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藤原道長にまつわる逸話7選!平安時代の最高権力者の素顔に迫る本も紹介!

更新:2020.11.24 作成:2017.8.29

藤原道長といえば、いわずと知れた権力者。その絶大な権力で彼は何をなし、どのように生きたのでしょうか。実は、よく知られているものとは異なる面もあったのです。道長について知ることができる本を紹介します。

稀代の権力者、藤原道長とは

康保3年(西暦966年)藤原兼家の息子として生まれました。藤原氏は当時すでに大きな権力を握っていましたが、父の兼家はそれほど出世していませんでした。

その後、不遇の時期を経て兼家は出世し、ついには摂政まで務めるようになります。権力を手にした兼家は、息子たちを次々と出世させました。藤原道長も急速に昇進してゆきますが、有力な兄たちがいるため歴史の主役からは程遠い存在でした。

父の死後、兄たちの相次ぐ死などにより道長は政権の座につくことになります。ライバル的存在であり、兄の息子でありながらも道長より出世していた伊周が不祥事で失脚したことも加わって、藤原家の頂点に君臨。長女・彰子を一条天皇に嫁がせ、その間にできた孫が後一条天皇として即位すると、満を持して摂政に就任します。

しかし翌年、すぐに摂政の座を長男の頼通に譲ってしまいました。後継を確立し、藤原道長が指図する体制にしたようです。後に、後一条天皇にも道長の四女・威子を嫁がせ、自らの地位をさらに確固たるものにしました。このときに道長は「この世をば わが世とぞ思ふ 望月の 欠けたることも なしと思へば」という有名な歌を詠んでいます。

全権力を手中に収め栄華を極めた道長ですが、それがいつまでも続くことはありませんでした。彼はかなり強引な手法を使うこともたびたびあり、特に後一条天皇即位のために三条天皇を退位させたことで、彰子や次女で三条天皇の后の妍子の怒りを買っていました。

このようなことは他にもあり、道長は人間関係に悩まされることが多かったようです。また病にもよくかかってしまい、それらの影響もあってか道長は仏教に傾倒していきます。その後も子どもたちに先立たれることなどもあって、安らかなときを過ごせないまま、病に苦しみ亡くなったといわれています。

藤原道長にまつわるあなたの知らない逸話7選!

1. 誕生から10代半ばまでの間のことがよくわかっていない

日本史でもっとも有名な人物の一人であり、為政時代のことについて多くの記録が残っているにも関わらず、藤原道長の若い頃の記録はほぼありません。このことは当時道長は五男(もしくは四男)ということもあって、ほとんど注目されていなかったことを示しています。道長もそのような少年時代を記して後世に残す気にはならなかったのかもしれません。

2. 光源氏のモデルの一人だった

日本文学の最高峰ともいわれる『源氏物語』。道長はその主人公である光源氏のモデルの一人でした。作者の紫式部は道長の娘・彰子の女房であり、道長自身とも交流がありました。道長の出世街道の歩み方や権力者の交流の様子などは、道長と同じく栄華を極める光源氏を描く際に参考にしたと考えられています。

3. 若い頃の豪胆さを伝えるエピソードが多くある

父・兼家が何事にも優れている公任のことを羨んで、わが子はその影さえ踏めず残念だ、と嘆息すると道長は「影など踏まずに面を踏んでやる」と答えました。

道長と伊周が矢の勝負をして道長が勝ったのですが、それを良しとしない伊周側が延長して、2回の対戦を行うこととなりました。そこで藤原道長は1回目に、「我が家から天皇や后が出るならこの矢あたれ」と言って射ると的の真ん中に命中。

2回目に道長が「将来わたしが摂政・関白になるならこの矢あたれ」と言って射るとまたもや真ん中に命中します。

このように、豪胆さを表すエピソードが多くあります。しかし証拠となる資料がなく、あまり信憑性がありません。

4. 若い頃父親に勘当された

理由ははっきりとはわかりませんが、藤原道長は父・兼家に一度勘当されました。こちらの出来事は信憑性が高いようなので、道長はおとなしく目立たないというよりは、いささか乱暴な人物だったと考えられます。それを考えると、上記のエピソードも事実かもしれませんね。

5. 藤原道長自筆の本が残っている

国宝『御堂関白記』は道長が著した日記で、その自筆の本が現存しています。誤字や文法的誤り、修正の跡がそのまま残っており、当時の道長を考察するにあたって大いに役立つ資料です。また直筆のものが残っているのは大変珍しいことのようで、『御堂関白記』は2013年にユネスコ記憶遺産に登録されました。

