毎年お正月になると見ることができる歌舞伎の演目「忠臣蔵」では、大石内蔵助ら赤穂浪士は忠臣、吉良上野介は悪役というイメージが定着していますが、彼は本当に悪人だったのでしょうか?今回は彼の人物像や討ち入りの知られざる真実に迫る5冊の本について紹介します。
吉良上野介(きら こうずけのすけ)は1641年、室町時代から続く名門・吉良家の末裔として生まれました。幼い頃から容姿に優れ、高家として礼儀作法の知識も豊富であったことから将軍にも気に入られ、生涯を通じて合計24回朝廷の使者として幕府と朝廷の間を行き来しています。
しかし朝廷とのやり取りのなかで赤穂藩主・浅野長矩との間に齟齬が生じ、江戸城松の廊下で浅野に斬られてしまいます。命に別状はありませんでしたが、これにより浅野は切腹、赤穂藩は改易(身分を降格させられること)となりました。
吉良は命の危険を感じて役職を辞し養嗣子に家督を譲り隠居しましたが、1701年12月15日、大石内蔵助率いる赤穂浪士四十七士が吉良邸に討ち入りし、彼は首を討たれてしまいます。その首は浅野の墓前に捧げられた後に埋葬されました。
赤穂事件を題材にした歌舞伎の演目「忠臣蔵」では、吉良上野介は赤穂浪士四十七士の敵役として描かれています。
今回は、そんな彼の逸話を通じて知られざる一面をご紹介します。
1:高家のなかでも特に地位の高い名門
吉良家は足利家の分家を開祖とした三河国の名門でしたが、室町・戦国・江戸を通じて家柄のわりに軍事力が弱く今川・徳川にずっと臣従していました。しかしその家柄の名誉は江戸時代になっても健在で、幕府において儀式を掌る高家の筆頭だったのです。
吉良家は今川・徳川と血縁関係があり、高祖父は徳川家康とともに今川義元の人質となったのちに家康に臣従、曾祖父は家康の従兄弟で今川氏真の娘婿です。つまり、吉良上野介は江戸時代では貴公子ともいえる存在といっていいでしょう。
彼は家督を継ぐ前から朝廷に幾度も派遣され、時の将軍・徳川綱吉も彼を気に入っていました。高家のなかでも特に高家肝煎という上位職に大沢基恒、畠山義里とともに選ばれており、家柄と教養の高さを特に買われていたのです。
2:実は大石内蔵助と遠戚である
吉良と大石内蔵助は宿敵であるはずですが、実はこの2人は遠縁の親戚でした。彼の妻の母・生善院の甥に斎藤宣盛という人物がいますが、彼の母方の祖父で赤穂藩筆頭家老・大石良勝という人物にたどり着きます。良勝は名字を見てわかるとおり、内蔵助の祖先(曾祖父)にあたるのです。
とはいっても血縁としてはかなり離れているので、おそらく彼らの間に直接の面識があったとは考えにくいでしょう。もしかしたら、遠戚であったことすら知らなかったのかもしれません。
ちなみに大石家は豊臣と浅野、吉良家は徳川に仕えていました。こうして吉良と大石を見ると、ドラマとしてかなり面白い題材であることがわかりますね。
3:米沢上杉家の財政悪化の張本人?!
吉良の妻は米沢藩主・上杉綱勝の妹です。そして綱勝が亡くなり男系子孫が絶えると彼は自分の息子・綱憲を上杉家の養子にして存続させました。ところが、こうした血縁関係もあって上杉家は吉良家の財政を肩代わりしていたのです。
吉良家は名門のわりに領地が少なく、なおかつ吉良に浪費癖があったので江戸への普請代等を全て上杉家が管理していました。上杉家からは正直厄介な存在だったように思われます。討ち入り後に敵討ちをしなかったことを風刺され、評判もガタ落ちしてしまいました。
こうして軍神・上杉謙信以来の名門上杉家の権威は失墜してしまうのです。上杉家が再興するのは、名君・上杉鷹山の登場まで待たなくてはなりませんでした。
4:領地では名君との評価が定石
戦国時代以来、吉良家の領地は旧吉良荘を含む3200石と飛び地の1000石に限られていました。高家とはいえ、旗本は10000石を越えてはならないという規則があったのです。それに旗本は場合によっては生涯領地に赴かないことも普通でした。
彼の領主としての評判はというと、黄金堤による治水事業や新田開発、塩業の推進などから名君として知られてるといっていいでしょう。吉良町には赤馬という郷土玩具・菓子が伝承されていますが、彼が赤い馬に乗って郷土を視察したことに由来しています。
忠臣蔵や義士と名がつくものには吉良は悪役でなくてはいけないようですが、実際はそう一面的に人を判断できるものではないようですね。
5:幼少期に千家の茶道を学んでいる
吉良は幼少期に千利休の孫である千宗旦から千家流の茶道を学んでおり、自らも卜一(ぼくいち)流という流派を興したほど茶道に熱中していました。
千家流の茶道は江戸時代を通じて大名層の教養として伝わり続けていましたが、吉良家も格式高い家としてこれを学んでいたと考えられています。毎年年末には茶会を開いており、討ち入りの際も茶会の途中であったという説まであるくらいなのです。
もっとも、茶器もただではないはずですから石高のわりにかなり贅沢な趣味だったのかもしれません。これが吉良家と上杉家の財政悪化の根源だったとも考えられていますが、真相はいかに。
6:実は悪いのは浅野の方で吉良は被害者?
