マルコポーロのあなたが知らない7つの事実!『東方見聞録』の作者

更新:2021.11.10

『東方見聞録」を作り、コロンブスをはじめとする後の冒険家にも影響を与えたマルコ・ポーロ。謎に包まれている彼の生涯を、おすすめの本とともにご紹介します。

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16年間中国にいた商人、マルコ・ポーロ

マルコ・ポーロは13世紀半ば、ヨーロッパで誕生しました。生まれた年や場所は正確にわかっていませんが、多くの伝記では1254年ヴェネツィア共和国生まれとされています。商家の生まれで、父ニコロは叔父のマテオとともに中東貿易に従事する商人として活躍していて、マルコが生まれる前に兄弟で貿易の旅へ出ました。

1269年に父らがヴェネツィアへ戻り、初めてマルコと対面。そして1271年、ニコロ、マテオの兄弟は再度アジアへの旅に出発します。今度は当時17歳前後のマルコも一緒です。

1274年に一行は中国、元朝の皇帝フビライ・ハーンのもとにたどり着きます。マルコはフビライの使節などとして働き、各地で見聞きしたものごとをフビライに報告する日々を送りました。そして約16年後、一行は帰路につきます。ヴェネツィアに戻ったのは1295年、マルコは40歳近くになっていました。

当時、ヴェネツィアはジェノヴァと抗争をくり返していて、マルコは志願して従軍しましたが、ジェノヴァ側にとらえられてしまいます。しかしこのことが、後世まで伝わる文献ができるきっかけとなったのです。

捕虜となった彼は牢獄でピサ出身の物語作者、ルスティケロと出会いました。そしてマルコが東方での歳月をルスティケロに話し、それを記録したものが『東方見聞録』となったのです。

その後帰国したマルコは商取引に従事し、豊かな生活を送ったといわれています。1324年に、約70年の生涯の幕を閉じました。

マルコ・ポーロとフビライ・ハーンにまつわる逸話2つ

1:フビライ・ハーンに気に入られた

マルコはフビライの使者として各地へ派遣され、戻るとその報告をおこないました。その際、使命を果たすだけでなく、各地で手に入れた目新しい話題を語って珍しい品物も献上したので、フビライはそれをとても喜び、マルコを寵愛したといわれています。

2:マルコ・ポーロもフビライ・ハーンをたたえている

マルコは『東方見聞録』の丸々1章を使って、フビライ・ハーンとその治世、家族、都市などについて語っています。そのなかでフビライを「古今を通じて最強の大王」と評しており、彼の強さや容姿、宴会の様子、凶作や貧民への施しまでこと細かに語る記述には、彼の王に対する尊敬を感じることができます。

さらに、真偽はともかくフビライが親キリスト教であると語っていて、西洋の人々に受け入れられやすいようにしていました。

マルコ・ポーロにまつわる逸話5つ

1:日本には来ていない 
 

マルコ・ポーロは東方見聞録内で、「黄金の国ジパング」として日本を紹介しています。黄金や真珠が豊富で、偶像崇拝し、人肉を食べるといい、さらにフビライ軍が日本を責めた元寇でのエピソードも語られるのですが、「わたくし自身もまだ親しくそこに赴いたことがない」(『完訳 東方見聞録』より引用)と書かれているとおり、実際に日本へ来たことはありませんでした。

2:マルコ・ポーロは東方のものを持ち帰った 

マルコの遺品のなかに、当時のモンゴル貴婦人が着用していた頭飾りがありました。

仮説として、現在のイランあたりにある、イル・ハン国の王子のもとへコカチン姫を送り届けた際の贈り物とも、彼と縁があったモンゴル女性の忘れ形見ともいわれています。

また遺品には銀帯もあり、フビライよりマルコに支給されたものを持ち帰ったのだという説があります。

3:うそつきだといわれた  

マルコ・ポーロの話は、当時の西洋人にとってあまりに荒唐無稽だったため信じてもらえず、「うそつきマルコ」と呼ばれることさえありました。「それは嘘だよ」という意味で「それはマルコ・ポーロだよ」という言葉が世間で流行ったともいわれています。  

4:妻に多くのお金を残した 

ヴェネツィアへ帰国後のマルコがどのくらい財産を持っていたのかは定かではありませんが、遺言状には、妻ドナータが終世、年金として8リブラ受け取れるようにと書かれていました。当時の著名人の妻に残される年金額は4~6リブラが平均だったので、彼の妻は恵まれていたことになります。

また同じく遺言状には、義理の妹や修道士への貸付金を帳消しにしたり、タタール人の奴隷を解放して大金を与える内容が書かれており、このことからも金銭的に余裕があったことがうかがえます。

5:羅針盤の技術を伝えた

マルコ・ポーロは中国の発明、方位磁石の技術を持ち帰りました。これが、航海に適したように改良され、羅針盤となったといわれています。

マルコ・ポーロによる東方見聞記

マルコ・ポーロが経験した旅や、元朝に仕えていた時に見聞きした各地の様子がおさめられています。大航海時代に影響を与えるなど、歴史を動かした大著です。

著者
マルコ ポーロ
出版日
2000-02-01

序章ではマルコの父と叔父であるニコロとマテオの旅、マルコを伴った陸路の旅と中国滞在、海路による帰国の旅の概略を語っています。

本編では、精細に各地の様子やエピソードが語りかける口調で書かれているので、読み進めやすいです。とても細かい記述で、当時の様子が浮かびあがります。誇張や創作も含まれているといわれますが、一大冒険譚として楽しめるでしょう。

黄金の国ジパングの記述があるのは第6章です。

マルコその人に光を当てる

『東方見聞録』には、マルコが見聞きしたものについては詳しく描かれていますが、彼自身の暮らしなどはほとんど語られていません。

あらためて文献を読み解き、マルコの姿に迫ります。

著者
海老澤 哲雄
出版日
2015-12-01

『東方見聞録』と史実などを照らし合わせ、創作だと思われる部分やその元ネタ、誇張はあるかもしれないが事実と思われる部分などを、丁寧に探っています。

90ページほどで読みやすいので、『東方見聞録』本編と合わせて読むのがおすすめです。

もしマルコ・ポーロが隠密だったら

マルコはフビライの命で重要な任務についたといわれていますが、その内容が何だったのか、『東方見聞録』では触れられていません。そこで、マルコはフビライの隠密だったのではないか、という大胆な推理のもと、彼の冒険を描きます。

著者
陳 舜臣
出版日
1983-04-25

荒唐無稽な仮説ともいえますが、中国側の歴史書にマルコ・ポーロに関する記述がない事実からしても、あり得ないとは言い切れないと思わせる筆致で、隠密マルコの活躍が描かれています。

フビライとの主従関係、さまざまな人との交わり、元寇に際して与えられた役割、そして恋愛……あくまでフィクションですが、『東方見聞録』や学術書では見えてこない、人間としてのマルコを感じられる一冊です。

マルコ・ポーロ本人については謎が多く、ときには実在すら疑われるほどです。しかし、だからこそ想像の翼を広げ、一緒に冒険の旅を楽しんではいかがでしょうか。

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