クラスで浮いている14歳のふたりの少年がオンボロの車で旅に出る。青春ロードムービー好きにはたまらない設定の『50年後のボクたちは』をご紹介しようと思う。
『50年後のボクたちは』は、名作『スタンド・バイ・ミー』をはじめとする青春ロード―ムービーの系譜に連なる作品だ。季節は夏。10代前半の少年たちが目的地に行って、帰って来る。まとめてしまうとそれだけの作品が、時をおいて繰り返し作られるのは、求める観客がいて、衝動的に作ってしまうクリエイターがいるからだ。
衝動なしに青春物語を作ることはできない、と思う。映画、小説、漫画を問わず、優れた青春物語には共通点がある。それは、コントロールできない青臭さが流露してしまっていることだ。
手を伸ばしても届かない、二度と戻れない時間であることをわかっているのに、衝動的に少しだけ手を伸ばしてしまう。そんな自分に後で気づいて恥ずかしくなるけれど、その瞬間も肯定して、作品に閉じ込めてしまう。そうやって優れた青春物語は作られてきた。本作もそんな風にして作られたのではないかと思う。
14歳マイクとチックは「借りてきた」車でひと夏の旅に出る。とりあえず南を目指す、ノープランな旅だ。
イザという女の子が物語の中盤で登場する。旅の過程で出会う少女で、14歳の主人公たちより少し年上に見える。ひどく汚れた格好で、悪臭がする本作のヒロインだ。
裏設定になるが、イザは性的虐待を受け、精神病院を脱走し、境界性人格障害を抱えている。過剰な汚れや悪臭を提示する演出は、短い時間でこれらの裏設定を暗喩する。
ともに旅をすることになった3人は、一晩車を走らせ、貯水池にたどり着く。マイクとチックはイザを池に突き飛ばし、ふたりも池に飛び込む。3人はそこで身体を洗う。
汚れ、悪臭を池で洗い流し、髪を切り、本来のイザが現れる。少年たちだけでなく、イザも少年たちと出会うことによって変化する。つまり本作は、ふたりの少年の物語であるとともに、イザの物語でもあるのだ。
青春という時間軸、ロードムービーという空間軸に、イザという人間軸が加わる。それによって物語は大きな広がりを見せてくれる。
青春というのは、過ぎてしまうと輝いて見えるものだが、当事者にとってはひどく息苦しいものに思えることがある。それ単体では広がらない。だから、少年たちは旅に出るのだ。そこで素敵な出会いを果たした少年たちは、無敵だ。
本作は、3人が50年後に再会することを約束するシーンで幕を閉じ、時間軸においても、大きな広がりを見せる。その約束が果たされるかはわからない。でも、本当に大切なのは、50年後に再会することではない。50年後に再会したいと、その瞬間、3人が心から思っていることが大切なのだ。
マイクが語りかけ、イザがうなずき、チックがほほ笑んでいる。その瞬間は永遠のものだ。
『50年後のボクたちは』は2017年9月16日公開。
Photo:(C)2016 Lago Film GmbH. Studiocanal Film GmbH
- 著者
- ヴォルフガング ヘルンドルフ
- 出版日
- 2013-10-24