平城京への遷都は、莫大な費用と労働力をかけて西暦710年におこなわれました。天皇による国の統治が始まったばかりの時代なので、唐の長安を手本に都づくりをしていきます。今回は女帝である元明天皇が治めた天平文化の時代を解説します。
「なんと見事な平城京」の語呂合わせが有名な平城京。710年に遷都され、奈良時代の日本の首都となったところであり、「奈良の都」と呼ばれました。
遷都というのは、天皇の住む都の場所を他の土地に移すことですが、藤原京、平城京、長岡京、平安京と約100年の間に4回も首都が変わっています。平城京への遷都は707年から審議され翌年には決まりましたが、710年の遷都ではあまり設備が整ってなく、造営が続いていたといわれています。
当然、多くの労働力が必要になり、賃金の安い過酷労働で労働者の不満が溜まったり、遷都による民衆の不安から反乱が起こったりする危険もあって、国家としては緊張感が絶えない時期でした。
平城京の建物や街並みは、中国が唐だった時代の長安を模倣しているといわれ、南北に長い長方形の形状をしていました。天皇の住む宮である平城宮の位置は、藤原京では全体の真ん中にありましたが、平城京では北端に位置しています。
平城京の南端には羅城門が位置し、これと平城宮を結ぶように南北に朱雀大路という道が通っています。羅城門は平安京にもあり、後世になってから『羅生門』として芥川龍之介の小説にも登場しました。
元明天皇(げんめいてんのう)は661年に生まれ、721年に崩御した第43代天皇です。名は阿閇皇女(あへのひめひこ)という女帝で、平城京への遷都をはじめ「風土記」や「古事記」などに関わる詔(しょう)を出し、貴重な歴史の書を残しています。
「万葉集」には「これやこの大和にしては我が恋ふる 紀路にありといふ名に負ふ勢の山」という、夫である草壁皇子(くさかべのみこ)を亡くした翌年に詠んだ歌が収録されています。
息子の珂瑠皇子(かるのみこ)は697年に文武天皇に即位しましたが、25歳で崩御してし、孫の首皇子(おびとのみこ)がまだ幼かったので、阿閇皇女が707年に元明天皇として即位しました。
708年には藤原京から平城京への遷都の詔を出し、710年に平城京への遷都がおこなわれます。
712年に天武天皇からの勅令だった歴史書である「古事記」を完成させ、713年には地方の文化風土を記録した「風土記」を編集する詔を出しました。
715年に老いを理由に8年の在位を終え、娘に天皇の地位を譲ります。これが初の女性同士の皇位継承となり、元正天皇が即位しました。
721年に崩御しましたが、遺詔を残しており、そこには葬儀の簡略化をするように書かれていたといいます。天皇になったのも、息子の文武天皇の願いや、幼い皇子のことを気づかったからだとされており、心配りの素晴らしい女性天皇だったと伝えられています。
平城京への遷都の理由についてはいくつかの説がありますが、代表的な3つをご紹介します。
1:藤原京の宮の位置が北端ではなかった
藤原京も中国の長安を模倣するつもりでしたが、実際にできあがったものは想定とかなり違っていました。なかでも宮の位置が中央なのは南側の民に背中を見せることになり、天皇の権威の面から考えると正しくなかったと考えられています。
2:排水設備上の不衛生だった
藤原京の周囲は山や丘に囲まれており、排水などが藤原京の周りに溜まってしまっていました。そのため、疫病などを恐れた衛生上の問題という説もあります。
3:藤原不比等の意向だった
右大臣だった藤原不比等(ふじわらのふひと)は、権力を独占したく、藤原京の周りの古代有力豪族たちの存在が鬱陶しかったため遷都したともいわれています。
人が増えて藤原京が狭くなった、と周囲を説得したようですが、実際は藤原京よりも平城京の方が狭いことが分かっています。
大宝律令の施工がされた8世紀の日本は、天皇による統治国家を徹底するべく動いていました。
平城京への遷都、「古事記」や「風土記」の編纂、そして唐を見習った国家体制を構築していき、奈良の天平文化の時代に入っていきます。そんななか、恐ろしい疫病が流行り、民衆を襲いました。宮中でも皇位継承をめぐるさまざまな思惑が交錯していきます。
この時代を生きた天皇や貴族、民衆を豊富な資料で検証していく一冊です。
- 著者
- 坂上 康俊
- 出版日
- 2011-05-21
唐の長安を模した平城京は外観だけでなく、国家体制まで見習おうとしていた様子が伝わってきます。特に律令制度については、都だけでなく地方の税制についても参考にしていたようです。もちろん、元明天皇も登場し、次の天皇までの中継ぎの役割をまっとうした姿がよく描かれています。
政治、財政、国内および国外の海外情勢など、バランスのよい内容で当時の様子がまとまっています。
木簡という下級官人が使っていた使い捨てのメモのようなものをもとに、庶民の生活を探っている本です。
平城京に暮らしていた人々の生活に触れ、たとえば宮仕えの人たちの食事や勤務体制など、当時の日常が見えてきます。
- 著者
- 馬場 基
- 出版日
- 2010-01-01
平城京の時代の人々の目線でみた歴史書で、庶民の暮らしぶりがよくわかります。
平城京について書いた本はたくさんありますが、本書はまさに生活密着型。当時の人々に親近感を覚えるでしょう。
710年の平城京への遷都は、飛鳥時代から奈良時代に続いてきたヤマトの時代において激動の展開でした。6世紀からの仏教公伝から天皇制の権威の確立、隋や唐との外交、大仏の造立、そして女帝である元明天皇の遷都へと時代は動いていきます。
平城京だけでなく、タイトルのとおりヤマトの時代もしっかりと解説されているので、古代日本史を知るのに適した内容になっています。
- 著者
- 千田 稔
- 出版日
平城京への遷都をひとつのクライマックスとして歴史の流れを追い、壮大なスケールで古代日本史を書いた歴史本です。天皇の制度がまだ確立していないこの時代の特性をしっかり抑えながら、朝廷の動向についてもしっかり書かれています。
話の展開がスピーディーで、読みごたえのある物語のように仕上がっている作品です。
本書は、ユニークな視点から平城京を語った歴史の本です。平城京のあった宅地の広さや建物の構造などの住宅事情から、相続問題まで、1万人を越える人々の都事情を覗いていきます。
- 著者
- 近江 俊秀
- 出版日
- 2015-02-20
不動産目線の時代本、という新しい分野を開拓した本だといえるでしょう。
藤原不比等の住居にも焦点を当てており、どんな場所で、どんな家屋だったのかなど、興味をそそる話題が出てきます。作者は実際に発掘調査をしている方で、まさにプロから見た平城京の住居解説です。
少しマニアックな目線から平城京を眺めてみませんか。
平城京の時代は、女帝の元明天皇がいたり、権力の野望に燃える藤原不比等がいたりして、興味深い時代です。100年のあいだに4回も遷都をした日本は、まさに迷いながら国を治めようとしていた時期だったのでしょう。唐を真似て、一刻も早く国を統治しようとした当時の政府の姿が思い浮かびます。
平城京についての本を読みながら、天平文化の時代に思いを寄せてみませんか。