育てたのは、乳母のエベレスト夫人です。ケント州の下層階級出身の彼女は、ウィンストン・チャーチルを「ウーム」などと呼び、惜しみない愛情を注ぎました。彼も彼女を慕い、あらゆる心配事を打ち明けます。
乳母の必要がなくなったとき、両親は夫人を解雇しましたが、彼はそれを不当に感じ、可能な限りの生活費を送りました。夫人の臨終にも立ち会い、葬儀に出席し、墓の管理費も負担します。そして彼は自分の命が尽きるまで、自室に彼女の写真を飾っていたのです。
彼は彼女の死を振り返ったとき、イギリスが年金や保険制度を作ったことに自分が少しはお手伝いできことは喜ばしいと言っています。
4.捕虜収容所からの脱走で時の人になった
1899年、特派員として南アフリカでボーア戦争の報道にあたっていたとき、捕まって捕虜収容所に収容されました。しかし夜中に便所の窓から抜け出し脱走したのです。そして運よく匿われながら、ポルトガル領モザンビークのイギリス領事館にたどり着きました。
新聞報道などで、ウィンストン・チャーチルが脱走後に捕まり銃殺されたという噂が流れていたため、生きて帰った彼は、英雄として熱狂的に迎えられます。
こうして急速に名声を獲得した彼は、翌1900年、保守党候補者として初当選を果たし、政界への第一歩を踏み出すのです。
5.幸せな結婚生活を送った
1908年9月、33歳のときに彼はクレメンティーン・ホージェーと結婚しました。彼女とは双方の母親が親友同士という間柄で、出会った当初、ウィンストン・チャーチルは奥手でほとんど話もできませんでしたが、徐々に惹かれあうようになります。
そして、彼が史上2番目の若さで閣僚となったその年に、議会のあるウエストミンスターの聖マーガレット教会で結婚式をあげたのです。しかし、彼はその間も政治はおろそかにしませんでした。教会の控えの間でロイド・ジョージと議論し、新婚旅行でも本を仕上げ出版社に送り、また、政策について長い手紙を同僚に書き送ったりしています。
妻となったクレメンティーンは、そんな夫に尽くし、ときには助言を与え、自己中心的な彼が好きに過ごせるような環境を作り出しました。仕事に没頭しがちで生活が不規則な彼のため、結婚当初から寝室は別だったということです。
チャーチル夫妻はたがいに愛し合い、誠実で、幸せな結婚生活を送りました。不倫などプライベートな問題で心乱されることがなかったことは、彼が成功した要因の1つだといわれています。
6.急性盲腸炎の最中に落選した
閣僚も経験し政治家としてキャリアを重ねていたウィンストン・チャーチルですが、1922年から1924年まで三度に渡り、立て続けに落選しています。1922年の総選挙のとき、彼は選挙運動中に激痛に見舞われ、救急搬送されて緊急手術を受けました。急性盲腸炎だったのです。このときの選挙で彼は議席をなくしました。
「まばたきする間に、わたしは官職を失い、議席を失い、党を失い、そのうえ盲腸まで失った」という言葉が残っています。
7.ルーズベルトと大量の手紙を交換した
第二次世界大戦時、彼はアメリカのフランクリン・ルーズベルト大統領から私信を受け取り、このチャンスを逃すまいと、すぐに返信を書きました。その後、6年間に渡り1千通を超えるやり取りをし、イギリスとアメリカの関係を強めました。このことはナチスとの戦いで大きな価値を持つことになります。
8.猛烈な働きぶりで第二次世界大戦を乗り切った
第二次世界大戦中の1940年、彼はイギリスにとって絶望的な状況の中で首相に就任しました。このとき65歳でしたが、彼の働きぶりはものすごかったといわれています。
1日16時間は働き、他人にも同じことを求めました。「宰相のロンパース」と呼ばれたつなぎ服を着て、深夜遅くまで仕事をし、そのまま仮眠をとることもあったのです。そして命令は例外なく文書で行い、口述筆記秘書チームを酷使しながら次々と発信し、演説も頻繁に行い、国民を勇気づけました。
彼のエネルギッシュな行動1つ1つが、側近たちはじめイギリス国民を奮い立たせ、絶望的だった第二次世界大戦を勝利に導いたのでした。
生まれて初めての記憶から、代議士となり政治の世界に入るまでおよそ30年の出来事を、ウィンストン・チャーチル自身が語る自叙伝です。
- 著者
- W・チャーチル
- 出版日
- 2014-10-09
まず驚くべきは彼の記憶力です。4歳のころに聞いた祖父の演説の文句まで書き記しています。他にも落ちこぼれだったという学生時代のできごと、家族との関係、軍人時代に経験し考えたこと、脱走劇など、が活き活きと描かれ、映画のワンシーンを見ているようです。
原著が出版されたのは1930年、彼が56歳のときです。政治の道を深く歩み、栄光も挫折も経験したあとの彼が振り返る半生は、私たちに、どのように生きるべきか、そして過去をどう解釈すべきか、語りかけてきます。
彼の誕生から死まで、主な出来事を紹介しています。増補版では「チャーチルと日本」の章が追加されました。
- 著者
- 河合 秀和
- 出版日
- 1998-01-25
彼の90年にわたる人生で起きたトピックを時系列順に追う伝記となっています。1つ1つの説明は簡潔なのに、新書で348ページという分厚さが、そのまま彼の人生の濃さを表している1冊です。彼の一生を客観的に知りたい方におすすめです。
増補版で追加された「チャーチルと日本」の章では、父親と日本の関係や、彼がどのように日本をみていたかなどが、日本人研究者ならではの切り口で書かれています。
第二次世界大戦をイギリスの首相として経験した、当事者中の当事者が書く回顧録です。この大著で、ウィンストン・チャーチルは1953年のノーベル文学賞を受賞しました。
- 著者
- ウィンストン・S. チャーチル
- 出版日
- 2001-07-01
受賞したのはノーベル平和賞ではなく、ノーベル文学賞です。卓越した描写と雄弁術により選定されました。
首相であり、専業作家より多くの文章を書いてきた彼だからこそ書ける、むしろ彼にしか書けない歴史物語となっています。第1巻は1919年から第2次世界大戦勃発までが描かれ、チャーチルの言葉にふれたい方はもちろん、第2次世界大戦について深く知りたい方にとっても、信頼すべき記録です。
チャーチルの人生を彼自身のことばも交えながら書いています。一連の物語のように読みやすく書かれた1冊です。
- 著者
- ポール・ジョンソン
- 出版日
- 2013-04-25
偉大な政治家がどのように目的を叶え、危機を乗り越え、リーダーシップを発揮してきたのか、彼の言葉を紹介しながら描きます。
「われわれは決してひるまないし、屈しない。フランスで戦い、海で戦い、高まる自信と強まる力をもって空で戦う。いかなる犠牲を払おうともこの島を守る」(『チャーチル 不屈のリーダーシップ』より引用)
ことばの力を信じ、発信し続けた彼の生きざまは、危機に直面している現代の私たちにも、勇気と活力を与えくれます。
努力と信念に裏付けられた彼の言葉や人生は、気合を入れて頑張りたい人の背中を押してくれること間違いなしです。ぜひ、読んでみてください。