「限界集落」で地方再生をするには?
過疎化・高齢化が進行し、人々の生活が困難になっている地域を「限界集落」と呼びますが、この漫画は「限界集落」のひとつである伊豆下田にやってきたアイドルとオタクたち、そしてひなびた宿の父子が織り成す「おたく地方再生漫画」とでも言うべき作品です。限界集落の山奥にある古い温泉旅館「山里館」にやってきたメンヘラネットアイドル「あゆ」をご当地アイドルに仕立てあげるため、プロデューサー・溝田とあゆファンであるアマチュア漫画家や造形家たち、そして山里館の主人・康成と息子・龍之介が奮闘する物語です。彼らは「あゆ」を盛り立てるため、伊豆下田を背景にした写真集の作成や、漫画のネット配信などに挑戦しますが、こうした試みが同時に「まちおこし」にもなっていく形で、話が進んでいきます。
こうした地域と人々のあり方は、文化政策研究の文脈でよく主張される、芸術家たちが地方に住まいながら芸術作品をつくり上げるという「アーティスト・イン・レジデンス」活動の一環と言えるでしょう。しかしアーティスト・イン・レジデンス(あるいは「オタク・イン・レジデンス」?)としての山里館は課題も多く、アイドルを撮ろうとする「カメコ」の襲来による観光客のドン引きや地元旅館組合の反対など、よそ者がやってきたことによる弊害もかなり多く見受けられます。
あゆをはじめとして下田にやってきたオタクの人々は徐々に地域にも溶け込み、伊豆下田を「第二のふるさと」と呼ぶようにまでなります。しかし、オタク産業だけで地域を何とかするのはやはり無理がある。この困難に際して、溝田は「山里のおやじさんを市長にする」という提案をします。それまで萌えキャラの話しかしなかったオタクたちが、忌避していた政治や選挙へと目を向けることによって、観光・文化政策だけでなく、病院や老人福祉、世代間格差といった話題について議論するようになるのです。この漫画では、選挙運動が意識喚起の役割を担っているということになります。
選挙の結果についてはぜひ本編をご覧いただけたらと思うのですが、最後の方に出てくる、他の候補者との「協力」という語が実は重要な役割を担っています。選挙というイベントが、人々の凝集性を高めたり、よそ者と地元民を引き合わせ、協力させる機会になるということは、決して夢物語ではないようにも思えます。
漫画家・本宮ひろ志の立候補を自ら描く
『サラリーマン金太郎』『俺の空』などで知られる有名漫画家・本宮ひろ志が参議院全国区選挙に立候補する!?という、本宮漫画そのままの奇想天外な発想から開始したドキュメンタリー漫画です。1983年の作品ということで、ちょうど比例代表制が導入されたことから個人での出馬が禁止となり、また選挙運動の過程を公開するという点で公職選挙法の観点から問題があり、この試み自体は中止となりました。しかし本宮は「政治を分かりやすくジャンプ読者に伝える」という意図のもと、政党党首への取材ドキュメンタリー路線に方針を切り替えます。政治の難しさ、報道のわかりにくさといった問題意識から各党党首へのインタビューに取り組む著者のすがたは、取材者や研究者の立場からも大いに参考になるでしょう。
本宮ひろ志自身は「出馬をとりやめた」立場としてつぎつぎと話を聞いていくのですが、ここで興味深い点は彼の「当事者」としての目線が、うまく調査や描写の中で織り込まれていることです。例えば、民社党への取材の際、本宮は同席していた中野寛成議員に「ジーパン姿の若者風できたら委員長の話はもう少しやわらかくなったかも」と助言されます。しかし、本音を引き出すにしろそこまでのことをしていいのか?どこまで政界という世界で「無礼」を許されるのか?と、彼は葛藤するのです。取材を終えて家に帰宅すれば、自分のファンの「ヤクザ屋さん」が来て選挙の手助けをしてくれると言ってくれる、というふうに、単なる政界モノではなく、政治に関わることによる自分自身の生活の変容、また調査対象者から指摘された、自分自身の先入観に至るまで細かく再現されている点で、エスノグラフィーとして面白い漫画ですし、ポップなタッチで描かれる本宮と劇画調で描かれた政治家たちの対比などは、漫画でしかできない表現手法とも言えるでしょう。
同じく「日本の選挙」を対象とした本として、本宮は対談の中でジェラルド・カーティス『代議士の誕生』に言及しています。こちらもまた国政選挙(1967年衆院選)を対象としていますが、同窓会や町内会といった地元団体や年中行事にまで密着しながらも「観察者」としての立場を手放さないカーティスの議論は、本宮の漫画と重なるところも多くあります。研究者と(出馬しようとした)漫画家、選挙を二つの立場から眺めるふたりの筆跡を辿りながら、個人の人生にとって選挙とは何なのかを考えてみるのも面白いです。
鉄道がつなぐ「政治」や「地域」の話
二世議員・仙露鉄男は、実は「隠れ鉄道オタク」。なぜ「隠れ」なのかといえば、彼の父親は巨大自動車会社を支持団体にもつ「道路族」の議員であったため――という、非常にユニークな設定で読ませる、一話完結モノのコメディです。鉄オタならではのマニアックな鉄道知識を用いながら地域の問題を改善していく、といったシナリオがたびたび見られます。
11巻から13巻にかけては仙露の三期目の選挙がクローズアップされますが、なんと彼は選挙区を「国替え」して落下傘候補として、静岡選挙区からの選挙を打診されます。それまで縁もゆかりもなかった静岡で、県連の支援をどう取り付けるか、対立する県会議員同士の関係をどのように仲裁するか、世代間の政治意識の差異をどうやって埋めていくかなど、数多くの課題を解決する際に活きてくるのはやはりローカル鉄道の知識。「鉄道」や「駅」の様々な側面を提示しながら、地域の課題や人間関係を掌握していきます。
選挙の争点として、病院や教育施設の設置をどうするか?年々増加する高齢者の暮らしをどのようにケアしていくか?といった「まちおこし」や「問題改善」がテーマとして出現する漫画として、上に挙げた『限界集落温泉』や『クニミツの政』が見られます。これらと『テツぼん』は、同じような漫画ではありますが、少し異なる特色を持っています。前者の漫画は、あくまでいろいろな施設(「宿」や「売店」、「学校」など)を地域の中の固定的なインフラとして静的にとらえているのに対し、『テツぼん』が注目しているものは「鉄道」や「駅」の多面性であり、それらを「地域間をつなぐメディア」として、ある意味動態的に捉えている点ではないかと考えられます。
例えば、工場地帯を走る電車・岳南電車から見る工場夜景を「観光資源」として打ち出すアイデアは、鉄道を人の目と景色をつなぐ「メディア」として捉え、そこから「風景」の発生を論じた観光学の議論を彷彿とさせます。これ以外にも、利便性や収益性の視点から切り捨てられがちな鉄道や駅に対する見方を、鉄男の語りは大きく変化させてくれるのです。それは私たちの地域の生活に対する考え方の変容を喚起しているといっても過言ではないでしょう。
マニアックではありますが、「政治」や「地域」との相乗効果によって、少し難しいけれども深く、多面的に鉄道の魅力を掘り下げている漫画です。渋いですが魅力のある作品ですので、ぜひトライしてみてください!