5分でわかる西南戦争!中心人物、原因などをわかりやすく解説!

更新:2021.3.9

明治維新が終わり日本が近代化を進めていたなかで起きた西南戦争。西郷隆盛が戦死した戦いとして有名ですが、果たして西郷は自分が建てた明治政府にどうして戦いを挑んだのでしょうか?今回はその真実について見てみましょう。

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西南戦争とは

西南戦争とは、明治維新が起こって以来、明治政府が初めて本格的に軍事行動を起こした戦いであり、日本史上最大にして最後の武士の内乱です。

明治時代になって士族は江戸時代以来の特権を次々と奪われていきました。これによって士族の不満が募り、九州を中心に士族の反乱が起きていたのです。反乱は局地的には政府によって鎮められていましたが、未だ明治政府をよく思っていない薩摩藩との間にはいつ巨大な戦争が起きてもおかしくない状態でした。

当時、薩摩には西郷隆盛が職を辞して帰省していました。士族たちは力量は冠絶していても統制に欠ける反乱部隊を統率するために士族を統率できる人物を探していました。それが、ほかならない明治維新の功労者にして薩摩武士の憧れ、西郷だったのです。

西郷は当初政府と事を構えることに反対でしたが、西郷暗殺の計画があったことが知られるとやむなく西郷も挙兵に同意、ついに政府が恐れていた薩摩藩の挙兵が現実になったのです。

明治政府は西郷の挙兵に対し、陸軍の山県有朋と海軍の川村純義に討伐を命じ、有栖川宮熾仁親王を総司令官に任じました。両軍は政府軍がこもる熊本城とその付近の田原坂を中心に激しい戦いをくり広げますが、装備の質に劣る薩摩軍は敗北し熊本城攻略を諦めます。

その後、薩摩の城山にこもった西郷らは民衆を味方につけて一時形勢を逆転させますが、やがて数に勝る政府軍が態勢を立て直すと西郷らは危機に陥り、洞窟にこもります。そして逃亡中に銃弾を浴びた西郷が諦め、ついに切腹。これをもって西南戦争は終わりました。

この戦争の終結をもって日本では武士という職業としての軍人身分が消滅し、徴兵制による国民皆兵が始まるのです。

西南戦争の中心人物は?

西南戦争は詳細に語ると非常に複雑な話になるので、ここでは西郷軍と政府軍において、押さえておきたい重要な人物を説明していきます。

西郷軍

西郷隆盛(さいごう たかもり)

言わずと知れた明治維新の後継者で、西南戦争の旧薩摩藩士軍の総大将です。本当は反乱を起こしたくなかったのですが、士族の怒りがもはや沈静不可能になっていることを知り、自ら反乱軍にその身を捧げます。

戦の際には指揮に一切口を出さなかったといわれています。反乱軍の敗北が確実になると西郷自身も銃弾を受けて死を確信、別府晋介の介錯を受けて自害しました。

篠原国幹(しのはら くにもと)

薩摩藩士で廃藩置県にも貢献したことがあり、陸軍少将にまで昇進しましたが西郷が明治6年の政変で官職を辞めて、帰省するとそれに従います。

その後は鹿児島にて私学校の監督を務めますが、士族による弾薬庫襲撃事件と政府による西郷暗殺の計画が発覚し、政府に対し反乱を仕掛けることにいち早く賛成しました。主戦である田原坂の戦いでも善戦しますが、弾薬がなくなって撤退するという雑な一面も。

最期は陣頭に立って指揮をとっているところを政府軍に銃撃され戦死、その死は反乱軍の戦意を高めることとなりました。

桐野利秋(きりの としあき)

別名・中村半次郎。幕末の頃から西郷に重用されていた薩摩藩士で幕末の戊辰戦争にも貢献していますが、篠原同様西郷が薩摩藩に戻るとこれに従って辞職し、私学校で監督となりました。武士としての経験から徴兵制に反対していたといわれています。

西南戦争の際には軍の財政の立て直しを企図するなどして貢献します。西郷の自決を見届けた後に残軍を率いて突撃し、最期を迎えました。

別府晋介(べっぷ しんすけ)

