かつてマホメットと呼ばれていたイスラム教の開祖、預言者ムハンマドは、日本ではあまり馴染みがありません。イスラム原理主義者やISなどによる世界各地でのテロ事件が起きている今日、改めてイスラム教について考えるためにも、今回は預言者の生涯を追っていきます。
ムハンマドは570年ごろ、アラビア半島の商業都市メッカのクライシュ族のなかでも、有力な大商人一族とされるハーシム家に生まれました。しかし、彼が幼いころに家は没落し、両親も早くに亡くなります。それ以来彼は、祖父と、叔父のアブー・ターリブのもとで育ちました。
商人として働いていた彼は、25歳の頃、取引先のひとりだった15歳年上の裕福な女性、ハディージャと結婚します。彼女は亡き夫の遺産もとに事業を展開し、大成功を収めていた女性でした。つまり、彼は「逆玉」に乗ったのです。
ムハンマドは生涯に12人の妻をめとりますが、なかでも彼に大きな影響を与えたのがハディージャです。2人の間には2男4女の子どもが生れ、2人の男の子は幼くして亡くなりましたが、彼らの結婚生活は幸福なものであったといわれています。
ハディージャと結婚して生活に余裕ができた彼は、メッカにあるヒラー山の洞窟で瞑想に耽ることが多くなりました。
そして610年8月10日、彼が40歳前後の頃です。ヒラー山の洞窟で瞑想に没頭していると、大天使ガブリエルが彼の前に現れ、「唯一神アッラーの使者として、民にその啓示(コーランにまとめられてあるもの)を説く役目がある」と伝えられたのです。
その後も、ムハンマドは次々と啓示を受けます。預言者として目覚めた彼は、まず、近親者にその内容を説きました。これがイスラムの教えだったのです。最初のイスラム教の入信者、は妻のハディージャでした。
613年、彼はメッカで人々に啓示を説き始めますが、元々アラビア人伝統の多神教の聖地であったメッカを支配する有力市民は、彼とムスリム(イスラム教徒)に苛烈な迫害を加えました。そんな彼らを保護したのが叔父のターリブです。
しかし619年頃にターリブが亡くなり、そしてハディージャをも亡くしたムハンマドは後ろ盾を失い、メッカでのイスラム教の布教活動に限界を感じました。
そして622年、布教の場をメッカからヤスリブへと移住させます。この移住は「聖遷」と呼ばれています。この時、ムハンマドが勢力を得ていくことを恐れたメッカの有力者達によって、彼の暗殺が企てられましたが、彼はそれを先に察し、新月の夜にメッカ脱出に成功しました。
ヤスリブはムハンマドにより「マディーナ・アン=ナビー(預言者の町、略してマディーナ)」と改名されます。聖遷が困難を極めたことにより、ムスリムたちの団結は一層強くなりました。そして、イスラム共同体(ウンマ)が結成されたのです。
この後、メッカの軍隊との熾烈な戦いが続くのですが、結果的にはマディーナ軍が勝利を収め、ついにはメッカ側と停戦の和議が結ばれました。
その後再びメッカの軍と小競り合いが生じ、停戦が破られるのですが、ムスリムは勢力を急拡大しており、その大軍を目の当たりにしたメッカの人々は戦わずして降伏。ムハンマドは敵対してきた人々のほぼ全員を許したのですが、多神教の神殿である「カアバ神殿」に祀られてあった数百体の神像や聖像は、自らの手で破壊しました。
これによって、アラビア半島は統一されます。メッカをイスラムの聖地と定め、アラビア半島から異教徒をすべて追放しました。一方で、彼はマディーナに住み続けます。
632年、ムハンマドはメッカへ大巡礼(ハッジ)を敢行しました。この際五行(信仰告白、礼拝、断食、喜捨、巡礼)というものを定めています。しかし彼は、大巡礼の後すぐに体調を悪化させ、マディーナの自宅で亡くなりました。
1:月を真っ二つに割った
ムハンマドがメッカで布教しているときに、メッカの民は彼が主張していることが真実なのかどうか確かめるため「奇蹟を起こせ」と要求します。これに対して彼は月を真っ二つに割り、それを再び元に戻したのです。これ以降、彼の布教は急速に支持を集めることになりました。
2:彼が離れた木の幹が涙を流した
マディーナで教えを説いていた時の彼は、いつも決まった木の幹にもたれかかっていました。しかし、信者が急速に増えたことで説教壇が設置されると、木の幹にもたれかかって教えを説くことをやめたのです。
すると、教友のひとりが「木の幹がむせび泣いていた」と証言します。この出来事はその後も次々と目撃者が現われました。
3:指から水を溢れさせた
聖遷してから6年目、ムハンマドはメッカへの巡礼をおこないましたが、砂漠での長い旅路で人々は水を切らしてしまいました。教友たちの喉が渇ききってしまった時、彼が器に指をかざすと、指から水が溢れ出てきたのだそうです。