6. 実は関白に就いたことがない

藤原道長の日記を『御堂関白記』と称しているように、道長は御堂関白と呼ばれますが、実際に関白の地位に就いたことはありません。御堂関白は後世の人々が彼の建てた寺から名付けた名前だそうです。

7. 文学を愛好、庇護した

漢詩を好み、作文会(漢詩の会のこと)をよく開きました。和歌も好み、歌集『御堂関白集』を残したほどですが、道長本人は和歌より漢詩の方を得意としていたようです。彼自身の作品はどちらもあまり残っていません。

藤原道長の日記から、その実像に迫る

『御堂関白記』を藤原道長は備忘録として書いていたようです。道長の残した日記から、彼のどういった姿、行動、感情が読み取れるでしょうか。『御堂関白記』を全現代語訳した著者によって、最高権力者・道長の実像が描かれます。

著者
倉本 一宏
出版日
2013-05-20

道長の日記『御堂関白記』を頼りに、道長の一生を追っていく一冊です。他に『小右記』『権記』といった別の人の日記も用いることで、歴史の考察・推論がより信憑性の高いものに仕上がっています。その結果、ある時には小心で、ある時には大胆であり、狂喜もするし泣きもするし怒りもする、道長の多彩な行動・感情を知ることができます。

新書で読みやすいボリュームとなっていて、道長に興味のある方であれば誰でも楽しめる本です。また白黒ながら図や写真が豊富で、道長の生きた時代に対する理解も同時に深まります。

藤原道長の世界ーー日常・家族・空間・精神

歴史あるいは歴史の登場人物は、その性質上、公的な面や時間を主軸として理解されることが多いです。では、違う視点で軸を移して考えてみるとどうでしょう。

感情は?生活は?空間は?精神は?……違う見方は、新たな発見を生むかもしれません。そして、どうやらその方法は藤原道長の理解を助けるようです。

著者
倉本 一宏
出版日
2013-03-15
この本の著者は前述の本の著者でもあります。こちらでは、前述の本とは全く異なるアプローチで藤原道長像に迫っています。時にはあまり道長特有ではなさそうなことも取り上げ、道長の背景にあるものを捉える試みもされているのです。

内裏焼失や物忌みの習慣から道長の思考に近づいていく、という方法は目新しさがあって面白いです。

図や写真も豊富です。前述の本とセットで読むことで藤原道長の理解がより深まるのではないでしょうか。もちろん、本作だけでも十分楽しめます。

藤原道長の人生ーー絶大な権力者の生き方

道長は人気のある歴史人物というわけではありません。源義経や織田信長、坂本龍馬といった人物と比べると、やはり現代の本は少ないです。道長の人生についてしっかり記述した本が読みたい、そんなあなたは、ぜひこの本を読んでみてはいかがでしょうか。
著者
朧谷 寿
出版日
2007-05-01
この本は藤原道長に関わる様々な事柄、つまり父、兄弟、甥、天皇、娘、紫式部、病、交易、仏教、死……など、膨大な資料を読み解くことで余すことなく書ききっている、そんな一冊です。

結果、描き出されるのは、絶大な権力を握る道長の個性。その個性は、彼がモデルの一人だった『源氏物語』の光源氏のように、唯一無二なものでした。

通説や、それに対する反論、専門家の意見なども多く載せることで、断定的な伝記でなく、しっかりとした歴史書となっています。読み応えのある本を求めている方におすすめです。

『御堂関白記』の読解に挑戦!

『御堂関白記』は誤字、脱字や、当時特有の文法、修正箇所、意味をなしていない文などであふれています。それもそのはず、『御堂関白記』は藤原道長の備忘録で、後世に伝えるための本ではなかったといわれているからです。そのまま読むのは相当難しいですが、幸いなことに、専門家が多くの人にとって読いやすい本にしてくれました。

著者
藤原 道長
出版日
2009-06-25

この本には、『御堂関白記』の現代語訳、書き下し文、白文(原文)の3つが載っていて、それぞれを比べて確認しながら読むことができます。現代語訳は読みやすく、訳だけでわからない場合も全ての節ごとに解説がついていて、前提知識がなくても読み進めることができる構成です。

藤原道長は歴史上の重要な人物であるにも関わらず、『御堂関白記』は学校教育であまり扱われることはありません。これを機に、独学で『御堂関白記』読破というのも良さそうです。藤原道長だけでなく、その時代全体についても学ぶことができますよ。

藤原道長について、今回紹介した書籍はどれも理解をより深めるものとなっています。これらの本を手にとって、学校で習わないような道長の素顔を見つけ、楽しんでいただけたら幸いです。