2000年に「ビックコミックスピリッツ」に掲載され、良くも悪くも話題になった名作漫画。完結からおよそ15年が経った『最終兵器彼女』をふりかえってみました。
連載当時は爆発的に人気を集めた漫画ですが、知らない方も多いのではないでしょうか。単行本は7巻で完結し、後に外伝が1巻発売されました。アニメ化、映画化、ゲーム化もされ、いまでも多くのファンがいます。
作者である高橋しんは、デビュー作『いいひと。』がテレビドラマで実写化され平均視聴率20%を超える大ヒットとなり、その名前が一躍有名になりました。のほほんとしたラブコメディーだった『いいひと。』とは打って変わり、本作はSF要素強め。世界の終わりが舞台です。
- 著者
- 高橋 しん
- 出版日
読者の予想を良い意味で裏切った作品です。過酷な状況におかれている思春期真っただなかの少年少女たちを、繊細に描きだしているところも魅力のひとつでしょう。
作中のストレートな性的描写には賛否両論ありますが、人間と兵器が交わってしまったヒロインの「人間らしさ」を表現していているもののひとつなので、はずせない大事なポイントでもあります。
今回は、そんな『最終兵器彼女』の色褪せぬ魅力と考察をご紹介していきましょう。
まずは本作のあらすじをご紹介します。ネタバレも含みますので、ご注意ください。
舞台は北海道のとある小さな街です。主人公のちせは高校生。以前から憧れていた同級生のシュウジに告白しました。めでたく2人は交際することになったのですが、お互いはじめてのことばかり。戸惑いながらも、交換日記などを通じて徐々に愛を深めていきます。
何気ない日々を過ごしていたある日、街が空襲に襲われます。変わり果てた街でシュウジが目撃したのは「最終兵器」と化したちせの姿でした。
彼女は自衛隊によって最終兵器に選出され、改造されてしまったのです。終わらない戦争のなかで、ちせは体も心も兵器に蝕まれていきます。
だんだんと変わっていく日常……そのなかでも変わらない、むしろ深まっていく2人の絆を描いた作品です。
本作のキャッチコピーは「この星で一番最後のラブストーリー」です。この言葉通り、世界が終わった最後の時も、2人は恋をしていました。困難が多いなかで、なぜ彼らはずっと一緒にいようと思えたのでしょうか?それは単純に、「好きだから」という理由だけなのです。
「でも好きなの。ごめんね、シュウちゃん」(『最終兵器彼女』1巻より引用)
これは、人間の体ではなくなってしまったちせの言葉です。シュウジに対して申し訳ないと思うことがたくさんあるけど、それでも好きだから「彼女」でいたいという気持ちが込められていました。
- 著者
- 高橋 しん
- 出版日
- 2000-07-01
彼女は「最終兵器」です。戦争によって世界が終わるという厳しい環境のなかで、「好きだから」という理由は、思春期の少年少女にはあまりに頼りなく、つなぎとめるのには不安定でした。
そのため、戦闘時や政府の人間に対して気丈に振る舞っている時は強くみえるちせが、弱さをみせて自衛隊に所属しているテツ先輩と関係をもちそうになったシーンは、一時の甘えのようで彼女の弱さがわかりやすく表現されています。
テツ先輩は、実はシュウジの初恋であるフユミ先輩の夫です。どこかシュウジと似ているところがある彼に、ちせは少しずつ惹かれてしまいます。
「死ぬとわかっていてもさみしいから誰かといっしょにいたい」
「だって……どうせせんぱい、死んじゃう人でしょや?」(『最終兵器彼女』4巻より引用)
ちせの「孤独」という弱さがみえているセリフでしょう。
彼らの恋は有限であり、未来がありません。だからこそ、お互いを強く想いあっている心情が表されて繊細な世界観ができるのです。不安な気持ち、弱さ、甘え、それらに反してピュアな恋心が、若い彼らの繊細さを創り出しています。
