歴史の授業で習う聖武天皇。大仏をつくったことは知っているけど他は全然知らない、という方が大半ではないでしょうか。実は彼の人生は波乱万丈で、しかもそれらの出来事が歴史に大きく影響していたのです。この記事ではそんな聖武天皇の生涯、意外な逸話、妻である光明皇后について、さらにはおすすめの関連本まで紹介していきます。
701年、文武天皇の第一皇子として生まれた聖武天皇(しょうむてんのう)。実名を首皇子(おびとのみこ)といいます。714年に元服し、その後724年に即位しました。母は藤原不比等の娘である宮子、妻は同じく不比等の娘である光明子で、藤原氏は天皇と強い結びつきがあったといわれています。
737年に疫病が流行。政府の重要な役割を担う人物のほとんどが病死してしまうという事態にみまわれました。その後も災害などが多発したため、聖武天皇は仏教に深く帰依するようになります。
741年に国分寺建立の詔を出し、743年に東大寺盧舎那仏像の建立の詔を出しました。また後に「彷徨5年」と称されることになる、5年間およぶ遷都をくりかえし、災いを鎮めようとしています。
749年、娘の孝謙天皇に譲位し、太上天皇となりました。これは男性としては初めてのことだったそうです。その後も東大寺大仏の開眼法要をおこなうなどの活動が記録されています。
756年に崩御しました。
1:首(おびと)という自分の名前を嫌っていた
聖武天皇の実名を知っていた方はほとんどいないと思いますが、実は当時の記録にさえほとんど残されていないのです。これは、この名前が母方の祖父である藤原不比等に由来していて、それを嫌った天皇自身が記録を残させなかったからだと考えられています。
2:初めて皇族ではない人を皇后にした
正妻・光明皇后は藤原不比等の娘で皇族ではありません。それまで側室としての皇族でない后は存在しましたが、皇族でない人が皇后、つまり天皇の正妻となるのは歴史上初めてのことでした。これ以降、藤原氏は天皇家に嫁を出すことで絶大な権力を得ることになります。
3:たび重なる災いを自分のせいだと考えていた
現代では理解しにくい考え方ですが、当時は、天災とは為政者の不徳の結果起こるものであると考えられていました。聖武天皇が在位してから世の中ではたびたび天災が起きてしまい、その責任を感じた彼は仏教に救いを求めます。
たび重なる天災に責任を感じていた天皇は、「彷徨5年」や大仏建立をおこなって災いを鎮めようとします。しかしこれらの行為が、天災によって疲弊している民にさらに打撃を与えてしまったのは明らかです。特に「彷徨5年」に関しては不可解な部分が多くあり、聖武天皇はノイローゼになっていたと考える人もいます。
4:行基、鑑真らと交流があった
特に大仏建立に協力した行基のことを大変尊敬していて、彼を大僧正という高い位に任命しました。当時他に宮廷お抱えの僧侶の集団(僧綱)があったにも関わらず、そうでない行基や鑑真らも重用するところに、天皇の仏教への考えが表れています。
5:天皇で初めて出家した
ある説では、聖武天皇は譲位と同時に出家したといわれています。後の時代には天皇を譲位し出家した法皇が多くいますが、彼の時代にはまだ天皇経験者が出家した事例はなく、天皇を神としていた当時からすると、異例のことでした。
彼の仏教への帰依は、後の歴史に大きく影響を与えたことがよくわかるエピソードです。
上述したように、光明皇后は皇族以外の血筋から初めて天皇の正妻についた人物です。これは、彼女の父である藤原不比等の尽力によるものです。
不比等は幼い時に起きた「壬申の乱」によってハンディのある立場に陥りましたが、その後タイミングよく時の持統天皇に助言をするなどして、目をかけられます。
次に即位する文武天皇の乳母を務めていた橘三千代を妻に迎え、後宮への影響力を高めていきました。そしてその人脈を頼り、自らの娘である宮子を文武天皇の婦人にすることに成功します。
後に橘三千代が光明皇后を、宮子が聖武天皇を生むことになり、光明皇后が彼の正妻となるのです。2人の関係は、叔父と姪になりますね。
光明皇后自身も仏教への信仰が深く、国分寺や東大寺を建立する際は夫にかなりの助言をしていたそう。このほか貧しい人に施しをするための「悲田院」という施設や、怪我や病気に苦しむ人のための「施薬院」という施設を設置して慈善活動に尽力しました。
