平安時代を舞台に、プレイボーイの在原業平と、若き学問の神様、菅原道真が数々の難事件を解決していきます。しかし、権勢を誇る藤原氏の陰謀が、いやおうなく2人を巻きこんでいくのです。世知に長けた業平と、書と学問にしか興味のなかった道真の行くすえは……。
時は平安。鬼や百鬼夜行の存在がまことしやかにささやかれる時代です。都の護衛を務める在原業平は、日々事件の捜査にあたっています。
そんなとき偶然出会ったのは、鬼などはまやかしだと切り捨てる、菅原道真。2人が組んで解決する事件は、たしかに道真の言うとおり、人の手によるものでした。しかしその裏には、権力を巡る藤原氏の争いが見え隠れしていたのです。
主人公2人を筆頭に、登場する多彩なキャラクターたちが表情豊かに描かれています。2016年、文化庁メディア芸術祭マンガ部門で新人賞を受賞した作品です。
- 著者
- 灰原 薬
- 出版日
- 2014-04-09
平安を代表するプレイボーイ、在原業平。とある月夜、人妻の寝所に忍んだ帰りに、門の上にいる人影に気づきます。
賊か鬼かと思ったその相手は、「書を読んでいるだけだ」と答える若者でした。
翌日、次々と下女が行方不明になっている事件を担当する業平は、容疑者とされた若者が捕縛される現場に居合わせます。そのとき隣にいた容疑者の友人こそが、昨夜出会った小鬼、ではなく菅原道真でした。
道真の観察眼に何かを感じた業平は、彼を死体の検分に同行させます。道真は見たものを冷静に分析し、これまでに蓄えた知識と合わせ、事件の真相を見抜きました。
しかし真相を聞いた業平は、政治的な力がそれを裁くことを許さないとし、鬼の仕業として処理をしようとします。その様子を見た道真は、「理に適わぬことは嫌いだ」と言い、それでは鬼退治を、と動き出してしまいました。
この事件をきっかけに2人は親交を深めていくのですが、道真はそう素直ではありません。業平から事件を持ちこまれても、「嫌ですよ」「いま私は忙しいんです。邪魔しないでください」と邪険にします。けれど結局は彼が事件の真相を見抜き、対処することになるのです。
一方、藤原氏の一族は、宮中での権勢を高めようと企んでいます。この時代に権力を握るには、天皇と血筋を交えることが欠かせません。娘を天皇に嫁がせ、次の天皇となる男児が産まれれば、天皇の祖父となって発言力が強固になるのです。
『応天の門』で描かれる清和天皇はまだ小さな男の子です。小学生くらいでしょうか。けれど天皇の后の座を巡って、すでに藤原氏のなかでも争いが始まっているのです。
業平と道真が出会う事件の多くはこの権力争いの一部であり、道真は関わりたくないと言いながら、しだいに藤原氏から注目される存在となっていきます。
このことが彼にとってどんな意味を持つのか、それは今後の展開を楽しみにしましょう。
在原業平と菅原道真、平安貴族のなかでこの2人ほど後世にも親しまれている人はいないでしょう。かたや美男の代表として、かたや怨霊と学問の神様として。
当時業平は、左近衛権少将という都の護衛を務める官職に就いていますが、世に知られたのは歌人としての才能でした。詠んだ歌の多くは「勅撰和歌集」に収録され、六歌仙や三十六歌仙にも選ばれる、当代随一の歌人だったのです。
また美男のプレイボーイとして浮き名を流したことでも有名で、このあたりは『応天の門』でもたびたび取りあげられています。作中では平安の美男というイメージを裏切り、武骨な男性として描かれていて、護衛職を務めているのも納得です。
- 著者
- 灰原 薬
- 出版日
- 2014-10-09
一方、菅原道真は『応天の門』では学問好きの若者として描かれています。業平と出会う前は現実の政治から目を背け、書に没頭していました。三白眼で、背も高くはありません。まだ成長途中なのでしょう。業平から事件を持ちかけられるたびに嫌そうな顔をしますが、そのいかにも嫌がっている表情が可愛いらしいです。
