武蔵坊弁慶にまつわる7つの伝説!義経に忠義を尽くした男を知れる本も紹介

更新:2021.11.9

今回は、些細なきっかけから源義経に仕えることとなったにも関わらず、あらゆる困難に立ち向かい、最後は自らが盾になり義経を守ったとして、気高く、そして力強い人間の象徴として語り継がれている武蔵坊弁慶について知ることの出来る本をご紹介します。

ブックカルテ リンク

忠義の象徴、武蔵坊弁慶とは

武蔵坊弁慶は平安末期の日本において、僧として、そして、時には自ら刀を持って戦う僧兵として活躍した人物です。

詳しい両親や出身については、諸説ありますが、その正確な情報はいまだ定かとなってはいません。

というのも、武蔵坊弁慶は母の胎内に約18ヶ月もの間いて、生まれた時にはすでに3歳程度の体格で、髪は伸びきって、歯も生え揃っているという奇妙な姿で生まれたと言われています。

そんな風貌に恐れをなした両親に一度は殺されそうになるものの、どうにか叔母に引き取られ、両親のないままに生活を始めた。ということであり、周囲の人だけではなく、弁慶本人もまた、自らの両親について良く知らなかったのです。

叔母との生活が始まると、その独特の風貌から鬼若と名付けられた弁慶は、勉学の為に比叡山へ預けられますが、その大柄な体格がゆえにかなり乱暴な性格で、すぐに比叡山を追い出されてしまいます。

その後、自らの髪を剃ると武蔵坊弁慶を名乗り、祖母の元へは戻らず、四国から播磨、そして京へと向かうと、どこかに属する訳ではなく、独学で僧の勉強を始めるとともに、道行く武士を見かけては決闘を申し込み、その中で剣の腕を上達させていきました。

決闘を繰り返し、連勝を続けていた弁慶でしたが、ある日、ついに源義経によって生涯初の敗北を喫し、決闘に敗れた弁慶は、自らに打ち勝った義経に忠義を誓い、生涯をかけて奉公する事を約束します。

義経と義兄である頼朝との関係が悪化し、命を狙われるようになると、義経は東北への逃亡を試み、弁慶もまた、義経を守りながらその旅に同行しました。

数々の問題を乗り越え、どうにか東北へ辿り着くと、弁慶はつかの間の平穏な日々を過ごしますが、すぐに藤原秦衡による襲撃にあい、主君である義経を守るために、自らの体を盾にして、その命を落としました。

武蔵坊弁慶にまつわる7つの伝説

1:若いころの弁慶は乱暴な性格であり、寺を燃やしてしまったことがある

幼少の弁慶は乱暴な性格で、比叡山を追い出された、ということが知られていますが、その一件に反省した弁慶は、もう一度やり直そうと思い、播磨国に移り、もう一度修行に入ります。

しかし、そこでも乱暴な性格は一向に変わらず、勉学をさぼったり、激怒して暴れ回ったり、最後には不注意によって書写山円行寺の堂塔を炎上させてしまい、そこもまた追い出されてしまいました。

2:有名な五条大橋での逸話は後の創作である

五条大橋で刀狩をしていた弁慶が源義経と出会い、負けたことによって家来になったという逸話が有名ですが、実は、弁慶が生きていたといわれる時代には、まだ五条大橋が存在していなかったということが分かっています。

この逸話については、現在の五条大橋付近の、清水観音の近辺で起こったという説や、現在の松原通が当時は五条通りと呼ばれていたため、その五条通りに架かっていた橋が五条大橋と呼ばれ、そこで起こったことではないか、という説が有力です。

3:弁慶最後の戦いは500人の敵に対して、味方はわずか10人ほどであった

追っ手を逃れ、東北の地へたどり着き、藤原秀衡に匿われていた源義経一行でしたが、すぐに朝廷の圧力に耐えかねた秀衡の息子の秦衡に裏切られ、半ば奇襲のような形で潜伏先を襲撃されてしまいました。

