日本における貧困を取りあげた報道は、近年増えつつある。中でも大きく報じられるのは、子どもの貧困だ。しかし、実際に貧困がどのように生活の中へ入り込んでくるのか、ということについての生々しい回答はあまり聞かない。ここでは、日本における子どもの貧困の現状や大きな問題点について整理しながら、『貧困 子供のSOS 記者が聞いた、小さな叫び』という本を通して子どもたちが今どのような状況に置かれているのかを見ていきたい。
貧困について口を開くと、よくこんな言葉たちが返ってくる。
「いやでも、自業自得でしょう?」「努力してないだけじゃん」「貧しいなか這い上がった人もたくさんいるのに」「甘えだよ」と。相手が気遣い屋であれば、「かわいそうだとは思うけど」という言葉が添えられる。
言い方は様々だが、彼らの結論は「貧困は自業自得」のひと言につきるらしい。きっとこれが、日本に住む人々の多くが持っている感覚なのだろう。
それなら、と思うことがある。
頭が良くて努力家だったのに、学費を理由に私立大学への進学をあきらめた私の親友は、「自業自得」だったのだろうか。
あの娘は、「かわいそう」なのだろうか。
私自身は貧困に陥ったことがない以上、この問題を偉そうに語ることはできないと思っている。だが自分の身近な人間が直面している問題を、せめて「かわいそう」以上の具体的な言葉で納得したいがために、調べ、読み、考えてきた。
貧困という社会現象を決まりきった言葉で片づけるのはとても簡単だ。しかしその現象のなかにいるのはひとりひとりの生きた人間ということを、私たちは忘れがちではないか。
では実際、この社会では一体なにが起こっているのだろう。
今日本にある貧困、とりわけ子どもの貧困という現象に焦点をあてて、これから話をしていきたいと思う。
「子どもたちの○人に1人が貧困」というキャッチフレーズは、近年様々なメディアで用いられるようになった。
だが、この言葉を完璧に理解するためには、貧困には大きく2つの種類があることをわかっておかねばならない。
1つは「絶対的貧困率」、もう1つが「相対的貧困率」と呼ばれるものだ。
絶対的貧困率とは、必要最低限の生活水準を維持するための食糧や生活必需品を購入できるだけの所得がない人の割合を指す。「貧困」という言葉を聞いて、人々が真っ先に思い浮かべるのはこれだろう。
一方、相対的貧困率とは全人口の所得中央値の半分を下回っている人の割合のことだ。簡単にいえば、その社会で平均的とされる暮らしを送ることが難しい状態にあることを指す。
厚生労働省が発表した「平成28年国民生活基礎調査」の資料では、いくつかの印象的な数字を見ることができた。
① 子どもの相対的貧困率:13.9%
② 子どもがいる現役世帯の相対的貧困率(全体):12.9%
③ ひとり親世帯の相対的貧困率:50.8%
子どもの相対的貧困率は13.9%、つまり約7人に1人が貧困に陥っている計算だ。②③のデータからは、ひとり親で子どもを育てることのリスクの高さがうかがえる。
相対的貧困率という言葉は広まってきてはいる。しかし、人々がその言葉の実態を把握できているかというと難しい。
まず私たちは、貧困はわかりやすいものである、という意識を捨てなければならない。
明日食べるものがない。ぼろきれを着るしかない。家がない。「貧困」に対してこんなイメージを抱いている人は多いのではないか。
しかし、これはどちらかといえば「絶対的貧困」に分類されるような、非常に極端な事例だ。
今日本で起こっている貧困は、もっと生活の細部に入り込む形で、人々を蝕んでいる。
- 著者
- 読売新聞社会部
- 出版日
- 2016-06-21
『貧困 子供のSOS 記者が聞いた、小さな叫び』という本には、貧困に苦しむ子どもたちの声が生々しく記録されている。
この本は、読売新聞で一時期連載されていた「貧困 子供のSOS」の一連の記事をもとに、記事にしきれなかったエピソードや記者自身の思いをまとめたものだ。
第1章の「クリスマス おにぎり1個」では、母と2人暮らしをする恵さん(12)の話が掲載されていた。
「小学校では同級生から、母子家庭を理由にいじめられた。3年生で不登校になり、自宅で本を読んだり絵を描いたりして過ごすようになった。
介護ヘルパーの母は、そんな自分を心配して短時間しか働けず、給料は月10万円に満たない。料金未払いで電気、ガス、水道がたびたび止まる。
昨年の夏も電気が止まり、エアコンが使えず、熱中症になった。
(中略)
食事はNPO団体から配られる賞味期限が迫ったレトルト食品や缶詰でしのいでいるが、月末が近づくと底をつく。月に1、2度、スーパーで見切り品の和菓子を買ってもらうのが、たまのぜいたく。そんな生活が5年近く続いている。」(『貧困 子供のSOS 記者が聞いた、小さな叫び』より引用)
彼女の家は公営住宅。公営住宅とは、住宅に困窮している低所得の世帯に向け、地方公共団体が低価格な家賃で貸し出す住宅のことだ。
