大杉栄にまつわる本5選!激しく熱い彼の生涯を追う

更新:2021.11.9

近代国家としての日本がその黎明期を終え、人々が個人の権利や自由の獲得を目指し、様々な社会運動を起こした大正時代。この影で、それらをさらに飛び越えて、究極の自由である無政府主義(アナキズム)を追求しようとした、大杉栄という男がいました。

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思想家・大杉栄とは

大杉栄は1885年、実直で愛国心の強い軍人の父と、美しく勝ち気な母との間に生を受けます。彼は香川県の丸亀で生まれましたが、父の転属の影響で少年時代を新潟で過ごしました。

この頃の日本は産業革命の渦中で、それらの急激な発展により、労働者たちと企業との間にしだいに歪みが生まれ、社会主義運動の高まりを予感させる時代でもありました。しかし、幼い彼はそんなことはつゆ知らず、子供らしい腕白さと、軍人である父への従順さを持って育っていきます。

そして、彼は後に生涯志す思想とは相反して、将来は父のように軍人となることを思い描いていました。ゆくゆくは元帥になるという大きな夢を掲げて、1899年に陸軍幼年学校に進学します。

しかし、成績は優秀であるにもかかわらず素行は酷いもので、徹底された軍隊教育に息苦しさを感じ、とうとう同期生との間に刃傷沙汰の喧嘩を起こし退学処分となってしまいます。この出来事が、彼をそれまでとは180度異なる道を歩ませるきっかけともなりました。

陸軍幼年学校を退学後、文学を学ぶべく17歳で大学に進学し上京した彼は、そこで語学に親しみ、共産圏の文学に触れるにつれ、社会問題へも目を向けるようになります。そして出会ったのが、幸徳秋水らによる社会主義結社の「平民社」でした。

彼はここで思想家として多くを学び、数多くの社会運動に参加します。しかしそれらの行動により、彼は反体制派として政府から監視を受けるようになってしまうのでした。

そして、社会主義思想から枝分かれして、国家や権力を不要とする、さらに自由な思想「無政府主義」を提唱するようになった大杉は、1916年に彼にとってのファムファタルとなる女性運動家・伊藤野枝と出会います。この頃、複数の女性と関係を持っていた彼は、次第に周囲から孤立するようになってしまいますが、それでも彼は自らのスタイルを貫きました。

そうした彼の激しい思想家としての生涯は、突如終焉を迎えます。憲兵隊から呼び出しを受けた大杉は伊藤とともに出頭し、当時憲兵隊員であり、後の満州国建設の際に暗躍する甘粕正彦の手によって無惨にも殺されてしまうのです。1923年、関東大震災の混乱の中、大杉が38歳の時でした。

大杉栄にまつわる逸話6つ!

1:自由恋愛を実践した

大杉は、彼が提唱する無政府主義思想の中で、男女間の営みが社会制度化された結婚からの束縛を拒否するという、自由恋愛を試みました。彼を語る上で重要なこの思想は、博愛と個人の尊重という点では、70年代のヒッピー文化に見られるフリーセックスと似ています。

彼が掲げた自由恋愛のルールは、「お互いに経済的な独立をすること」、「同棲を絶対のこととしない」、「お互いの精神と肉体の自由を尊重すること」の3つでした。

2:泥沼恋愛の末、愛人に刺された

自由恋愛を推進した大杉は、複数の女性との関係を並行して続けました。最初に妻とした堀保子、婦人記者の神近市子、そして、女性解放団体「青鞜」(せいとう)に通っていた伊藤野枝。彼は、この女性たち全てと法の下での婚姻は結びませんでした。

次第に、精神的にも肉体的にも伊藤野枝と癒着するようになった彼は、建前上のルールは掲げつつも、たびたび神近市子に金の無心をしました。そしてついに悲劇は起きます。

愛する大杉からの愛情も得られず、金ばかりむしり取られていた神近の不満はとうとう爆発し、彼が執筆の名目で逗留していた葉山の日蔭茶屋で心中を図りました。両者とも一命は取り留めたものの、この事件がきっかけで、同志からも冷ややかな目を向けられるようになり、大杉と伊藤は困窮していきます。

