黒田長政にまつわる9つの逸話!関ヶ原の戦いで功績を上げたキリシタン大名

更新:2017.9.19

天才軍師・黒田官兵衛の息子として知られる長政。実は、天下分け目の戦い・関ヶ原を勝利に導いた東軍最大の功労者なのです。偉大な父の元に生まれながら、自身の人生を生き抜いた長政を知ることのできる本4選をご紹介します。

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戦国最高の2代目、黒田長政とは

1568年、戦国の天才軍師として有名な黒田孝高(通称:黒田官兵衛)の長男として姫路城に生まれます。

官兵衛は当時9歳だった黒田長政を人質として、羽柴秀吉(後の豊臣秀吉)の元へ預けました。官兵衛の謀反を勘違いした織田信長が長政を殺す命令を出しますが、父の同僚である竹中半兵衛によって助けられ、生き延びます。

本能寺の変後は、官兵衛・長政親子はともに秀吉に仕えました。黒田親子は賤ヶ岳の戦い、小牧・長久手の戦い、九州平定などにおいて功績をあげていきます。

1587年には、父にならい、キリスト教の洗礼を受けてダミアンという洗礼名を授かりました。その後秀吉の出したバテレン追放令を受けて父と同様に棄教しています。その後、1589年に父が隠居したため、家督を継ぎました。

1592年から始まった朝鮮出兵(文禄・慶長の役)では加藤清正らと並んで先方隊として戦います。長政は負傷しながらも大活躍し、次々と朝鮮軍を打ち破っていくのです。しかし、明の攻撃を受けて、日本軍が広げてきた占領地を失っていくなか、1598年に秀吉が死去。日本軍は撤退し、黒田長政たちも日本へ戻りました。

秀吉の死後は徳川家康に接近

秀吉の死後は徳川家康に接近し、清正らとともに石田三成を襲撃しますが失敗。

1600年の関ヶ原の戦いでは東軍として戦い、西軍に大ダメージを与えます。その功績を称えられ、家康から感謝を伝える書状とさまざまな御礼の品、そして筑前国を与えられました。

その後1601年に筑前国に入府。父とともに福岡城を築城し、初代福岡藩主となりました。

1604年に父が死去したとき、黒田長政は父の法要をキリスト教形式と仏式と両方で大々的に執り行い、2年後には京都にも供養塔を建立しています。 大坂冬の陣では江戸城の留守居役を務め、夏の陣では秀忠の下で戦いました。その様子が描かれた大坂夏の陣屏風は長政が命じて描かせたもので、国の重要文化財となっています。

1623年、自身の後を継いだ長男・忠之を心配しながら亡くなりました。その後、忠之は黒田家重臣でありその補佐を務めた栗山大膳と対立することとなります。

黒田長政に関する9つの逸話!

1:幼少時の人質時代、有名武将たちに可愛がられた

黒田長政は人質として身を寄せた秀吉の下で、秀吉・おね夫妻からわが子のように可愛がられて育ちました。同時期に夫妻とともに暮らしていた福島正則や加藤清正とも、同じ屋根の下で過ごしています。

聡明で可愛らしい少年だった長政は、戦国の有名武将に大変可愛がられたそうです。

2:武力と知力、どちらも優れていた

天才軍師・官兵衛の息子である黒田長政。知力の面では父に劣るのでは、と思われがちですが、そんなことはありませんでした。

関ヶ原の戦いでは小早川秀秋や吉川広家などの西軍の有力武将たちの寝返り交渉をする役目を見事果たしており、調略にも長けていたといえます。

同時に武力にも優れ、朝鮮出兵でも大活躍。関ヶ原の戦いにおいては、東軍の切り込み隊長として猛攻を加え、石田三成の側近・島左近(島清興)を討ち取るなど、大ダメージを与えています。

3:礼儀を重んじた

関ヶ原の戦いの後、捕えられた三成が捕縛され、家康の陣の前で待たされていました。

他の兵は侮蔑の言葉を浴びせていましたが、長政は馬を下り、三成の汚れた服の上に自身が着用していた羽織を着せ、「不幸にしてこうなってしまわれた。これを召されよ」と声をかけたそうです。

父と対立し、失脚へ追い込んだ三成を恨んでいたともされる長政。けれども、敵軍の将として礼節を尽くしたのです。

 

4:関ヶ原の功労品がすごい

武力でも西軍に大ダメージを与え、調略で戦を大きく動かし、東軍を勝利に導いた長政はまさに関ヶ原一の功労者です。

家康は長政に御感状を送り、また子孫代々まで罪を免除する、というお墨付きも与えました。また、筑前に52万3,000石の大封も与えられています。

5:上司のために従順に働く優秀な部下だった

黒田長政は、秀吉に非常に近い家臣・蜂須賀正勝の娘・糸姫を正室としていましたが、家康の養女を娶るために、糸姫を離縁しています。

また、関ヶ原で戦功を挙げた後に、家康から手を取って賞賛され、それを帰郷後父に嬉しそうに話したそうです。ところが父は「取られた手ではない方の手で家康の首を取れる機会に何をしていたのか」と詰問。2人の家康に対する立場の大きな違いが表れています。