公営住宅やNPO団体の活動といった制度を利用しながらも、少ない所得でギリギリの生活をしている家族の姿が浮かび上がってくる。
高校までは進学できる。制度が整っているからだ。ただ、大学進学が分かれ目になる。
家には住める。公営住宅や低価格なアパートを選んでいけば。
衣服も買える。ファストファッションでまかなっていけば。
スマートフォンは持つ。これがなければ仕事の連絡も滞る。
本書から読み取れる、貧困家庭が行うやりくりのほんの一例だ。今日本で起きている貧困は、「はっきりとは目に見えない」ことが大きな特徴だ。
子どもの体格や服装といった外見で判断することは難しい。親も、貧困であることを「恥」と考えたり、子どもを育てられない親だと判断されたりすることを恐れ、話すのをためらう人が多いのだという。
だからこそ、外部にいる人々からの理解が得にくいという現状があるのだ。
また、大学進学に対する壁が大きいことも、非常に大きな問題だ。
日本は学歴社会だ。高卒と大卒とでは、得られる給料に明らかな差がある。
だが学費を貯めることが難しい。奨学金制度もよくわからない。勉強がそこまで好きなわけではない。早く自分で働きたい。こうした様々な気持ちから、高校卒業後すぐに働き始める人が多いという。
『貧困 子供のSOS 記者が聞いた、小さな叫び』第3章では、母親の虐待から逃れ施設に入ったという和也さんの話が掲載されている。
「中学と高校は施設から通った。毎日三食、食べて、布団で眠る。生まれて初めてのことだった。
高校に入ってしばらくすると、「大学に行って人生を変えたい」という夢が芽生えた。
進学資金をためるため、放課後に近所のスーパーでレジ打ちのアルバイトを始めた。施設に帰ると、夜遅くまで授業の復習をした。模試でクラス1位になり、大学合格も現実味を帯びた。
だが高校3年で進路を選ぶ時期になり、入学金と4年間の学費だけで400万円以上の奨学金が必要だと知った。「とても返せない」と思った。専門学校でも初年度だけで100万円近くかかる。「自分を傷つけた母なんか頼りたくない」。あきらめるしかなかった。
(中略)
就職先は高校の求人案内で探した。やりたいとは思わなかったが、「食べていけるなら」と、寮に入れる印刷工場への就職を決めた。」(『貧困 子供のSOS 記者が聞いた、小さな叫び』より引用)
教育というのは、いわば未来への投資だ。だが余裕のない家庭や境遇の人々にとって、その投資を選択するのは難しいことが、この体験談から伝わってくる。
そうした貧困の中にある家庭の子どもが大学進学できず、高卒で働き始めて彼らが結婚して子どもが育ったとき、また同じことがくり返されるという連鎖があることも指摘されている。
高校までと同様、大学も無償化すべきだという意見はあるが、実現にはほど遠い。
だが無償化といかずとも、入学前及び在学初期の負担を軽減する取り組みは、あってしかるべきではあるだろう。
こうした貧困への対策や支援は進んでいるのか、という問いには、進んではきている、という答えを返したい。
以前から存在する生活保護制度や奨学金制度の他にも制度は増えてきている。例えば、「生活困窮者自立支援制度」や、「子ども食堂」といった取り組みだ。
「生活困窮者自立支援制度」は、2015年から始まった比較的新しいものだ。低所得世帯が生活保護を受ける前に自立へと導こうという取り組みで、各自治体に窓口が設置される。どのような支援が必要かという個別のプランを組み立て、親の就労訓練や子どもの学習支援などを受けることができる仕組みだ。
「子ども食堂」は、2012年から徐々に始まった。食堂によって多少制度の違いはあるが、子どもは無料、大人は有料ながらも安い金額で食事ができる場所のことを指す。無料あるいは安価で食事ができ、似た境遇の人々と横のつながりができることから、どんどんとその需要は増えてきている。
ただ、こうした取り組みがあることをしかるべき相手に「知ってもらう」ことが重要なのだ。
取り組みは存在するだけでなく、利用してもらわなければいけない。
そのために、地域・行政・NPO団体といった各機関の人々が緊密に連携していくことが必要だろう。低所得者へ向けたサービスをNPO団体が始めるなら、その地域の低所得世帯を把握している行政と連携すれば支援が届きやすくなる。闇雲に単発的な支援をくり返すよりも、戦略的に支援を継続させていくことが求められているのではないだろうか。
ここまで、現代の日本における子どもの貧困をあくまで一部分ながらも見てきた。
今この記事を読んでいる貴方は、彼らに「もっと頑張れ」と気軽に言えるだろうか。
私は、高校に通いながらほぼ毎日スーパーでレジを打ちお金を貯める親友の姿を知っていた。だから、大学に行きたかった、とふと彼女の口から聞いたとき、なにも言えなかった。
働いて学費を貯めながら、大学合格のため勉強する。それがどれだけ大変なことか。
まずは知らなければいけない。
彼らが置かれている現状や、具体的な問題を。
『貧困 子供のSOS 記者が聞いた、小さな叫び』は、その一助となりうる本だ。