他に頼りになる仲間がまったくいないため、東北へ逃げてきた源義経一行でしたので、従者も極端に少なく、500人程の軍勢に攻め込まれた際にはわずかに10人しかおらず、弁慶は自らの体を盾に入り口をふさぎ、義経を逃がすことだけで精一杯でした。

4:弁慶は最高の薙刀を作ってくれた鍛冶屋を切り殺した

これは、武蔵坊弁慶生誕の地と伝わる紀の国(和歌山県)伝承の中に登場する逸話ですが、弁慶は修行を終えた後、出雲で鍛冶屋を営んでいた伯父のもとを訪れ、薙刀の制作を依頼しました。

伯父は、弁慶の為に鉄まで切ってしまうほどの切れ味を持つ薙刀を制作し、その仕上がりに弁慶はひどく感動したのですが、それと共に、同じほどの薙刀が他にも制作されてしまうことを恐れ、制作者である伯父を切り殺してしまったそうです。

5:武蔵坊弁慶の父は天狗と言われている

武蔵坊弁慶は幼くして両親に捨てられ、その出生について定かな情報はないのですが、母については、どこかの国の姫である、もしくは弁吉という名の農民の女性であるなど、いくつもの伝承が残っています。

しかし、どの話においても、弁慶の父については、急に現れた山伏の格好をした人物であるという話で共通しており、その人物は、神のお告げにより使わされた天狗だったのではないかと言われています。

6:実は弁慶は亡くなっておらず、無事に蝦夷へ逃げた

弁慶によってその命を助けられた源義経は、その後無事に北海道へ逃げたという義経北方伝説が伝えられていますが、実はその伝説の中に、弁慶と思われる人物も登場し、弁慶が一冬を過ごしたとされる弁慶洞という洞窟も、中川郡の本別町に残っています。

こういった理由により、仁王立ちで果てたと言われる弁慶ですが、藤原秦衡の計らいにより死んだこととされ、義経と共に蝦夷へ無事に逃げたのではないか、という話が現在も伝えられています。

7:弁慶は実在しない可能性がある、もしくは伝承とは全く異なった人物である可能性がある

様々な逸話が残り有名な武蔵坊弁慶ですが、その出生が不明である点や、源義経が残した文献で重要人物であった弁慶についてまったく触れていないという点から、弁慶は実は実在せず、架空の人物ではないかと言われていました。

しかし、義経が東北へ向かった際の人別帳には「弁慶」と、名前だけ記載があり、弁慶という人物が実在したということは確認されているのですが、従者の一人として記載されているだけで、実際の人物像については実はよく分かっていません。

武蔵坊弁慶の最も有名な話

源頼朝の怒りを買った源義経一行が、奥州へ逃げる様子を描いた物語として、今では歌舞伎の演目で有名な『勧進帳』ですが、その物語にも、義経一行であった武蔵坊弁慶はもちろん主演の一人として登場します。

『武蔵坊弁慶』は有名な『勧進帳』の話をメインに、義経と弁慶一行の旅路や戦いの様子を時代小説として描き、2回に渡ってテレビドラマ化されているほど人気の高い作品です。

著者
富田 常雄
出版日

源氏再興のために義経と共に闘い、その闘いの中で果てていった武蔵坊弁慶は身長2メートル、そして体重130キロという大柄な体でとてつもない怪力であったという事は有名ですが、その人物像に触れられることはあまりありません。

本書では、弁慶が正義のためにふるった暴力で叡山を追い出されてしまったシーンから始まり、玉虫という女性への恋心や、時には些細ないたずらに怒る無邪気な一面を、そして、弁慶が果てる最後の瞬間を、時代を追いながら描いています。

目まぐるしく変わる時代背景と共に、武蔵坊弁慶の生涯を読み進めることのできる本書は、ただの歴史小説というだけではなく、一人の人間の物語として、とても興味深く読み進めていくことができます。

その忠誠心のルーツを知る

武蔵坊弁慶の登場する作品として『勧進帳』や『道大寺』といった有名な作品があり、多くの人々に親しまれていますが、その話の内容の真意や、登場人物の感情の移り変わりは、弁慶の活躍した時代背景について、知識のない方には少々難しいかもしれません。