シュウジたちの暮らす街は、ほとんどのシーンで平和な様子が描かれています。あえて具体的な敵の存在や、戦争の状況などは明かされていません。その一方で平和な日常の中にある人々の戦争への不安は見え隠れしています。
「その『現実』は、今までなにも見ないフリをしていた僕を追いつめるように、空に、そびえていた」(『最終兵器彼女』4巻より引用)
これは、2度目の空襲後のシーンです。シュウジはちせと対比した存在として描かれ、彼の目線からは日常を読み取ることができます。戦争の悪化、もう平和ではないということ、気づかないフリをしていたけれど日常が終わり、平和だった北海道の街でも戦争の影が大きくなるのです。
- 著者
- 高橋 しん
- 出版日
- 2000-11-01
そして、街の変化と共にちせの「兵器」の部分も徐々に大きくなっていきます。ちせが「お仕事」に行くたびに、「兵器」は学習し強くなります。ひとつの体に「人間」と「兵器」が交わっているため、片方が大きくなれば片方は小さくなっていくのです。
ちせの体についても具体的な説明は一切ありませんが、3巻の時点でひとつの街を崩壊させる力があることが、彼女を監視している兵士に対してのセリフから読み取れます。
「もうあたしがどこまでいったか……知らないんかい……そっか… ばか、この街消えちゃうべさ。あたしに一発でも撃つんでない」(『最終兵器彼女』3巻より引用)
ちせの変化は、シュウジとちせの関係も変えていきます。
シュウジは変化するちせを気遣うのですが、ちせは自分への接し方が変わっていく彼に対し不安を抱くのです。2人の想いはすれ違っていきました。
シュウジはちせの何気ない言葉や行動から、変化を読み取っています。変わってほしくないと願いながらも口には出せない彼の心情が、次のセリフです。
「いとしいものが、変わらないことを望むのは愚かなことだろうか」(『最終兵器彼女』2巻より引用)
物語の重要な問いとして「人間らしさとはなにか?」というものがあります。ちせは最終的に完全な「兵器」となり、人間としての形が無くなった状態でシュウジとともに宇宙へ飛び立ちます。そのラストシーンで、兵器の体となってもなお、彼女には人間味があるのです。なぜなのでしょうか?
- 著者
- 高橋 しん
- 出版日
- 2001-06-01
「…いったいなにが…2日間も…こんなに長い間もたせてたんだう?」(『最終兵器彼女』5巻より引用)
これは、ちせがテツ先輩と2人きりで過ごした後のセリフです。彼らはお互い別に想う人がいながらも、一緒にすごします。戦時中に一時だけでも日常に戻れた2人は、とても幸せな時間を過ごしました。
この間、本来であればこまめなメンテナンスが必要なはずのちせが、なぜか意識を保つことができていました。
他にも、シュウジと共に行動するちせは、暴走を抑制する薬がきれても長い間意識を保っています。
この様子から、彼女の「人間」の部分は、恋をしている時や幸せな時など、精神的に充実している時に強くなることがわかります。
最終巻では、暴走して「人間」部分が無くなり、完全な「兵器」となったちせがシュウジと性交するシーンがあります。「兵器」になった彼女には以前の記憶は一切ありませんでしたが、シュウジと肌を重ねたことで記憶が戻るのです。
以上のことから、「人間らしさ」というのは見た目や存在ではなく「心」であると考察できるのではないでしょうか。ちせの場合の「人間らしさ」とは、シュウジを想う強い気持ちだったのですね。
『最終兵器彼女』を考察してみましたが、具体的に言葉にするには難しい作品です。きれいごとだけではないリアルな人間模様を表現しており、恋愛、人間とは、戦争、家族、友情……など様々なことが描かれています。読む人それぞれがいろいろな解釈をすることができると力作です。とってもおすすめなのでぜひ読んでみてください!
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