唐への憧れが強く、遣唐使になることを夢みています。唐から来た新しい書物や墨などの文物を見ると、その時だけは素直な表情になってしまう普段とのギャップが魅力的なキャラクターです。
2人が出会ってから最初の事件で、道真は自分の知識を披露します。しかし現実に起きている出来事で実践するのは初めてで、うまくいくかどうかもわかりません。
「なるほど 私はまだ何も知らぬ」(『応天の門』1巻より引用)
自分には知識はあるが、それだけだったと実感しました。
業平は、出世コースからは外れてしまった人物で、反藤原の勢力ともつながりがあります。そんな彼からしてみると、自分の世界に閉じこもりがちな道真は危なっかしい存在なのでしょう。道真の知識と知力がたぐいまれなだけに、いずれ宮中で出世していく未来を見据えているのかもしれません。
そのため彼に現実を教えようともするのですが、道真にとってそれはわずらわしく、ときに2人は仲違いもしてしまいます。
読み進めていくうちに、業平に欠けていたのは希望、道真に欠けていたのは現実との関わり、ということがわかってきます。そして2人は互いにその欠落を埋めていくのです。
作中では政治の状況も変化をし、これからの2人がそのうねりに巻きこまれながらどのように対処していくのか、ますます目が離せません。
平安時代、それは妖がすぐ隣に存在している世界でした。夜の闇は深く、人ではないものがいつ忍び寄ってくるかわかりません。
しかし道真は鬼と聞いて、「そんなものいるわけがない」と言い切ります。また、見たものは皆死んでしまう化け物の行列の話を聞いた時は「見たものが皆死んでしまうというならどうして化け物だとか行列だとか詳しくわかるんですか。矛盾してるでしょう」と、あくまでも冷静です。
そして彼は、化け物の行列の真実を確認しようと、道に水をまきその跡を検分することで、牛車や人の足跡を発見し、これは化け物ではないと断じます。このように合理的に物事を考え謎を解いていく道真のの姿は、なかなか痛快です。
業平は、以前は平安の人らしく化け物を信じていたようですが、彼と出会ってからはそのような存在に懐疑的になっていきます。
- 著者
- 灰原 薬
- 出版日
- 2015-04-09
『応天の門』の魅力は、このような事件の裏にある人の想いをしっかり描いていることです。妖怪の仕業に見えても鬼の仕業に見えても、それは人が起こした事件であると見抜いただけでは終わりません。
有力者から「呪いの桜の樹を移植させたい」と頼まれた業平は、道真をかり出し、呪いを演出していたのは、恋人の帰りを待つ女性のおこないだと謎解きをします。事件はこれで解決しますが、業平と道真の2人は、有力者が桜の移植を諦めるところまでしないと気が済みません。
平安ミステリーとしても楽しめながら、それだけで終わらないところが、本作の読みごたえのあるところです。
歴史ものとしては、戦国時代や江戸時代、幕末などと比べてあまりフィクションの舞台になりにくいのが平安時代です。人間関係がわかりにくい、現代と常識がかけ離れている、など理由はさまざま。
『応天の門』では、平安時代でもトップクラスの有名人、菅原道真と在原業平を主人公に据えることで読者の興味をひきますが、この2人は実際にも交流があったようです。本作には史実もしっかり描かれています。
- 著者
- 灰原 薬
- 出版日
- 2016-03-09
また、人間関係のわかりにくさを助けているのが、作者の画力です。権力者のおじさんたちは多彩に描き分けられ、登場するだけで、「あ、前の話で陰謀を巡らせていた人だ」などとすぐにわかります。
学校の授業では、誰が何をしたかという行動とその結果を憶えることになりますが、『応天の門』ではなぜそんな行動をとったのか、そこにどんな想いがあったのか、どんな感情に囚われていたのか、という考察が巧みに織り交ぜられているのです。