さらに、徳川政権の元で禁教令が出されると、自身が元々キリシタンだったにも関わらず、領内のキリシタンを迫害し、厳しく取り締まりました。

上司の意を汲み、徹底的にそれに従う、という真面目な部下だったようです。

6:父には頭があがらなかった

熟慮する気質だった黒田長政。父からは「自分はかつて物事の決断が早すぎるので慎重にしたほうがよいと言われたが、お前はその逆だから注意した方がいい」という意味の言葉をかけられた、と言われています。

先に挙げた関ケ原後の詰問といい、どんなに活躍をしても、人よりも数歩先を見据えている天才軍師には頭が上がらなかったようです。

長政は父の死後、盛大な法要を行っていることからも、父に対して並々ならぬ敬意の念を持っていたことがよくわかります。

7:風通しのいい藩づくりに努めた

福岡藩主となった後、異見会という、家老や下級武士の代表を集めて対等な立場で討論し、決断を下す、という仕組みを作りました。

少しでも長政が怒るような雰囲気が見られると、参加者から「怒っているように見えますが?」と言われ、長政は「そんなことはない」と顔を和らげたそうです。

8:福岡の名付け親

筑前国に入府後、城を築城したその場所は元々福崎という地名でしたが、黒田家ゆかりの地・備前福岡(岡山県)からその名を取って、福岡城と名付けています。

それが、福岡の都市名の始まりです。

9:築城の名手だった

家臣に天才的な石工、石材加工の職人集団を抱えており、江戸城を始め、家康を祀る日光東照宮の石の大鳥居、徳川時代の大坂情、名古屋城などさまざまな築城に携わっています。

おまけ:長政の兜がある怪獣のモデルになった

長政自身の兜で有名なものは2種類あります。1つは水牛の角のような形の兜「大水牛桃形兜」。こちらを愛用していましたが、命の恩人である半兵衛の兜「一の谷の兜」を譲ってもらうために、当時の持ち主であった福島正則に「大水牛桃形兜」を贈ります。

どちらも非常に特徴的でユニークな形の兜です。 その「大水牛桃形兜」の形をモチーフに、ウルトラ怪獣のゴモラの頭の形が作られました。

偉大な父を持つ息子・黒田長政の苦悩と成長

徳川秀忠、真田信之・幸村兄弟、武田勝頼……戦国時代、多くの二世がその父の高名さに悩み、苦しみました。同じく偉大な父をもった黒田長政はその苦悩とどう向き合ったのでしょうか。

著者
近衛 龍春
出版日
2008-06-02

長政の幼少時から関ヶ原の戦いでの活躍まで、彼の半生を描いた作品です。会話がテンポ良く、長政と彼を通して見るその偉大な父・官兵衛の姿が生き生きと伝わってきます。

天才と謳われた父への反発やそれを乗り越えていき、成長していく様子が良く描かれています。

黒田長政の人間味に惹きつけられる一冊です。

黒田家の経営を通してビジネスを学ぶ

黒田家を押し上げた官兵衛、その発展に努めた長政、そして、お家騒動を起こした忠之。

三者三様に家経営についての課題を抱え悩んでいたその姿は、現代のビジネスパーソンたちにも通ずるところがあるでしょう。

著者
池田 平太郎
出版日
2010-12-20

黒田官兵衛・長政・忠之の親子3代を描いている本書ですが、他の戦国歴史小説とは一線を画した独自の視点が光る内容です。

建設業に従事する企業人の著書が、現地に足を運び、丹念に調べた黒田家の歴史を現代に引きつけて伝えています。

関ヶ原の真実がここに

幾度となく語られ、書籍化・映像化されてきた天下分け目の戦い・関ヶ原の合戦。

それは、黒田親子の活躍なくしては語れないものでした。

著者
渡邊 大門
出版日
2013-08-24

 

関ヶ原における黒田親子の活躍を追った歴史書です。親子について多く語られる逸話ではなく、実際の書状などを紹介しながら、「実際はどうだったのか」に迫っていきます。

それによって、想像以上に彼らの働きが関ヶ原、またその後の日本の歴史に大きな影響をおよぼしたのかが良く伝わってくるでしょう。

 

道を切り開け!黒田長政の活躍譚

戦国時代を駆け抜け、関ヶ原の決着をつけた立役者である黒田長政。

その成功に至るまでに彼が乗り越えたもの、そして切り開いてきた道とはどのようなものだったのでしょうか。

著者
石川 能弘
出版日

黒田長政を主役に据えた長編歴史小説です。

彼が自身の道を切り開いていく様が臨場感たっぷりに描かれています。

戦国二世ならではの悲哀を乗り越えて、進んでいくさまは読んでいて気持ちよく感じられるでしょう。

天才軍師と呼ばれる父をもちながら、その陰に隠れることなく自身の力を発揮して活躍し、戦国最高の二代目とも称される長政。彼はどうやってプレッシャーを乗り越え、自身の地位を確立していったのでしょうか。

時に悩み、そしてそれを乗り越えてきた彼の人生は、現代の私たちにとっても大いに参考になるものでしょう。

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