同じく薩摩藩士で戊辰戦争に貢献しました。征韓論が起こった際には満州・挑戦の偵察をおこなうために現地に入って偵察を行っています。

その後は西郷に従って下野し私学校の監督となりましたが、西南戦争が起こると挙兵します。戦にて足を撃たれたために途中からは駕籠にのって参戦していました。最期は西郷の介錯をおこない、そのまま政府軍の銃弾のなかに飛び込みます。

政府軍

大久保利通(おおくぼ としみち)

薩摩藩出身の官僚で内務卿(内務省の長官)。西郷とは幕末以来の盟友でしたが、明治6年の政変で西郷らとは朝鮮との外交をいかにするかで意見が対立し、結果外交を行わないとして西郷らの意見を無視し、彼らを官職から退けさせます。

西南戦争では直接戦地には赴いておらず、京都にて指揮をとる一方で、上野公園にて第1回内国勧業博覧会を開催していました。この戦争で士族を鎮圧することで旧来の武士の社会を完全に打破し、大久保は官僚政治の実現に大きな一歩を進めることができたのです。

山県有朋(やまがた ありとも)

元長州藩士で松下村塾出身、明治政府の陸軍卿で徴兵制を制定しています。西南戦争当時は陸軍参謀として直接指揮に関わっており、大久保ら薩摩派閥に対して長州派閥の代表として行動しました。

彼は城山の戦いにて西郷に降伏勧告をしましたが聞き入れられませんでした。その後は内閣総理大臣を経て、大正時代まで元老として重きをなします。

川村純義(かわむら すみよし)

西郷と同じ薩摩藩出身で西郷との遠戚関係から重用されました。明治維新では海軍の重鎮となり、西郷が官職を辞め、帰省した後も明治政府に残っています。西南戦争では陸軍・長州閥の山県に対して海軍・薩摩閥として参戦し、海からの砲撃にて陸軍を援護します。

軍人としては出世しますが政治の世界には首をつっこまず、生涯軍人として生き続けました。のちに明治天皇から孫である後の昭和天皇の養育を命じられていたことから、信頼は厚かったようです。

西南戦争はなぜ起こったのか?

維新を達成した明治政府ですが、下級藩士であるはずの政府閣僚たちは主君である藩主、つまり殿様を半ば出し抜いて政権を奪取したことからまだまだ多くの問題を抱えていました。では西南戦争の直接の原因は何だったのでしょうか?

1:士族の待遇が極端に悪くなった

明治政府の目標はドイツのような強力な中央集権を築くことです。その一環として国民皆兵の徴兵制を採用し、身分を問わず一から鍛えて有事の際には誰もが出兵できるようにしていました。

しかしこれで困ったのが日本の長い歴史のなかで戦うことを仕事としていた士族です。明治政府は士族に対し、廃刀令や俸禄の支給などを実施し、伝統的な武士の特権を奪って力を削いでいきます。

士族の大半は大名などとは違い、足軽などの下級武士だったため、刀を奪われてはそのまま食いっぱぐれてしまいます。士族への抑圧は幕末の頃からずっと続けられてきましたが、その最後の火種が九州にてくすぶっていたのです。

2:私学校と明治政府とのすれ違い

薩摩武士は戦国時代から強力だと恐れられてきた存在で、それは大久保など薩摩出身の彼らが一番よくわかっていました。

西郷隆盛は鹿児島に戻った後、自ら投資して旧薩摩藩士を対象とした学校を設立します。

この学校は西郷が明治政府から賞典を受けたことによる資金が元手となっていることから、賞典学校とも呼ばれますが、国立ではない個人の財産が元手であることから私学校と呼ばれていました。

集められた士族らは陸軍士官養成のためとして、漢文の素読と銃や大砲の演習をおこないました。こうして教育に集中させることで、西郷らは士族の不満をどうにかいい方向に逸らそうと考えていたのです。

元々旧薩摩藩士のなかには戊辰戦争に従軍した者もいたようですが、何より旧藩主・島津斉彬が廃藩置県反対であったことなどが影響していたのでしょう。士族にとっては明治政府は憎い存在でしかありませんでした。

しかし、明治政府が西郷暗殺を企てたという噂が流れると、士族らはすぐさま暴発し政府軍の弾薬庫を襲撃します。暗殺計画のきっかけとなったのは、大久保ら政府が私学校を仕官養成という目的ではなく、政府に反乱を企てるための機関でないかと疑ったためでした。