その奇蹟を目撃した教友が、その場にいた1500人がそれを飲み、清めをしたという証言を残しています。
4:食べ物を祝福し、教徒たちの飢えをしのがせた
食べ物にまつわる奇蹟の話も伝えられています。食料の貯蔵が尽き、ムスリムたちに苦難が訪れた時、彼は食べ物に祝福(求め、祈ること)を与え、その場にいた全員が満足するほどの食料を生じさせ、分け与えました。
5:病気を手でさるだけで治すことができた
アブドッラー・ブン・アティークが足を骨折したとき、ムハンマドは負傷した部位を手でさすっただけで治癒させました。アブドッラーはその後、何事もなかったように歩いたといいます。
また、628年におこなわれたハイバル遠征の際は、軍隊の前で目を患っていたアリー・イブン・アビー・ターリブを治癒しました。
それまで普通の商人だったムハンマドでしたが、40歳の時、突然唯一神アッラーの啓示を受けます。その後ムハンマドは、彼が帰属していたクライシュ族から迫害を受け、初代カリフとなったアブーバクルとともにメッカを離れ、マディーナへと聖遷をおこないました。
そして、伝統的な多神教を信仰していたメッカの人々との壮絶な戦いが始まるのです……。
- 著者
- 鈴木 紘司
- 出版日
- 2007-08-11
ムハンマドは軍の指揮や計略に優れていましたが、平和を愛した男でした。「女性蔑視」「好戦的」と語られがちなイスラム教に対し、いかに誤解しているのかがこの本を読むことでわかります。
2017年現在、世界で16億人もの信者がいるイスラム教の教祖の実像に迫る、日本人ムスリムが語った雄渾の一冊です。
世界の16億人が信仰するイスラム教。その教えは生活の隅々にまでおよびます。そしてその源流をたどると、預言者ムハンマドにいきつくことになるのです。
しかし日本人にとってその存在が縁遠いのも、また事実です。
- 著者
- 小杉 泰
- 出版日
- 2002-05-01
本書は、今なお世界中に影響を与え続けるムハンマドの教え、つまりイスラム教が持つ秘密に迫ります。
ムハンマドの生い立ちから境遇、啓示を受けた後の行動や信念を知ることで、これまで持っていたイスラム教へのイメージをあらためることができるでしょう。
本書は、「イスラムとは何か」「マホメット(ムハンマド)とはどんな人なのか」というイスラム教の根源的な問題を、マホメット誕生以前の文化的状況から解きほぐしたものです。
マホメットの誕生やイスラムの起源など、世界史上における重要な出来事について、詩情豊かな文章で書き綴った名著です。
- 著者
- 井筒 俊彦
- 出版日
- 1989-05-08
砂漠に渦巻く烈風、夜空に輝く星たち。厳格ながらも非常に美しい自然のなかで生きるアラビアの人々の人生観と世界観に思いを馳せながら、砂漠に誕生した「イスラム教」という宗教に迫った渾身の作品となっています。
宗教学者カレン・アームストロングが、残っているムハンマドの記録をもとに、彼の実像を描き出した一冊です。
アメリカの同時多発テロやISの一連のテロ事件などを経て、日本でもイスラムに対する関心は高まりました。しかし、イスラム社会の状況や思想に関して視野が広がったとはいえ、預言者ムハンマドへの知識は圧倒的に不足しています。
- 著者
- カレン・アームストロング
- 出版日
- 2016-01-27
この本では世界的な宗教学者カレン・アームストロングが、「ムハンマドの誕生によって何が起こったのか」という問いについて解説します。社会的な背景に関する深い知識に基づき、ムハンマドの生涯と業績を漏れなく紹介しています。
彼が生きていた時代から1400年近く経つにもかかわらず、その教えが熱心に信仰され続けるのはなぜか。その秘密と、彼の生涯について丹念に描いた本書は、イスラム教の入門書としておすすめです。
世界中に存在する「ムハンマド伝」のすべてがこの本を典拠にしているといわれ、また、イスラムを理解するには必読の書とみなされている本です。
難解な原典を誰もが読める平易な文に訳し、権威ある文献資料の脚注にわかりやすい図表を加え、誰もが預言者ムハンマドに対する知識を深められるようにまとめられた名著といえます。
- 著者
- イブン・イスハーク
- 出版日
原典をベースにしているため、イスラム教への理解を深めるにはもってこいの一冊です。ムハンマドの生涯がさまざまな角度から観察されている部分も見逃せません。
人間としてのムハンマドが、いきいきと描かれています。
イスラム教は、キリスト教に次いで世界中に信者がいる宗教です。イスラム教を騙った武装集団によるテロが世界各地で起きている現在、その理解はとても重要なことでしょう。