本書は、武蔵坊弁慶の登場する逸話に仏教視点での解説を加え、その時なぜそういうことになったのか、なぜこのような考えに至ったのか、などをわかりやすく解説している書籍です。

著者
小峰 彌彦
出版日

弁慶は、関所を超える際に、お尋ね者ではないかという疑いの目を晴らすため、たまたま持っていた白紙の巻物を勧進帳として読み上げ、さらには主君である義経の頭を杖で叩きます。

そうして弁慶が機転を利かせ関所越えに成功した、というのが『勧進帳』の話なのですが、弁慶は主君の命を助けるためだとしても、義経に無礼を働いてしまったとして泣き出してしまいます。

こういった『勧進帳』のエピソードや逸話を、仏教の視点から紐解くことによって、より理解が深まるようにと構成された本書は、武蔵坊弁慶をもっと知るためという目的に限らず、人と人との関わり方や、思いやりの大切さを、弁慶を通じて今一度思い出させてくれるおすすめの一冊です。

最も力強く描かれた武蔵坊弁慶像

源義経との決闘の話や、その豪快な性格が人々に愛されている弁慶ですが、漫画の神様といわれる手塚治虫もまた、そんな弁慶の魅力に感銘を受け、自らの作品に残した1人です。

『弁慶』はその手塚治虫が彼なりの武蔵坊弁慶を描き、おなじみのエピソードから最期の立往生までを描いた漫画作品です。

著者
手塚 治虫
出版日
2011-03-11

怪力で暴れ回ったその豪快な性格ながらも、時には機転を利かす頭の回転力や、主君を傷つけてしまったことで人目をはばからず涙する繊細な性格など、様々な面を合わせ持つ武蔵坊弁慶は多くの人に愛されています。

そんな弁慶像に豊かな表現力を持つ手塚治虫が命を吹き込み、画面を所狭しと暴れ回る本書の弁慶は、気持ちが落ち込んでしまった時に、それを吹き飛ばしてしまうほどの勇気をくれるでしょう。

本書は漫画という形態ではありますが、『船弁慶』や『勧進帳』といった作品を十分に参考とし、あまりフィクションに寄らずに忠実に再現し、弁慶を知りたいという方にとっても、非常に参考になる一冊です。

共に生き、共に戦った2人の物語

武蔵坊弁慶を語るうえで欠かせないのは、何よりも源義経との主従関係です。

出会ってからは共に苦難を乗り越え、支えあいながら目的地にたどり着き、つかの間の平穏な日々を過ごしたものの、それは長くは続かず、義経を守るために自らが盾となり弁慶は命を落とします。

『牛若と弁慶』は、ともに激動を生きた2人の人生を、小さなお子様からご年配の方まで、どなたでも手軽に知ることの出来るようにオーディオブックという形態で出版された書籍です。

著者
楠山正雄
出版日
2008-05-23

武蔵坊弁慶は、京都で決闘を繰り返している毎日の中で、源義経の幼少期である牛若丸と出会い、義経に負けてしまったことをきっかけとして、生涯を尽くす義経の家臣となりました。

そんな些細なきっかけであったにも関わらず、勧進帳の場面では義経を叩いてしまったことに涙を流して悔やみ、そして義経を守るために、最後は自らの命を使ってでも守り抜きました。

そんな義経と弁慶の出会いや身分を超えた友情を描く本書は、史実や歴史小説であるというよりは、彼らの活躍を通じて、人生の教訓や生き方に大切な事を学ぶことの出来る、人生の教則本とも言えるような一冊です。

以上、武蔵坊弁慶について知ることの出来る書籍をご紹介しました。若いころは親に捨てられ、行く先々を追い出されるという不遇な人生であったにも関わらず、そんな人生に絶望せずに自らを高め、最後は誰かを守るために命を懸けた弁慶の生き様は今も多くの人の憧れになっています。今回ご紹介した4冊をきっかけに、そんな弁慶の生き方を知り、今後の人生の糧となっていただけたら幸いに思います。

  • twitter
  • facebook
  • line
  • hatena
もっと見る もっと見る