こうして思わぬ形で士族と政府の間に大きな亀裂が生じてしまいました。事件当時、西郷は当時鹿児島に不在でしたが、この知らせを聞いて「これはしまった」と言って急いで薩摩に帰ります。

この際に西郷帰還の知らせを聞いた士族らが次々に合流していき、やがて大軍勢へと変貌していくのです。

3:鹿児島県が政府の法律に従おうとしなかった

明治維新が本当の意味で完成するのは、明治時代も半ばを過ぎた後の話。それまでは江戸時代から続く封建的な社会が未だに残っていました。特に薩摩藩は戦国時代、いやもっと遡って遥か昔から中央政権に対してある程度の独立を保ってきた土地なのです。

明治維新の後も、鹿児島県には中央政府の命令に従わずに地租を納めず、年貢米を民から取り立てるという旧来の殿様政治の様相がまだ残っていました。そのため、明治政府としてもどうにか手を打ちたかったのです。

政治学者が解説する、西南戦争研究の入門書

士族の不満が爆発した日本の内戦として有名な西南戦争を、政治学者である著者の独自の研究がまとめられています。わかりやすく、かつ専門書としても非常に有用な1冊となっています。

西南戦争―西郷隆盛と日本最後の内戦

2007年12月01日
小川原正道
中央公論新社

現代まで続く西郷隆盛の人気は、明治維新以降も士族を見捨てずに、義に殉じた彼の悲劇が元として形成されてきたものでしょう。著者は西南戦争の原因から過程、結末、そして士族のエネルギーが自由民権運動につながっていると結論づけています。

士族の不満だけでなく欧米諸国との関わりについても触れていますので、網羅的に知りたいという方におすすめの入門書です。

西郷隆盛の「作られた」ヒーローの実像と政治への真相について迫る

西郷と大久保はどうして対立する必要があったのでしょうか?また、日本にとって西郷の死が生み出したのものは何だったのでしょう。

独自の解釈にて西南戦争や西郷隆盛の目的と真実について解き明かそうとする専門的な本です。

著者
猪飼隆明
出版日
1992-06-19

西郷が西南戦争を起こした原因、そして彼自身の発言とされるものはほぼ憶測にて解釈されているに過ぎず、正確なことは今も分かっていないことが多いです。

著者は西郷が大久保の有司専制(特定の藩のごく限られた人数で政治が行われていること)に対して、天皇親政を目指したのだという考えを主張しています。

西郷の人気の理由や士族を倒して築こうとした明治政府の目的を知るうえでは一定以上の説明がなされていますので、西南戦争に興味があったら手に取ってみるといいでしょう。

歴史小説の巨匠が描く、士族の最期

西南戦争によって引き起こされた士族の悲喜こもごもを描いた短編集です。西郷ではなく下級武士たちのそれぞれの人生について描いており、武士の最期を飾った彼らの存在について知ることができます。

著者
海音寺潮五郎
出版日
2011-10-07

西南戦争はトップの西郷にとっても人生の最期となる大事件でしたが、それに従った士族にとってもやり場のない怒りをぶつける最後のチャンスでした。しかし彼らの人生は戦争が終わった後も続いていくのです。

武士というアイデンティティを失った彼らはどのようにして生きていったのか。歴史の真実をより鮮明に語ってくれる、敗者の歴史について焦点を当てた一冊です。

老若男女を問わず手に取りやすい、漫画で分かる西南戦争

漫画で描かれており、手に取りやすい1冊です。このシリーズでは通史だけではなく、1人の人物や事件について扱っているため、興味がある人物・事件を気軽に学習することができます。

著者
すぎたとおる
出版日
2009-03-01

漫画で描かれているものの、しっかりと当時の社会について学ぶことができます。漫画という性質から物語性が強いので、歴史が苦手な人にもすんなり読めるでしょう。

幕末から遡って西郷の生涯について語られているため、西南戦争の背景や原因について容易に復習することができます。読者の感情に訴えかけるような構成も魅力です。

近代化と旧来の権威との争いは幕末で終わったわけではありません。戦争を通して明治政府が築いた近代化と現代日本の祖となった民主主義の魂は、この西南戦争をきっかけにさらに強まっていくのです。

明治政府が考えた身分にとらわれない四民平等の精心を証明した西南戦争を知るために、上記の4冊は一読の価値ありです。

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