司馬遷にまつわる逸話7選!名作『史記』を書き上げた中国の歴史家

更新:2021.11.10

『史記』といえば、中国の神話から前漢の途中までの歴史を書いた中国史上初の歴史書です。そんな長きにわたって愛されている歴史書を書いたのが司馬遷です。彼は一体どのような人物だったのか、なぜ『史記』を執筆するに至ったのかが分かる本を紹介いたします。

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中国史上初の歴史書『史記』の作者、司馬遷とは

『史記』といえば、中国の神話から前漢の途中までの王朝とそれぞれの王朝にいた人物について書いた中国史上初の歴史書です。本作は2千年ほど前に完成したにもかかわらず、性格や発言内容についてとても細かい描写がされており、歴史ファンの間では現在でも読まれています。

そんな長きにわたって愛されている歴史書を書いたのが司馬遷です。彼は周から歴史の編纂や暦の制定などに関わる官職を任された一族の出身でした。そこで彼は歴史学と天文のすべてを叩き込まれます。そして20代の若さで時の皇帝である武帝の側近に抜擢され、皇帝とともに行動するようになりました。  

また、彼を語るうえで外せない出来事に『史記』の執筆の原動力となった「李陵の禍」と呼ばれる事件があります。

彼の親友だった李陵という将軍が、中央ユーラシアの遊牧民族からなる国家、匈奴(きょうど)を討伐しようとして逆に返り討ちにあい、命からがら帰ってきました。そんな李陵を武帝は反逆罪にして処刑しようとしていたのです。

そのとき、司馬遷は李陵のことを「最後の最後まで戦い抜いたが、止むを得ず降伏した」と評価しました。これに武帝が激怒し、危うく一緒に処刑されてしまうところでしたが、処分保留となって死刑の次に重い宮刑(強制的な去勢)を宣告されます。一族の名誉と父の遺言のため宮刑を受け入れ、その後恩赦によって釈放されても執筆を止めず、ついに『史記』を完成させるに至ります。

古代中国最高の歴史家、司馬遷について知っておきたい7つの事実

1:ご先祖さまは代々歴史家の家系だった   

司馬遷の先祖は周(紀元前1200年頃〜紀元前600年頃)の頃、歴史の編纂だけでなく、暦を作る官職に代々就いていました。彼が歴史家になるのも当然だったといえるでしょう。1000年近くその家系が続いていたということについても驚きですが……全員が全員歴史と天文に詳しかったというのですから、さらに驚きです。

2:幼少の頃英才教育を受けていた  

司馬氏は歴史家の一族であったため、歴史学のすべてを教わるなどの英才教育を受けていました。司馬遷は幼い頃から孔安国という高名な儒学者のもとで学び、『春秋』、『詩経』などを暗唱していたとされています。

3:歴史家でもあり、旅人でもあった  

『史記』によれば司馬遷は若いころ、中国大陸の中部と東南地方をめぐる放浪を3年間していました。ときの皇帝・武帝に仕えていたときも皇帝に付き従って中国大陸各地を渡り歩いていたのです。この旅は武帝の様子を『史記』に詳しく記録するためだけでなく、執筆するまでのいわばネタ集めの場でもありました。

4:中国の新しい暦を提案していた

優れた歴史家であると同時に、優れた天文学者でもありました。『史記』にまとめられた暦書・暦術甲子篇という書物のなかに、新しい暦のアイデアである「四分暦」を記していました。結局は採用されなかったようですが、いずれにしても司馬遷はいまで言うところのインテリで、暦と歴史を司る家系の末裔だったという話も、『史記』を見る限りでは確かなようです。

5:『史記』の執筆は父の遺言であり、父の悲願だった  

父・司馬談も彼と同様歴史家でしたが、司馬遷が独り立ちするころに病床にふせっていました。そのとき封禅の儀式(皇帝が天と地を祀るために行われた)に司馬遷が呼ばれ、父である司馬談が呼ばれなかったことに憤慨し、そのまま憤死してしまいます。宮刑という屈辱でしかない罰を甘んじて受けたのも、父や一族の悲願を達成させるためだったのかもしれません。