 3:若い頃は西郷隆盛に憧れていた

大杉の少年期は、成績優秀で早熟、陸軍幼年学校に入る以前から複数の武術をたしなみ、入学後はそれらの教育の陳腐さに飽きてしまうほどでした。それは成長するにつれ、反骨のエネルギーへと変わっていき、非行にも手を染めます。

彼のそれを物語るエピソードに、孔子好きの教師から「好きな偉人は誰か」と聞かれ、西郷隆盛と答えたというものがありますが、当時はまだ西南戦争から時間も経っておらず、西郷といえば謀反人でした。

これを是正しようとした教師に対し、なぜ彼が不満を持ったのかというと、彼は後に「西郷の行いは明らかに謀反であったが、そんなことはどうでもよく、それを一般道徳に当てはめて是非を決められることに腹が立った」と語っています。

 4: 獄中で命を繋いだ

彼が思想家として最も盛んに活動していた大正期は、デモクラシーの発展の時代でもあり、それらの運動は全国各地に広がっていきます。時には言論だけでなく武力による争議もいとわなかったこれらの運動家たちを、政府は治安維持法の名の下に厳しく取り締まるようになりました。

1908年、何度も入出獄を繰り返し、その前科を吹聴するほどであった大杉は、社会主義者の弾圧を目的に起こった「赤旗事件」によって2年以上の長い月日を獄中で過ごします。しかしこれが幸いして、彼が通っていた幸徳秋水らによる平民社のメンバーが天皇暗殺を目論み、その多くが処刑された「大逆事件」への関与を免れました。 

5:「一犯一語」という自分ルールをつくった

成績優秀だった大杉は、語学センスも高く、大学ではフランス文学を学びました。そのため、日本以外の文学や思想に触れることも多く、このことが彼の思想家としての歩みに拍車をかけます。彼は「一犯一語」というルールを自分に課し、投獄されるごとに一言語を習得するという、熱心さを持っていました。

実は彼は、エスペラント(19世紀末に人工的に作られた国際語)学校の設立や、ファーブル昆虫記を日本で初めて訳すといった実績も持っているのです。 

6:子供に残人な名前をつけた

大杉は、婚姻関係こそなかったものの、伊藤野枝との間に5人の子供をもうけました。あの織田信長も、子供に付ける名前が奇妙だったそうですが、この2人も同様、子供たちの名前に彼らの破天荒さが表れているように感じます。

その名は上から順に、長女の魔子、次女エマ、三女エマ、四女ルイズ、長男ネストル、というものでした。2人が甘粕に殺害された後、子供たちは引き取られた親戚によって改名されますが、これらの名前は大杉が私淑していた海外の思想家たちに由来するもので、長女の魔子にいたっては、彼自身が周囲から悪魔と評されていたことにちなんで付けられたそうです。

大杉栄による獄中生活ハウツー本

本書は、危険な思想家として政府から監視を受けていた大杉栄が、何度も入獄した獄中での出来事を綴ったものです。

彼は当時、道端で出くわした酔っ払いの仲裁に入っただけで、駆けつけた巡査に「社会主義者」ということで難癖を付けられ留置されてしまうほど、当時のナショナリズムにとっては異端であり、脅威でもありました。

著者
大杉 栄
出版日
2012-04-10

彼のみならず、思想家たちに共通して見られるのは、そういった弾圧に対する覚悟と寛容さです。大杉自身も、隣の独房に入れられた同志との会話法や、面会にやって来たいい女の話など、獄中での些細な事柄を面白おかしさも交えて語っています。

このように彼は、小さな事件から、数年に渡り処罰を受けるような大きな事件にいたるまで、寝食も保証されてこれ幸いと、拘束されるたびに勉強に励み、そして多く書き記しました。

あなたは彼に共感できますか?