夫である聖武天皇が崩御した後は、四十九日に遺品を東大寺に寄進。そのとき正倉院が建設されました。
また娘の阿倍内親王を跡継ぎとして孝謙天皇として即位させ、立派に母親としての役割を務めています。
聖武天皇像といえばたび重なる遷都などをおこなって「ノイローゼ気味」「軟弱」「わがまま」といったものが多いようです。しかし本当にその解釈で良いのでしょうか。違う見方をすれば、天皇の考え方や実像が見えてきます。
- 著者
- 中西 進
- 出版日
- 2011-05-21
この本では聖武天皇をあらためて、様々な資料・角度から再検証し、天皇の実像に迫っていきます。先ほど紹介した彷徨5年や大仏建立の経緯、そしてその背後の思考には一体何があったのでしょうか。
行基・鑑真などのアウトローとも呼べる人々を重用したわけについても触れられています。そして今まではあまり注目されていなかった点を考察していくと、なんと積極的で強靭な精神力を持つ聖武天皇像が姿を現すのです。
著者は歴史学者ではなく文学者で、そのためか、この本も情緒的な文章で書かれています。著者とともに天皇の思考と感情に思いを馳せ、楽しむことができる構成になっているので、歴史好きの方はぜひ一読をしてみてください。
藤原不比等は、当時もっとも権力の大きい人物でした。そして聖武天皇の母も后も彼の娘です。天皇は不比等の操り人形だったのでしょうか。いえ、そうではありませんでした。彼は「鬼」たちと手を組み、藤原勢力に対抗していたのです。
- 著者
- 関 裕二
- 出版日
この本では「すべての権力を手中に収めようとする藤原勢力」vs「それに抗う聖武天皇と反藤原勢力」という構図を軸として、天皇やその周辺が描かれています。
上で言及した「鬼」とは裏社会の者たち、律令制度の外の者たちのことです。聖武天皇は彼らと手を組み藤原勢力に抗っていた、そういった見方を導入して、歴史の謎に次々と解答を与えてゆきます。
怒涛の展開は小説顔負けなくらいで、非常にスリリングな読み物となっています。この本を読むことで、天皇や藤原氏への見方・考え方は一変してしまうかもしれません。
天皇、神道、仏教、都。これら古代日本の歴史の根幹をなす要素が、大きく変化した時代がありました。それぞれが互いにどのように影響し変化していくのか。聖武天皇を主人公として、その経緯を追ってみましょう。
- 著者
- 吉川 真司
- 出版日
- 2011-01-12
この本は聖武天皇を主人公としながらも、その周りにもしっかりとスポットライトを当て、当時の日本の歴史全体を俯瞰できる構成になっています。いくつかの説を提示して確証の高いものを選択し、かといって記録がないことを無視するわけではなく、推論によって空白を埋めていく、しっかりとした歴史本です。
写真や図が豊富で、ビジュアル面でも鮮やかな奈良時代の日本像を捉えることができます。シリーズものなので、前後も合わせて読むと日本史理解が大いに進むことでしょう。
あらゆる歴史には謎があります。聖武天皇も例外ではありません。謎を解き明かすためにはまず、解明した事実を全て丁寧に確認しなければなりません。
- 著者
- 森本 公誠
- 出版日
- 2010-10-08
この本は、400ページ以上にわたる文章のほとんどを聖武天皇とその周辺の記述に費やしています。その情報量の多さは肩を並べるものがないのではないか、とさえ思える程です。
内容も記録に基づいたものとそこからの推論で、特に諸説ある部分についてはそれぞれの出典を明記し、より信頼できるものを選択しています。その徹底した記述に著者の情熱を感じずにはいられません。
かなり骨太な一冊です。これを読み込むことで理解は飛躍的に進み、また歴史理解の方法も上達するのではないでしょうか。歴史学のファンは必読です。
聖武天皇は決して世間で人気とはいえない歴史上の人物ですが、実は歴史の転換点そのものともいえるくらい活躍した人物です。今後、歴史ブームの中で大きく取り上げられるかもしれませんね。上記の4冊で、学校では習わないところまで知っていただけると幸いです。