6:才能発掘人でもあった

歴史家は司馬遷の死後、彼のことを「奇を好む」と評価していました。この場合の「奇を好む」というのは「才能のある人物を好む」ということです。司馬遷は中立的な目線で歴史を見ることを心がけたため、たとえ国と敵対していた人物であっても才能のある者は『史記』に載せました。前漢の初代皇帝・劉邦の敵だった項羽や、儒学と相反する思想の法家の代表格、韓非がその例です。

7:司馬遷、司馬談は孔子のファンだった

先ほど『春秋』『詩経』を暗唱していたとふれましたが、これらは孔子の作品といわれています(諸説あり)。若き頃の司馬遷の先生だった孔安国も儒学者です。父の司馬談の発言のなかには、「第二の孔子となれ」といった類の発言もありました。

儒学の勉強を幼い頃から積み、『史記』で所見を述べるときも孔子の発言録で有名な『論語』の形式を真似したというところから、司馬談・遷の親子は儒学と孔子のファンだったようです。

司馬遷が記した壮大な歴史

『史記』は中国の神話(伝説上の神、黄帝)から前漢の武帝の治世までを、皇帝となって国を興した人物のドラマをとおして記した歴史書です。各地の村に出向いてその地の歴史を情報収集し、編集してまとめ上げた大作でもあります。

それだけではなく「鳴かず飛ばず」「四面楚歌」といった現代でも使われている故事成語もエピソードも交えて収録されています。

著者
司馬 遷
出版日
1995-04-01

ここで紹介しているのは『史記』の本紀だけですが、他にも当時の王や皇帝に仕えた人物など特徴的な人物を記した「列伝」や、当時の貨幣や天文のことについて書かれている「書」があります。当時の中国を知らせてくれる史料としても名高いものです。
 

北方謙三が描く司馬遷の生きた時代

歴史小説の名作家である北方謙三が『史記』をもとにして描いた、前漢の武帝のころに生きた将軍の物語です。

司馬遷の生きた時代は匈奴(中国の西部にいた騎馬民族)のたび重なる侵攻を受け、なんとしても匈奴に一矢報いたいとしていた時代でした。
 

著者
北方 謙三
出版日
2008-09-08

司馬遷が仕えたときの皇帝・武帝について書かれているだけでなく、武帝が治めていた頃の世界と、彼のもとで後に大将軍となる衛青の生涯を中心に描かれています。

司馬遷は登場しませんが、彼の生きた世界のなかでの匈奴との戦いを、衛青を通して体験することができるでしょう。

『史記』をわかりやすく漫画化した一冊

司馬遷や『史記』に興味はあるけれど、長い文章や活字が苦手……という方におすすめの「まんがで読破」シリーズです。

著者
司馬遷
出版日
2013-11-30

『史記』の内容にある人間模様や活躍がわかりやすく漫画で描かれています。

司馬遷だけではなく、『史記』の内容全体を漫画にしているので、彼に興味を持った人が読む入門書のような内容です。

司馬遷の心の中に切り込む一冊

この本は「司馬遷は生き恥さらした男である。」という衝撃的な書き出しから始まります。

著者
武田 泰淳
出版日
1997-10-09

司馬遷は確かに宮刑で強制的に去勢させられてから笑われ者として生きてきました。しかし、それでも『史記』を完成させるという強い意志がありました。

その意志の源だけではなく、司馬遷が『史記』を書くときに何を考えながら書いていたのかをこの本から知ることができます。

いかがでしたでしょうか?彼の生き方は、現代人から見ても憧れるところがあるように思います。

今回は、中国の神話や歴史について学ぶだけでなく、彼の生きざまも垣間見れる本を紹介いたしました。ぜひご一読ください。

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