本書は、大杉栄の幼年時代から葉山事件が起きるまでの回想と、国際アナーキスト大会に出席するべく、中国人と偽ってパリに渡った際の一部始終を彼自身が綴った、大杉栄を知るための一冊です。

彼の後の歩みとは全く異なる幼少期から中学までの話や、自由恋愛の末にたどり着いた刃傷沙汰の真相など、彼自身によるものなので多少の偏りはありますが、その生々しいまでの描写に、読者の心はつい引き込まれてしまいます。

著者
大杉 栄
出版日
1971-01-16

特に葉山事件に関しては、ダメ男に騙された経験のある女性は、怒りが沸き上がってくるのではないでしょうか。パリに渡った際も、メーデーの演説を行ったことで当局に拘束されて日本に強制送還されるなど、始終共感とは無縁ですがドラマティックで、まるでフィクションの世界のようです。

この本を読んで彼の行動に共感できる方は、もしかしたらかなり破天荒かもしれません。

瀬戸内寂聴が見た大杉栄

大杉が残した言葉に「美はただ乱調にある。諧調は偽りである。」というものがありますが、本書は、精神と肉体の両方でその言葉通りの人生を実行しようとした、大杉栄と伊藤野枝の2人に焦点を当てた作品です。

作者の瀬戸内寂聴は天台宗の尼僧として有名ですが、彼女自身も出家以前はかなり破天荒でした。そんな彼女ならではの善悪に対する独特の公平さが滲み出た、素晴らしい作品となっています。

著者
瀬戸内 寂聴
出版日
2017-02-17

実は本書の前編として『美は乱調にあり』というものがあるのですが、こちらは主に葉山事件までの2人のドラマがメインテーマです。そして後編にあたる本では、悪役として描かれがちな甘粕正彦の人格まで、近しい人への入念な取材を元に描かれています。

歴史上のドラマは時に都合の良いように歪曲され、読者ところに届いている事実は疑わしいものばかりですが、本書はそういった視点から見ても、非常に貴重な証言の詰まった一冊といえるでしょう。

大杉栄の思想が詰まった一冊

大杉栄が追求した無政府主義やリベラリズムは、国家や集団とは常に対極の位置にあり、現代においてもなお議論される主題です。

そもそも、個人や民衆の手の中にあるからこそ、その本来の理想を実現できるのであって、これが組織化したとき、しばしば形を変えて暴走してしまう運命にあるのかもしれません。

著者
大杉 栄
出版日
1996-08-20

本書は、今から100年も前にすでにその問題について考えていた大杉の思いや、彼の名言があふれた一冊です。

彼は、個人が集団をなした時に生まれる矛盾に気づいており、「秩序を守るために重要な国家や組織は、反逆と創造があってこそ生を受けるもので、それがなくなったときに歩みを止め腐敗する」といっています。またそれは、宗教や芸術にもいえることで、それらはあまりに本来の目的とは離れ合理的になってしまい、もはや民衆には必要ないと断言しているのです。

彼が最後まで反逆者であり続けたのも、自分の思想の中に見る、腐敗のない美しさを貫きたかったからかもしれないのです。

アウトローが語る大杉栄

本書は、著者である宮崎学が、全共闘の時代に参加した学生運動の体験を交えながら、それらとは似て非なる大杉栄の思想について語っています。

まず「マルクス主義」や「リベラル」とは何なのか、そして大杉の思想はそれらと何が違うのか、というのを理解するためにうってつけの一冊です。

著者
宮崎 学
出版日

宮崎自身、ヤクザの父を持ち、幼い頃から過激な生のぶつかり合いの中にさらされていたというエピソードの持ち主で、青年期には自らもその渦に身を投じました。

革命によってユートピアを勝ち取るという大義名分の下、暴力をもいとわなかった宮崎は、大杉栄の思想に冷水を浴びせかけられ、自身が妄信していた主義が疑わしくなったといいます。

自らをアウトロー作家と称しているだけあって内容は過激ですが、元革命家にしか語れない、革命の本質や矛盾について知ることができるでしょう。

思想の自由、労働の自由、恋愛の自由など、個人の自由が容易に得られる時代を生きる人々は、大杉栄が生き抜いた激しい時代に比べ、その選択肢の多さに困惑し、かえって個人の意志が集団の中に溶けてしまっています。大杉自身の生涯は決して善いといえるものではなく、周囲の協力があってこそ彼が主張する自由を体現出来ており、思想としては多くの矛盾も孕んでいますが、彼はその溶けて薄まってしまった意志がなす全体主義に生涯をもって懐疑的でした。いつでも、大なり小なり争いの起きるところには、そういった無責任な意志が塊となって暴走している様が見られますが、彼のように、正義か否か、右か左かではなく、個人としての意志を持ち、自ら考え発信する力を持って生きたいものですね。

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