刃傷事件の原因は吉良による浅野いじめであると古い説では言われてきました。しかし実際は浅野も浅野でそれまで経験したことのない儀式に対しての認識が非常に甘かったとされ、不手際の原因は浅野にあるといわれています。
芝居では定番のセリフである「この間の恨みを晴らさでおくべきか!」というのも、実は当時の事件記録には載っていません。それに当時の赤穂藩の記録では、浅野長矩はかんしゃく持ちで財政難の藩を立て直すために重税を課していたことから、浅野の切腹が知られると領民は赤飯を炊いたともいわれています。
その他にも、塩田の利権を巡って吉良が浅野に技法を教えたところ、浅野が彼の管轄にまで手を伸ばしたので吉良がこれを弾劾したことを逆恨みしたなど、どうも当時の状況からいっても浅野が悪いとする話の方が多いくらいです。では吉良家を取り潰す必要はどこにあったのでしょうか?
7:刃傷事件は浅野長政と伊達政宗によって起こされた?
もうひとつ面白い解釈としては、戦国以来の大名同士の不仲が指摘されています。敵対していた大名家は子孫の代になって江戸城内で会っても無視を決め込み、参勤交代でも相手の領地を通らずにわざと遠回りするなど、対応は子供の喧嘩並みでした。
時は遡って豊臣秀吉の時代、奥州の伊達政宗は豊臣政権の取次役である浅野長政に頼っていました。しかし数々の齟齬によって両家は絶交してしまうのです。時は戻って浅野長矩と一緒に仕事をすることになったのが、伊達藩の分家・伊予宇和島藩でした。
この時に指導役だった吉良も仕事ですから浅野に散々「仕事に私情を挟んじゃいけません」と指導したと思われますが、かんしゃく持ちの浅野にはこれが許せず刃傷となった、とする解釈もあります。
8:幕府に殺されるはずだった?
さらにやや大掛かりな話として、吉良家と浅野家両方を取り潰せるだけの力があるのは何でしょうか?もうおわかりでしょう、幕府です。
幕府は犬公方・綱吉の時代に財政難に陥り、それを改善するために大名の藩を取り潰して天領にしてやろうという魂胆があったという説もあります。赤穂藩といえば塩、そして吉良がいた三河吉良荘も塩によって利益を上げていました。
先述のとおり、吉良と浅野は塩の利権を巡って揉めている最中でしたが、そこに浅野と伊達という先祖代々の遺恨を持ち掛け、それを浅野の宿敵・吉良に取り持たせれば、暗愚な浅野はほどなく暴発し吉良も浅野も取り潰せる、という筋書きです。
実は討ち入りが決行される前から刃傷事件をモチーフにした演目が上演されています。しかも江戸にて上演されていますが、幕府がこれを咎めたという話は聞いていません。おそらく、幕府に政治不満を逸らす意図があったのでしょう。
こうして赤穂浪士=忠臣というイメージを民衆に植え付けさせ、吉良家と赤穂藩を取り潰した幕府ですが、吉良はこうなるともはや犠牲者でしかありません。果たして真実はいかなるものだったのでしょうか?
