ブルマーの社会史 女子体育へのまなざし
- 著者
- ["高橋 一郎", "谷口 雅子", "角田 聡美", "萩原 美代子", "掛水 通子"]
- 出版日
この本は、5人の研究者が、教育社会学、スポーツ社会学、体育史、ジェンダー社会学……あらゆる視点から「ブルマー」という、悲劇のアイテムに迫った本である。
〈第1章 ブルマー登場以前〉
〈第2章 ブルマーと近代化〉
〈第3章 女性の身体イメージの近代化〉
〈第4章 ブルマーの戦後史〉
〈第5章 スケープゴートとしてのブルマー〉
と、「ブルマー」を語ることは、〈少女〉〈女学生〉〈女性とスポーツ〉の関係を語ることだということが分かる。
「はじめに」に、高橋氏はこう述べる。“体育の時間に女子のブルマー姿に胸をときめかせた思い出は、この世代の多くの男性に共有されているであろう”(この世代、とはブルマーが指定体操着であった世代のことだ)と。私が聞いてきた話は、「ときめき」といった美しい言葉とは、正反対、禍々しい思い出ばかりだ。
じろじろみられた、尻の形が丸見えで苦痛だった、下着がはみ出してしまう、その下着を男子にからかわれる、同級生だけではなく、教師にも無遠慮にじろじろ見られて不愉快……。
やはり、というか、この「はじめに」こそ、ブルマーが受けてきた、いえ、女子生徒が被ってきたあらゆる方面からの圧力、苦しみを、そのまま表す文章であるだろう。同じ場にいた、同じ年齢の、共に教育を受けた仲間が、「いかがわしく恥ずかしい」と、自分が着せられていた運動着について記すのだ。
私は不思議だった。下着がはみ出るような運動着が、なぜ、90年代まで温存されていたのか。私の親世代ですら、不愉快で苦痛だと訴えていた服が、なぜ変わらなかったのか。
まず、ブルマー登場以前の「女性と衣服」の関係から知る必要がある。女性が男性と同じようにスポーツをする。運動着を着用し、自由に、走り、跳ぶ。当たり前のように、今夏のオリンピックも眺めていた。しかし、女性が男性と同じような服を着て、動き回れるようになるには、大変な歴史があったのだ。
日本では、明治維新後、女学生の出現により、「嫁入り前の年頃の女」が、人前で走り回るようになった。女学生出現と、「少女」概念の誕生はほぼ同義だが、長くなるのでここでは触れない(興味がある方は、ぜひ、最後に記したおすすめ本を読んでみて欲しい)。
今では、しっかり着込んで動きにくそうな「男袴」「女袴」でも、眉をひそめられる格好だったのだ。ただ登山をする女学生すら、世間からは、見世物的扱いを受けていた。『滑稽新聞』などに載っていた滑稽絵からは、生足が見えていやらしいと、エロチックに消費されていたことがわかる。
さて、ビキニ姿をしょっちゅうさらしているグラドルこと私、からは想像もできないほど、女性の身体、特に「脚」は、隠匿されるべきものであり、それが女性の自由な動きを阻んでいたのだ。
その隠蔽されていた身体が、今度は、「運動着」「指定体操着」として、女子学生たちを苦しめることになる。
初期ブルマーから、ちょうちんブルマー、そしてぴったりブルマーへ。
90年代後半には、ブルマーは学校教育の場から消えた。技術革新によって、動きやすいハーフパンツ、ジャージ素材は、もっと前から市場にあったにも関わらず、いわゆる「ぴったりブルマー」は、長年運動着として定番であり続けた。第4章の、インタビュー表は圧巻だ。悲しみで、目が潤んでしまった。学校教育の強制性は、少女特有のものではない。少年たちは、丸坊主を長年強制されてきた。「嫌だ」という声が、届くまでには、時間がかかる。
「はじめに」でまさに同世代の男性が語っていた、同級生たちからの視線。社会からの視線。下着ががはみ出る、生理用品がズレる。スポーツを楽しむ為に不必要な枷。男性とは異なる運動着の変遷。まさに、女性の「抑圧と解放のパラドックス」を体現しているのが「ブルマー」なのだ。
性的な存在ではあるが、性的な存在であることは許されない、という二重規範。「生物学的」には成人ではない(骨格や肉体の成熟)が、性的客体としては当然のように扱われる、しかしそれを自覚することは許されない。一人前の女性としての権利は、まだ、ない。
しかし、その苦しみが、同級生の男子には、ときめきの思い出あつかいをされ(このような社会学の本の前書きにあるほどに!)、単なるフェティッシュとは異なる、あらゆる欲望投影装置として機能してしまっている。
それは、単純な、性的な願望、性的な欲望、性欲、ではない。だからこそ、抑圧として機能する。
それでも、前に進む。進み続けるしかない。
女性の「抑圧と解放」について、以下の本もおすすめだ。
〈少女〉像の誕生―近代日本における「少女」規範の形成
- 著者
- 渡部 周子
- 出版日
- 2007-12-22