授業では5分で終わってしまうような時代の節目を、人の心に焦点を当てた本作では、ときに楽しく、ときにハラハラしながら知ることができます。
6巻は、天皇の后の座を巡る争いの火ぶたが切られるところで終わっていました。これまで后になるのは、藤原良房の姪、高子が最有力として描かれていましたが、7巻ではそれを藤原良相が出し抜き、彼の娘の多美子が入内する話をつけることに成功します。
『応天の門』はここまですべて、この入内を巡った事件で展開されています。誰が天皇と結婚し、男の子を産むか……それが平安貴族たちの権力争いのもっとも苛烈な争点なので、ストーリー上でもこれは大きなポイントです。
- 著者
- 灰原 薬
- 出版日
- 2017-06-09
多美子の兄、藤原常行は、権力欲よりも妹の身を案じます。敵対する藤原良房とその息子の基経は、多美子の入内をこころよく思ってはおらず、また大納言の伴善男は藤原同士でつぶし合えばいいとほくそ笑んでいます。
そして善男の甥である豊城は、彼の命令に背いて勝手に動く危ない男。彼もまた、この入内の情報に思うところがあるようです。
当の多美子ですが、入内とは天皇の話し相手や遊び相手になるために側に行く、という認識の幼くあどけない少女として描かれます。文句なく可愛いく、そんな多美子に命の危機が、と思うと読者の緊張感も高まるでしょう。
彼女は入内の日までは屋敷で過ごすのですが、そこにも危険はいっぱい。道真は関わりたくないと思いつつ、結局手を貸すこととなり、自分の側に仕える白梅という女性を多美子の屋敷に遣わしました。
白梅からの報告で道真が指示を出し、屋敷の脅威は取りのぞかれましたが、もっとも危険なのは入内当日の牛車での移動。業平と道真はそれについて一計を案じます。
しかし移動の当日、牛車は力づくで襲われてしまいました。
襲ったのは誰なのか、多美子は無事なのか、そして道真の案とは……?
7巻の最後で道真が手にしたのは、初めて見る「暦(こよみ)」。果たしてこの先、どんな展開が待っているのでしょうか。続刊が楽しみですね。
都では、暦(こよみ)が流行していました。そこには日ごとに「青い帯をつけよ」「米を食べてはならぬ」「赤いものに三度触れろ」といった文言が書かれています。有名な陰陽師が作ってくれて、どうやら運気が上がる、と巷で噂になっていました。
この暦をみた道真は、本来あるべき暦の形式とまったく異なるではないか、と指摘。本来ならば、公の儀式や祭りの日取りを決めるためのものであって、緻密な観測と計算で割り出された天文記録なのです。したがって、流行っている暦は非常に胡散臭いものでした。
- 著者
- 灰原薬
- 出版日
- 2017-12-09
そんなさなか、都では盗難が相次いでいました。盗られるものはすべて高価なもので、荒らされるような形跡はありません。同じような手口が続いていることから、同じ犯行によるものかと考えられます。
被害者に共通するのは、みんな暦を手にしていたこと。その話を聞きつけた道真は、どうもこの暦が怪しいと目をつけます。一体どんな人物がこの暦を作成していたのか、それが事件のキーポイントになりそうですが……。
話の終わりには、「平安時代の暦」についての丁寧な解説も収録されています。物語を楽しみながら、歴史の一端に触れることができるのが、本作の見どころの一つ。歴史に苦手意識がある方でも、物語から入りこんで興味を持てるのではないでしょうか。
今回も菅原道真の活躍が存分に楽しめます。最新8巻、ぜひ続きは手にとって読んでみてくださいね。スマホのアプリで試し読みもできますので、そちらもおすすめです。
平安クライム・サスペンス『応天の門』は、歴史にうとくても楽しめること請け合いの漫画です。