悪役として知られている吉良上野介は、実は名君だった。そして数々の疑惑はすべて無根拠の作り話だった?このように、あらゆる史料を丹念に読みこんだ著者が、作家の立場から刃傷事件と討ち入りの真相について言及する、考察深き一冊です。
- 著者
- 岳真也
- 出版日
忠臣蔵に疑問を持つ専門家は決して少なくなく、昔から数多くの研究が行われてきました。著者もそうした立場から忠臣蔵の疑わしき部分と吉良上野介と浅野長矩の間にあった疑惑は事実無根であったと指摘しています。
そして著者は吉良は幕府によって殺されるように仕向けられた立派な被害者であると指摘しています。数々の常識を否定するという意味で、普段我々が知っている歴史物がいかに嘘で塗り固められているのかがよくわかる一冊です。
忠臣蔵に疑問を持つ学者は数多くいますが、本書の著者も学術的な観点から「忠臣蔵」と吉良上野介の真実に迫っています。
こちらも一般向けではありますが、やや専門的な内容にまで踏み込んでおり、忠臣蔵中級者におすすめです。
- 著者
- 山本博文
- 出版日
- 2012-04-02
専門家による研究所というべきものですが、史料に忠実である一方で著者独自の意見も所々で散見され、著者の客観的視点と忠臣蔵への愛を強く感じることができる一冊です。
著者は自らが鑑定に立ちあった「茅野和助遺書」の記事を元に、これこそが最新でもっとも正確な忠臣蔵であると主張しています。非常に正確性の高いものとなっています。
研究とは実に地味な精読・分析の積み重ねです。本書は専門的な内容にも触れているので、忠臣蔵について研究を深めたい人にとっては必ず手元に置いておきたい一冊です。
本書は、彼の妻・上杉富子を主人公にした小説です。実家を救うために長男を養子に出した苦悩、子が産めないと分かったなかでようやく手にした跡取り、そして討ち入り事件。
唯一生き残った吉良家の人間の立場から、彼の悲劇を見ていきます。
- 著者
- 鈴木由紀子
- 出版日
- 2010-10-08
忠臣蔵を題材にした作品の中には、大石内蔵助の妻、りくを題材とするなど女性視点の作品も決して少なくはありません。しかしそれはいずれも赤穂浪士の忠義を受け止める人としての立場です。
本書は事件によって殺された吉良上野介の妻・上杉富子の生涯を軸に、夫の悲劇を描いています。実家を存続させる代わりに嫁ぎ先が危機に陥るという二転三転の困難に、富子は女性であるゆえにただ見ているしかありませんでした。そこには一種の諦観のようなものが漂っています。
誰も知らない新事実が描かれているわけではありませんが、本書は事件を通して被害者でしかなかった富子の生涯に強く共感を得ることができる一冊です。
時代劇作家の池宮彰一郎が手掛けた忠臣蔵です。本書は騒動の発端となった刃傷事件に視点を絞り、その他赤穂浪士の視点から浅野内匠頭の危うさと吉良との人間関係について語っています。
著者の他作品『四十七人の刺客』『四十七人目の浪士』の続編とも言えますが、これだけでも楽しめます。
- 著者
- 池宮彰一郎
- 出版日
本書は忠臣蔵に関わる短編集で、表題の「その日の吉良上野介」は討ち入りの際に茶会を催していた彼の視点で描かれています。
この他にも一般的には重要視されない千馬三郎兵衛を主人公とした「千里の馬」など、赤穂浪士の立場から描かれた短編も収録されており、浅野の危うさについてもしっかりと描写されています。池宮版忠臣蔵の決定版ともいえる作品集です。
忠臣蔵は事件の時間経過の短さゆえにどうしても題材が重複することがありますが、本書ではそうした心配はなく新たな忠臣蔵の世界を知ることができます。
同じく池宮彰一郎が手掛けた忠臣蔵、本書はドラマや映画にもなっています。赤穂浪士の生き残りである寺坂吉右衛門の視点から、討ち入りの様子と残された遺族について記されています。討ち入りをした者はどんな覚悟を託したのでしょうか?
- 著者
- 池宮彰一郎
- 出版日
- 2004-10-01
討ち入らなかった赤穂浪士は、大石ら忠臣や褒めたたえられた者と違い、恥をさらし武士として地位と誇りを捨てて生きなくてはならなくなるのです。自ら栄誉を放棄し長い余生を選んだ人物に厳しいのも歴史の残酷なところで、池宮はそこを余すところなく描いています。
本作はドラマ・映画にも取りあげられ完成度の高さで知られていますが、本書においても生き残った赤穂浪士のその後に対する悲哀の描写は冠絶しています。本書の描写を実写版と比べてみるのも面白いでしょう。
いかがでしたか?300年以上経った今、我々がかつて知っていた忠臣蔵は決して絶対の真実ではないということが明らかになってきています。吉良と浅野の間に何が起こったのか、吉良はどうして葬られなくてはならなかったのか、その真実が明らかにされるまで今日も物語は尽きないのです。